17.シャバの空気に打ちひしがれて

 ×  ×  ×


 異世界生活、二日目。

 湿っぽい空気に日の光が差し込んで、キラキラと宙を舞う。

 聞き慣れた雀の鳴き声も聞こえてくる。

 この世界にも、現実世界と同じような生き物がいるんだと思うと、少しだけ安心するし、いつもは苦手な太陽光も愛おしくすら感じる。


「で。これがお前の、その……《社会復帰支援金》ってワケだが?」


 旧市街警備所の外で、やる気の無さそうな顔の壮年の衛兵が、革紐の付いた握り拳大の布袋を壮亮に差し出す。レラが《スケアクロウ》と呼んだ男だ。


「……どうも。お世話になりました」


 衛兵は、社会復帰支援金とは名ばかりの《口止め料》を俺に手渡すと、両手を腰の後ろに組んで、少し腰を曲げる。そして、俺の隣で眠たそうにあくびをするレラへ、嫌そうな顔をして、チラリと視線を向ける。


「でもよぉ、本当にいいのか?そのふてぶてしい小娘は、ちょっとした小悪党だぞ?そんな奴の罰金を肩代わりするなんてなぁ……。三万六千何某なにがしもあれば、三日三晩飲んだくれてもお釣りがくるだろうに」


「誰がふてぶてしいんだよ、うっぜーな。あたしへの口止め料ってもんだろーが」


 両手を頭の後ろで組んだレラが、近くに落ちている石ころを蹴飛ばす。

 彼女のノースリーブの上着では隠し切れない《少女の腋》をチラ見する壮亮。


 ――挟まれたい。


「オホン。まぁ……なんだ?コイツがお前の……その……《趣味》だってんなら、俺もこれ以上、口出しはしねぇが――」


“バゴッ!!”  


「痛ッ――ダァァァ!!?公務執行妨害だぞコノヤロウ!!」


 スケアクロウの腰に蹴りを入れたレラが、中指を立てて、颯爽と走り去る。

 あまりにも遠慮の無い蹴りに、無惨な姿勢で地面へと崩れ落ちたスケアクロウが流石に心配になり、声をかける壮亮。 


「だ、大丈夫すか……?」


「あんのガキぃ~……次に会ったら、タダじゃおかねぇからなァ……!?イチチチッ!?」


 衛兵に肩を貸し、起き上がるのを手伝ってやる壮亮。

 しかし、壮亮が引き起こそうとする度に、腰の弱いスケアクロウが「はうっ」だとか「もっと優しくっ」などと、小さな悲鳴をあげるものだから、なかなか上手くいかない。


「イテテ……悪いな、ボウズ……」


 やっとの思いでなんとか立ち上がった衛兵が、ヨボヨボとその場で揺れ動く。

 

「へへ……お礼にいいことを教えてやろう。どうせお前さん、『異世界からやって来ました』だなんて、しょうもないホラを吹くくらいだから、何かしらのワケありで、これから行く当てもないんだろ?」


 相変わらず、俺が嘘つきだと言い張るスケアクロウにムッとしてしまい、反論しそうになるが、思いとどまる。

 今更、この汚職公務員に俺が異世界転生者であると信じてもらえたところで、何のメリットもないのだから。

 というかもう、「異世界転生者だ」とか、滅多なことを口にするべきではない気がする。面倒なことにしかならなさそうだしさ。


「《下層街》に行ってみるといい。この通りをまっすぐ行けば、枯れた噴水のある中央広場にぶち当たる。そこから西側の狭い路地に入ると、錠前の壊れた門があるから、それをくぐって苔まみれの階段を下る。そしたらそこが、下層街の入り口だ」


