5-3、いいわけねぇだろ


「なんで、お前が……」


 オレは言葉を切り、言い直した。


「……なんで、まだ逃げてないんだ。ここはもうすぐ、瓦礫に変わる。岩巨人ゴーレムどもが、すぐに進軍してくるんだぞ」


 オレは脅すように言ったが、イーシャは表情を変えず首を横に振った。


「逃げる場所なんてどこにもないよ。だってここが、わたしの居場所なんだから。根っこを下ろした草を無理やり引っこ抜いて、他の場所に移しても長くは保たない。すぐに枯れちゃうよ」


 イーシャはこの場所から逃げないつもりだ。きっと何を言っても考えは変えないだろう。オレはそれ以上何かを言うことをやめた。

 沈黙の時間が生まれる。ここが戦場であることを忘れるほど静かだった。


「……少しだけ、お話しようか」


 そう言うと、イーシャはオレの隣に腰を下ろした。


「キミは知らなかったかもしれないけど、わたしとキミはずっと前に会ったことがあるんだよ?」


 イーシャから突然告げられ、オレは動揺する。

 記憶を探るが、イーシャの顔は思い浮かばない。こいつとの初めての記憶は、この街にたどり着いたばかりの時、死にかけていたオレに飯と水をくれたことだ。


「4年前までわたしは違う街の酒場で働いていたんだ。そこでわたしはキミを見た。キミは、銀の勇者様の一行パーティの一員として、すごく堂々としていた。キミは、とても輝いて見えた」


 4年前。

 まだオレが、オルテシアたちと一緒に冒険者をやっていた頃だ。


「…………失望したか? オレが無職になってて」


「最初はね、少し驚いたよ。また昔みたいなキミに戻ってほしくて、頑張って背中を押そうとしたこともあったしね」


 そういえば、こいつは事あるごとにオレを冒険に行かせようとしてきた。リースと一行パーティを組むことになったのも、こいつがオレを焚き付けてきたからだ。


「でもね、リースちゃんたちと一緒に冒険を始めて、少しずつ楽しそうに話をするようになったキミを見て思ったんだ……輝いていた頃に戻ってほしいなんて思うのは、間違っていたんだなって」


 どこか近くで建物が崩れたのだろうか。大きな地響きが鳴り響いた。


「わたしにはとても想像できないことだけど、きっとキミにはすごく辛いことがあったんだと思う。辛いことを忘れて、傷を癒す時間は必要だよ。キミは、無職キミのままでいいんだ」


 イーシャの言葉は、乾いた砂に水が染み込むように心に流れ込んできた。

 自分のままでいい。

 そんなことを言われたのは、冒険者を辞めてからは初めてだ。


 オレはずっと、この言葉を求めていたような気がする。誰にも気にされなくていいとほざきながらも、オレは心のどこかで自分を認めて欲しかったんだ。

 そうだ、仕方なかった。辛い過去があって、挫折して、酒浸りの生活になっても仕方ないくらいの人生を歩んできたんだ。

 だらだらと余生を過ごして、何が悪い。


「……もういいんだよ。シグくんは十分頑張った。少し休んだら、安全な場所に避難しようか。ここを離れるのは嫌だけど、わたしも一緒に行くよ」


 イーシャがオレの肩を優しく叩いた。

 そうだ、もう逃げていいんだ。

 所詮、オレはここまでの男だ。分不相応に頑張る必要なんてない。


 どうせ今のオレが何をしたって一緒だ。敵うわけがない。勝てるはずがない。

 ベレスのやつだって、本気でずっとリースを石の中に閉じ込めておくこともないだろう。あいつになんの目的があるんだか知らないが、それが終わったらリースも解放されるはずだ。


 ユイファンとフィオも、勝てないとわかったらきっと自分の命を守るために逃げ出すだろう。

 それに、この街には冒険者が多く集まっている。その中の誰かがなんとかしてくれるだろう。


 だから大丈夫。きっと大丈夫。


 もうオレがやることはない。これで一件落着だ。


 そう、これで……


 これで……




「これで、いいわけねぇだろ!!!!」




 叫んだオレの目から涙がこぼれ落ちた。


 なに、考えてるんだ。なに、現実から目を背けてるんだ。なに、ありえない妄想にすがりついてるんだよ。

 ベレスは壊れるまでリースを利用し続けるし、ユイファンもフィオも命を懸けて戦い続ける。そんなことくらい……わかっているだろ!

 最悪の終わりバッドエンドから、目を逸らすんじゃねえ!


「シグくん……?」


 イーシャが戸惑ったようにオレの名前を呼ぶ。

 オレは差し伸べられた手を払いのけ、無理やり体を動かして立ち上がった。


「ごめん、イーシャ……だけど、やっぱり、なかったことにはできないよ。過去も、今も。リースが、敵に囚われている」


 オレの言葉に、イーシャが息を呑んだ。そうか、こいつは状況を知らないんだ。無理もない。勇者や冒険者がどれだけ命を懸けて戦っても、普通に生きる人たちに伝わることはそうない。


 足を引きずり、今にも倒れそうになりながら、オレは酒場の出口を目指す。

 いつか、リースがオレの手を引っ張ってくれたように、自分でもよく分からない不思議な力がオレの足を動かしていた。


「オレは、嬉しかったんだ。こんなオレが、誰かに頼られたことが……本当に、本当に嬉しかったんだ……! ただ朽ちていくだけだったオレの人生が、色を取り戻したみたいだった」


 今まで封じ込めていた自分の気持ちが、堰を切ったように口から言葉として溢れていく。

 口では否定するようなことばかり言っていたが、心の中では喜びを感じていた。リースに、ユイファンに、フィオ。新しい仲間に出会って、あいつらの成長を見ていくのは本当に楽しかったから。



 自分の人生がぐちゃぐちゃになっても、誰かの未来のために生きることはできるんだって、心の底から思ったんだ。



「だから、行かなくちゃ。あいつらに未来を見せるために。無職オレがオレであるために。誰かじゃない、オレなんだ。オレが行かなくちゃならないんだ……!」


 イーシャは何も言わなかった。オレを止めることも、背中を押す言葉をかけることもなかった。もしかしたら、完全に愛想を尽かされたのかもしれない。せっかく差し伸べてくれた手を払いのけたんだ。当然か。

 だけど、それでいい。嫌われてもいい。今は、とにかく前へ——


「シグくん!」


 店のスイングドアに手をかけた時、イーシャがオレの名前を呼んだ。


「酒場『ざくろ石』は毎日昼から営業! この街自慢の美味しい葡萄酒と、真心こもった手料理があなたをお待ちしています!」


 それはイーシャから何度聞かされたかわからない、店の宣伝文句だった。


「わたしはここで待ってるから。だから、また飲みにくるんだよ。それから……リースちゃんをお願い」


 酒場の自称看板娘は、目に涙を浮かべながら笑顔で言った。オレは返事代わりに片手を挙げると、店のドアを開けて屋外へ出た。


 ありがとう、イーシャ。

 もうちょっとだけ、オレは戦える。

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