意外な待ち人
お腹いっぱいスープを食べると、ミルクというものを飲ませてもらった。中年男性が言うには、やぎの乳らしい。濃厚で甘くてとても美味しかった。一口、口に含むと舌の上で快感が踊っているようだった。
ミルクを一気に飲み干すと、中年男性の方を見た。
「遅くなっちゃったけど、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。君、名前はある?」
「ない、私は親に捨てられたから」
その瞬間、少しだけ嫌な沈黙が流れた。
「そうか、なら俺が名前をつけてあげよう。そうだな、愛とかどうだ?」
「愛って何?」
「愛っていうのは、この世で一番強い力の名前だ。いやか?」
「ううん。私、愛がいい」
私はとろけるような笑顔をともに、嬉しそうな返事をした。
「ここはどこ?」
「ここは、君が住んでいた街から少し離れた場所だよ」
「おじさんは名前なんていうの?」
「俺の名前は、先生だ」
「せんせいって言うの? 変わった名前ね」
「いや、先生っていうのは本名じゃない。生徒に何かを教えるのが先生だ。そして、今からは俺が君の先生になるんだ」
「そうなの?」
「ああ。君を助ける時に言っただろ? 『今から俺の武器になれ』って。今、お前は俺の武器として、俺に装備されている状態だ」
「私、先生が何を言っているのかわからない」
私は申し訳なさそうに、言った。
「あの時は掻い摘んで説明したからな。なら今から、丁寧に説明する」
「うん。お願い」
私は、笑顔を再び先生に飛ばした。
「今現在、この国は新しい王様によって圧政が敷かれているのは知っているな?」
「ええ。そのせいでたくさんのホームレスが生まれてしまった」
私は、自分のドブの味がする過去を思い出した。
「その通りだ。王の圧政は凄まじいものだ。人々は搾取され弾圧され始めた。そんな人間の様子を不憫に思った女神様がこの国全体に魔法をかけた」
「えっ? 女神様は本当にいるの?」
正直私は女神様が実在するか疑いかけていた。あれだけ不幸な目にあっても誰も私を助けてくれなかったからだ。
「ああ。存在する。じゃなきゃ俺がお前(ホームレス)を装備できた説明がつかないだろ?」
きっと先生がタイミングよく私のことを助けてくれてのは、女神様が私のことを見ていてくれたからね。私は心の中で思った。
「話を戻すぞ。女神様がこの国にかけた魔法は『戦う意思のある者に、力を与える』というものだ。力とは、自身が望む何かを武器として装備できる力。自分の個性や性格に合った何かを装備すると強くなるんだ」
「どうして私(ホームレス)のことを装備したの?」
「それは、またいつか説明するよ」
「わかったわ」
「そして、装備能力を得た戦士たちの多くは、その力を使って王を討つのが目的だ」
私は、言いたいことがあったがひとまずはそれを喉の奥に押し込んだ。
「だから、おれは君のことを強くする。俺の武器としてもっと攻撃力を上げなければならない。愛、改めてもう一度頼む。俺と共に、王を討ちこの国を救おう。手を貸してくれ。お前の力が、お前が必要だ」
私は生まれて初めて誰かに必要とされた。今までは、存在しない存在だった。道端でただじっと存在し続けるだけだった。そこにいるのにまるで透明になったみたいだった。
私はホームレス生活を思い出すと、その黒い思い出を胸の一番底に寝かせた。そして、しっかりと先生の青い瞳を見つめた。
「喜んで」
私は、命の恩人に、精一杯の感謝と勇気で答えた。そして、私の生活はうねりを上げて変わっていく。捻れ、狂い、歯車が壊れていく。だけど、この時の私は、そんなことを知る由なんてなかった。
あれからしばらく安静に過ごした。起きて食べてまた寝る。そんなどこにでもある普通の生活は、夢にも思い描くことができないほど素晴らしいものだった。
親に捨てられてホームレスになってから、私の時は止まったままだった。なんの取っ掛かりもない透明な壁に、時の濁流がぶつかって砕ける。かつての私はまるで時の干渉を受けない虚無のような存在だった。
だけど今は、しっかりとこの五体で時間の感覚を感じ取ることができる。私の小さな体の上を、透明な時の流れが緩やかに滑っていく。せせらぎのように爽やかで、嫋やかな時は、私の心を少しだけ麗せた。
私はいつものように木でできた軋む階段を降りた。軽快なメロディーが耳に残る。食卓には先生はいなかった。焦げ茶色の木製のテーブルの上には、一枚の紙が佇んでいる。私はそれを拾い上げると、読み上げた。
「今日は、私の部下のジャックが、愛にこの街の案内をする。正午に街の広場の噴水でジャックに会うといい。ジャックには君の人相を伝えてあるから向こうから声をかけてくるはずだ」
私は、ジャックが誰だかわからなかったから想像で補った。先生と同じような金髪で、先生より若い。きっと優しくて力強い人だ。
手紙の裏には簡単な地図もついていた。私は、ふかふかのパンを甘くて濃厚なミルクと共に飲み込むと、街に向かった。
石畳の舗装路を、私は軽快に跳ねていく。乾いた靴音が街の喧騒の中に溶けて混ざる。私はそれがたまらなく心地よかった。かつてこの輪の中に入ることができなかった。ずっと周りの人たちの姿をただ見ているだけだった。ただ地べたに座って、街並みを眺めているだけだった。
だけど、今は、私もこの街の一部だ。私の靴音は、自分の存在を私に教えてくれた。
噴水広場に着くと、噴水を取り囲むようにまばらな人の集まりがあった。きっと待ち合わせのスポットなのだろう。私が時計を確認すると、正午より少し前だった。
「少し早く来すぎちゃったな」
私は噴水の前でジャックを待つことにした。しかし、そんな計画はすぐに砕けた。
「あなたが先生の新しいお弟子さん?」
私が振り返るとそこには、私によく似た綺麗な黒髪の女性が立っていた。歳は先生と同じくらいだろうか。紫紺色の魔法使いのローブのようなものを着ていて、妖艶な服がその女性の魅惑を何倍にも膨れ上がらせる。女性の出で立ちは世界中の美しさを具現化し、長方形に切り取り、その石を使って作った彫刻のようだ。
「ええ。そうですけど。あなたは?」
「初めまして。私がジャックよ」
その瞬間、頭の中に想像した金髪の青年の像は消えて無くなった。先生の弟子は、男性の名前を持った、とても美しい女性だった。
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