「下層街……?」


 言葉の響きからして、その場所に良い印象は覚えない。

 旧市街が貧民と流れ者の街だとすれば、それよりも下にある下層街は、荒くれ者と犯罪者の巣窟とでもいうのだろうか。

 そして、曲がりなりにも衛兵であるこのおっさんは、たったいま釈放した、現実世界で善良な引きニートであった小市民の俺をそんなアウトローな世界へと引きずり込むつもりなのか?いや、マジで汚れすぎだろこの衛兵。


「そこに《ルドルフ》っていう髭面の男がいる。いけ好かないオヤジだが、仕事が欲しけりゃそいつに相談してみるといい。きーっと、良くしてくれるぞ?」


「仕事って……汚い仕事の類いですね?分かります」


「ナンセンス!」


 壮亮の指摘に対し、腰の曲がった衛兵が“ビシッ”と制止するように指を差す。

 そして、何度か指先で“ツンツン”と、壮亮の眼前を突くように動かすと、踵を返して警備所の中へと戻っていく。


「もう俺は知らんぞー。お前のツラも、話したことも、ぜーんぶ、昼飯を食う頃には忘れてらぁ」


 警備所の門が、耳の痒くなるような音を立てて閉じる。

 本当に都合の良い人だなぁ……。

 

 しかし、スケアクロウのおっさんのキナ臭い残り香を据え置いたとしても、昨日はあんなにも湿っぽくて淀んでいた街の空気が、今はこんなにも爽やかに感じるのだから不思議なものだ。

 

 これが俗にいう《シャバの空気》というモノなのか。

 

 ……


 ここで、スケアクロウのおっさんから手渡された布袋を開けてみる。

 革紐をほどいて中をのぞき込むと、主に銀色と銅色の硬貨がジャラジャラとひしめき合っており、思わず「意外とあるな」などと呟いてしまう。

 そしてなるほど、銀貨は百円玉、銅貨は十円玉とよく似ていて、前者は『100』、後者は『10』と、アラビア数字によく似た刻印が彫られており、裏面にはどこかでみたことのある紋章が象られている。

 あれだ、スケアクロウのおっさんの制服にも縫い付けられていた紋章だ。

 

 他にも、五円玉を少し小さくしたくらいの、穴の開いた銅貨には『1』、長方形で、USBメモリーみたいなサイズ感の銀貨には『1000』と、それぞれ記されている。


 「おっ!」


 さらに、一枚だけ、ひときわ目立つ金色の硬貨が頭を出しているものを見つける。

 そっとつまみ上げてみると、五百円玉よりも一回り大きいサイズのそれに数字らしき刻印は無く、裏面には紋章、そして表面にはトランプのキングのような、所謂「エライ人」の彫刻が施されており、これがいかにも”高価な硬貨”であることを示している。


 心の中で「あなたがこの世界の”諭吉”ですか」と、金貨に語りかけ、クスッとニヤける壮亮。

 そっと金貨を袋に戻すと、しっかりと革紐を結び直して袋をポケットの中にしまい込む。


 「……ハァ」


 そして、ため息をつく。


 一時はどうなることかと思ったが、ほぼ冤罪で刑罰を受ける心配も無くなり、現地の通貨まで手に入れた代わり、再び目的も行き先も無い状態で異世界の地に一人佇む無気力感に苛まれる。

 

 ──下層街とやらに行ってみる?


 正直、気は進まないし、嫌な予感しかしない。

 ここ旧市街でさえも、レラのようなコソドロにカツアゲされかけたのだから、さらに治安の悪いであろう下層街なんて行ったが最後、ガチムチのおっさん集団にパンツ一枚まで身ぐるみ剥がれた後、奴隷として売り飛ばされるのが関の山だろう。エ○同人みたいに。エ○同人みたいに。


 ああ……。エロ同人みたいに、ウフフでアハンな異世界ハーレム生活が送りたい。


 下らない妄想と《コンナハズジャナイ》感ばかりが、頭の中をグルグルと回り続ける。


 そうして時間だけが過ぎていく。


 時間だけが、過ぎていく……。

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