20.極楽温泉モノクロア(後編)
「タオル、あります?」
「あいよ。五十イェンね」
番台で手拭いを買い、黒色の暖簾が下げられた男湯へと足を進める壮亮。
暖簾をくぐると、モワッとした暖かい湿気と、白い湯気が身体中にまとわりついてくる。
ああ……懐かしい感覚だ。
異世界転生してから、まだ二日も経っていないにも関わらず、今はこの温泉の湿気すら、遠い昔に経験した《入浴》という記憶の欠片に思える。
懐かしすぎて、目に映る景色がまるで白黒テレビの画面になってしまったようだ。
まぁ、僕が生まれた頃にはすでにカラーテレビだったんですがね?
そう、それでも懐かしさのステレオタイプともいえる白黒映像……
白、黒……
……んんん!?
「なんだ……コレは……!?」
壮亮の世界から、《色》の概念が消え去る。
湯気が引くと同時に、壮亮の眼前には、大きな円形の湯船の中央から無色透明なお湯が“ジャブジャブ”と湧き出る
当然、気持ちよさそうに湯船に浸かっている異世界の住人たちもいれば、湯船から大理石の床に溢れ出るお湯の上に寝そべる者や、洗髪用の小さな湯船から桶でお湯をすくい、髪や身体を洗う者もいる。
しかし、それら全ての景色には、文字通り《色が無い》のだ。
にも関わらず、皆平然と入浴を楽しんでおり、現実感の失われたモノクロの世界に、壮亮だけがポツンと取り残されてしまう。
「まず、服を脱ぎます」
呆然と立ち尽くす壮亮のすぐ背後で、気怠げな、聞き覚えのある声がする。
「うわぁ!?お、驚かすなよ!」
「流石に、お前が来る前に上がるのは無理だったか……」
衛兵、スケアクロウ。首は横を向いたままだ。
よって、今は、《ただの首を痛めた裸のおっさん》、スケアクロウだな。
「モノクロア温泉は初めてか、余所者のボウズ」
「ええ、まぁ……。って、もしかして、モノクロア温泉の《モノクロ》ってーー」
「いかにも。モノクロア温泉は、ここ王都レムゼルクからほど近いモノクロウ火山由来の天然温泉で、詳しい理由はまだ判明していないが、その湧出口直近では、ガス噴出地帯の火山近郊で見られる現象と同じく、景色から色が奪われ、モノクロ化することで知られている」
腰に手拭い一枚巻いたスケアクロウが、サウナ上がりの火照った身体で浴場の床に横たわり、心地よさそうに息を吐く。
「あぁあぁあ~……。おいでませ、我らがネルヘルム王国名物、モノクロア温泉。腰痛、肩こり、ヘルニア、皮膚病、打ち身……火傷も切り傷もイボ痔もドジも、ここに浸かれば大抵のモンは治っちまうのさ……」
「説明、乙……」
壮亮が、ボソッと呟く。
うんちくは兎も角、まさか、こんなところで裸のおっさんから、初めてこの国の名前を聞くことになろうとは思わなんだ……。
ネルヘルム王国と、その王都レムゼルク。
もちろん、聞き覚えの無い国だ。
目の前の不可思議な光景も相まって、自分が異世界へ転生した実感を改めて苦く噛みしめる。
一方、言いたいことを言って気が済んだのか、半開きの口から、気持ちよさそうにいびきを上げ始めたスケアクロウ。
折角なので、この世界について更に質問したいところだが、勤務時間外に気持ちよさそうにしている衛兵殿へ、これ以上話しかけるのも気が引けるので、とりあえず言われた通りに服を脱ぐ壮亮。
いや、言われなくても脱ぎますけどね?
脱いだ愛用のスウェットからは、生乾きの雑巾の香りが漂っており、なんとな湿っている下着とシャツからは……うん、口にするのもはばかられる芳醇な香りが立ちこめている。
風呂上がりにまたコレを着なきゃならんのか……何の罰ゲームだろう。こんなことなら、風呂屋に来る前に着替えを買ってくればよかった、と、後悔してしまう。
脱いだ服を雑に畳んで、サンダルと一緒に棚へ置く壮亮。
浴室の隅っこに積まれている木製の桶を手に取って、湯船からお湯をすくい、しばらく無色透明な水面と、睨めっこしていたかと思えば、豪快に、頭からお湯を被る。
やれ、衛生問題だのと、当初の心配も忘れ、何度も、無心にモノクロア温泉のお湯を被る。
被る、被る。
浴びるほど、浴びる。
……
納得するまでお湯を浴びると、犬のように“ブルリ”と頭を振るわせ……
湯船に、“ザブン”と浸かる。
大きな湯船に身を委ねると、熱くも、ぬるくもない丁度良い湯加減の温泉が、壮亮の体重を優しく受け止め、疲労の蓄積した肉体の芯にまで、深く深く染み渡る。
「……っ、あぁぁ~~~~……」
ああ……気持ちいい……。
なんだか、すべてがどうでもよくなった気すらする。
いや、どうでもよくはないのだけれど……
……
…うん。
今だけは、どうでもいいや……。
ぶくぶく……。
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