22.下層街上層区

 苔まみれの階段を下り、壁にぽっかりと開いた穴をくぐると、そこには意外にも、風通しがよく、決して清潔ではないが、異臭がするわけでもない、地下通路のような空間が広がっていた。

 赤レンガで固められた通路の壁には、ところどころに光を放つキノコや苔が生えており、通路内をほんのりと照らし出している。


 下層街。


 曰く、ネルヘルム王国は王都レムゼルクの旧市街に存在する、ワケありの人々が暮らすアングラな区画とのこと。

 そして、クソニートの異世界生活におけるメインクエストが待ち受けている可能性の高いルートでもある。


 地下通路のあちこちには、狭いところでは四畳半くらい。広くて、郊外のコンビニ店舗くらいの、窪みのようなスペースが設けられている。

 そして、それらと通路を隔てる廃材を寄せ集めて造られた壁や、垂れ下がった布の向こう側からは、人の寝息や、談笑する声、あるいは焚き火の音に加えて、何かが“ブクブク”と煮えているような音が聞こえてくる。

 

 迷路、とまではいかないが、大都会の地下鉄駅よろしく、一度迷ってしまうとなかなか難儀しそうな程度には、広くて、複雑な、いわば地下街のようである。


「あたしの家はすぐそこさ。あんまり奥に行くと、ガラの悪い連中ばっかりで居心地が悪いからな」


「だろうなぁ……。来たこと無いけど、なんとなく分かるわ。今、あんまり奥に行くと、死に確な固定イベントに巻き込まれて、俺の冒険はジ・エンドだ……」


「アンタ、基本的に変な奴だけど、時々ホントに意味不明なことを言うよな」


 レラが、通路の窪みに建てられた大きめの犬小屋のような《豆腐建築》の小さな出入り口に、“するっ”と、器用に吸い込まれていく。


「ただいま~、1日ぶりの我が家~♪」

 

 もしもコイツに《なんとかクラフト》的なゲーム実況をやらせたら、村人から資源略奪したあげく、見事に四角形な拠点を築き上げて、《建築センスの無さに定評のある野蛮人》とか、長ったらしくタグ付けされるに違いない。

 

 そして、コソドロが出入り口からヒョコッと顔を出し、壮亮をジト目で睨み付ける。


「入っていいけど、壊すなよ?玄関のとこ、板が薄くて、すぐ“ベキベキベキィ~”って、割れるからな?」


「き……気を付けるけど、先に言っておこう。壊したら、直します」


「壊すな!ぜったいに壊すんじゃねーぞ!」


“……ベキベキッ!”


 お約束の展開である。そして予想通り、レラが「キーキー」喚く。


「ごめんって!後でちゃんと直すから!」


「にゃろぉー!!次、どっか壊したら追い出すからな!?」


 威嚇する猫のような形相のレラをなだめながら、なんとか小屋の中に入ると、自然と息を深く吸い込む。

 

 なぜかといえば、この小屋……におう。

 

 すごく、匂う。

 

 ここは薄汚いコソドロ少女のねぐらのはずなのに、何故こんなにも良い匂いがするのだろうか。

 どうせ、カビ臭い布団の臭いか、洗ってない雑巾のような臭いがするはずだと無意識に思い込んでいたところに、石鹸のような、あるいは蜂蜜のような微かに甘くて優しい香りがするものだから、混乱してしまう。


 これじゃまるで、女子の部屋じゃないか(混乱)。


 壮亮は、眉間の内側に感じるモヤモヤした感覚に、鼻の頭を引っ張り上げられてしまう。

 そんなスケベ顔の出来損ないのような表情をしているこの状況で、まじまじとこちらを睨み付けてくるレラに、口元までニヤけているのがバレないように、天を仰ぐ。 

 上を見上げると、布や木の板の継ぎ接ぎだらけの天井には、年季の入ったランプが吊されており、燃料の代わりにランプのガラスの内側でちょっこりと鎮座した”光るキノコ”が、淡い緑色の優しい光を放っていることに気が付く。

 

「なんだよ。虫でもいた?」


「う、ううん?べ、別に??」


 声が、上擦る。

 そして、ちらりと目をやった木箱から溢れる乱雑に詰め込まれた洗濯物の中に《乙女の聖三角形》らしき白い布切れのシルエットがちらりと見えていて、慌てて目を伏せる。ぱ○つ!ぱ○つです!!


「まー、何のお構いもできませんけど。テキトーにくつろいでくんな」

 

 靴を脱ぎ、床の上に敷かれた毛布の上であぐらをかいたレラが、ユラユラと身体を前後させる。


「ふわぁ~あ……あたしはもう寝る……」


 大きな欠伸をしたレラが、”ゴロン”と寝転んで、身体を丸める。

 畳二・五枚分くらいの狭い小屋の中は、その床が、ほぼほぼ毛布やら毛布のようなボロ切れやらで埋め尽くされており、それらのド真ん中を小屋のあるじが占拠してしまった格好だ。


 しかし、小屋のど真ん中で、こちらに背中を向けてそべっている少女とは、曲がりなりにも、一度は命がけの取っ組み合いを繰り広げた関係だというのに、いささか無防備すぎやしないだろうか。

 ただ、毛布の山の上で丸まった少女の背中からは、物騒な気配など全く伝わっては来ず、この場の緊張感といえば『この子と添い寝してもOKなのだろうか』という、据え膳一人で食べられないバブちゃんこと、俺の葛藤くらいなものである。


 そして、葛藤の末、ひとまず隣で、レラに背を向けて、横になる。

 まぁ、別に……昨夜だって地下牢で一緒に寝てたわけだし、今更、変に意識してどうするんだっていう話だよな。


 ……


 主に、空洞を吹き抜ける風の音と、水滴が水溜まりに落ちる音だけが耳に響く。

 小屋の中に吹き込むすきま風が、思った以上に肌寒い。


「……レラ?」


「んだよ」


「寒くね?」


「知らねぇし……。勝手に、そのへんの毛布でも被ってろって」


 心底、面倒くさいといった口調のレラが、モゾモゾと寝返りを打つ。

 俺としては、一応、毛布を使うにも、家の主から許可くらいは取ったほうが良いだろうかと話しかけたのだけなのだが、ここまで邪険にあしらわれるとは思わなかったので、別に毛布くらい勝手に使っても良かったかもしれない。

 それでも一応、許可はもらえたので、俺は適当に、そこそこ厚くて大きめの毛布を手探りで掴み取り、足の方から肩くらいまで、引きずり上げる。

 ついでに、隣でレラが鼻をすすっていたので、“バサッ”と、毛布の半分を、身体を丸めて寝そべる彼女の上に放ってやった。

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