5.ニート、異世界に立つ!
「ハッ?」
先ほど暗転したばかりの視界が、パッと明るくなる。
究極の苦痛と恐怖に歪みながら、じわりじわりと遠のいて消えてしまったはずの意識も、一瞬で元のところへ舞い降りて来た。
「ここは……どこだ?」
目の前に広がる見知らぬ風景。
そこは、スラム街のような場所で、薄汚れた壁の高層住宅の間を淀んだ色の川がどんよりと流れている。
おそらく生活用水路であろうその川からは、まさにドブのような酷い臭いが立ちこめており、今にもむせ返りそうだ。川には木製の桟橋がいくつも架けられており、魚釣りをしている者や、洗濯をしている者の姿が確認できる。
そんな光景ゆえか、なんの違和感も無いが、みんなボロ切れを纏ったような貧乏くさい格好をしているようだ。
俺は今、そんな風景を苔の生えた石橋の上から眺めている。
俺の背後で道を“ワイワイガヤガヤ”と往き来する人々の姿が、視界の端に見え隠れする。腰に剣を差した男もいれば、壺を抱えた女や、ヤギの手綱を引く少年もいた。
眉間に皺を寄せたまま、空を見上げると、住宅と住宅の間に張り巡らされたロープに干された洗濯物の先の雲間から、太陽が顔を出す。
眩しい。さらに眉間に皺が寄る。
そしてここで、本当に、我に返る。
「ハッ!?いや、俺は!俺はさっき、コンビニでキチガイに殺されたはずじゃ……!?」
思わず、何の意味も無く自分の両掌を見てしまうが、血なんてついてない。
身体をまさぐるが、刺し傷も無いし、服に穴も空いていない。
なぜだ。なぜ……?
俺は……生きてる?
「おい、にーちゃん」
俺のすぐ背後から、可愛らしい少女の声がする。
どうやら俺を呼んで、“ドン”と背中を叩いたようだが、まさにちょうど、刺されたことについて考え込んでいた身体の場所を急に触られたものだから、情けない声が出てしまう。
「ファッ!?」
「うおっ!?わ、悪い、驚かすつもりじゃなかったんだけどさ……」
勢いよく振り返った先に立っていたのは、一人の可憐な少女だった。
着ている服こそ、スラム街の住人らしく薄汚れているものの、整った顔立ちに、少しツリ目の金髪美少女だ。
いや。《金髪ロリ美少女》だ。
「あー?今あんた、あたしのことチビのガキだと思ったでしょ?」
美少女が腰に手を当て、眉をひそめて俺の顔を覗き込んでくる。
いや、背が低いなとは思ったけど、むしろ大好物です。
「ありがとうございます!!」
なぜ頭を下げたのか、俺。
「は?いや、あたし別に何もお礼されるようなことしてないけど……」
不思議そうに苦笑いする金髪美少女。かわいい。
「にーちゃん、ますます変な奴だなぁ。この辺のモンじゃないだろ?どっから来たんだ?」
「え?ああ……俺は……」
俺は、そんな質問をされると困ってしまうのだ。
ただでさえも、先ほど死んだはずの自分が蘇ったことに加え、見知らぬ土地に一人佇んでいた意味が分からず、途方に暮れていたところだったのだから。
……ん?いや、待てよ。
俺、これ知ってるぞ。確か、こういうのは――
「――異 世 界 転 生―― ってやつか……!?」
「イ……イセカイ……?TENSE??」
美少女が、エセ外国人のような発音で俺の台詞の一部を復唱し、首を傾げる。
しまった。声にまで出す必要までは無かった。
両手を広げ、天を仰いで、無駄に演技がかったイケボを出してしまった自分の中二病感にうっすら赤面してしまう。
「い、いえ!なんでも……フ、フヒッww」
今更だが、普段の俺はエリートニート。
妹以外の女の子と喋る機会なんて滅多に無いから、実は今とても緊張している。
最後に気持ち悪い声が出てしまったことについて、自己嫌悪に陥る。
「んん……。まぁ、なんだ。こんな街さ、ワケありってんなら、あたしもずけずけと首は突っ込まねーよ。ただ、にーちゃんさぁ?ここでそんな奇抜なカッコしてると、悪い意味で目立ちすぎるぜ?」
「え?俺の格好……?あぁ……」
……確かに、一理ある。なにせ、今の俺は《上下スウェット》に《ビーチサンダル》の異世界人だ。こんなスラム街で悪目立ちしたら、どんな不良に『おうおう、余所者さんよぉ』なんて、目をつけられてもおかしくはないだろう。
事実、先ほどから道行く人々のほとんどが俺の方をチラチラと見てくるし。
「場所を変えようぜ。あたしが案内してやるよ」
少女が、子供っぽく『キシシ』と笑いながら、俺を手招きする。
まるで、絵に描いたような異世界転生の幕開けではないか。
これが神の意志なのか、はたまた気まぐれなのか。
そもそも俺は神様仏様の類を信じてはいないのだが、こんな目に遭ってしまったからには、そんなオカルトチックな考えも頭に浮かんでしまう。
あるいは、夢や幻覚の類かも知れない。
目が覚めると、俺は家のベッドで横になっているかもしれないし、コンビニでの事件までが現実だとしても、奇跡的に一命をとりとめて、病院の天井を眺めているかもしれない。
「何してんだよ!早くしねーと、置いてっちまうぞー?」
「あ、いや……。待って!」
俺は、困惑と不安と期待の入り交じった不思議な感情に苛まれたまま、手を振る少女の後を追う。
おそらくは始まってしまった俺の異世界転生生活。
まずは、こうするほかに、ストーリーの進展は無いのだろう、と。
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