5-2、暗闇の中で


      *  *  *


「リー……ス」


 自分の声で、オレは目を覚ました。

 体を動かそうとして、全身を走る痛みに呻く。


「目が覚めたみたいっスね。まだ体は動かさない方がいいっスよ」


 重たい瞼を開けると、心配そうにオレの顔を覗き込むユイファンと目が合った。その隣では、フィオが同じようにオレのことを見ていた。

 どうやら、オレはどこかの屋内で壁に背中を預けて座っていたようだった。


「オレは、どれくらい、気を失っていた?」


「ほんの少しっス。あの場所から逃げ出して、この建物の中に入って全然時間は経っていないっス」


 朦朧としていた意識がはっきりしてきて、少しずつ記憶が戻ってくる。

 最後に覚えているのは、列をなした岩巨人ゴーレムたちが進軍する地響きだった。あのまま踏み潰されるものかと思っていたが、どうやって逃げることができたのだろうか。


「おかーさんからもらった、種を使った」


 オレの疑問に答えるようにフィオが話し始めた。


「おかーさんが力を込めて作った不思議な種。どうしても危ない時に使ってと、フィオにくれたもの。種を地面に植えると、植物が生まれて魔物たちを縛って動けなくした」


 フィオの母代りであるドアテラは、卓越した力を持つ土霊術士ノームだ。そういえば、別れ際にフィオに餞別代わりに自分の力を宿した種を渡していた。どうやらあの種がオレたちの危機を救ってくれたらしい。


 そこで一つ合点がいくことがあった。

 ベレスがなぜ、針鎧巨人グレンデルを操り森の中に住むドアテラを狙っていたのか。岩巨人ゴーレムの“天敵”とも言える土霊術士ノームのドアテラが万が一にでも干渉してこないようにするためだ。

 彼女の力が有効なことは、フィオに渡した小さな力でも岩巨人ゴーレムを封じ込めたことからもわかる。


 岩の勇者ベレス。

 乱心し、世界に反旗を翻した裏切りの勇者。

 奴の顔を思い出すと、何か大切なものを奪われたような気がする。一体、ベレスは何をオレの手から奪っていったんだっけか。


「リースは、どこに行った……?」


 その場に小さな勇者がいないことが気になり、オレはなんとなく聞いてみた。

 ユイファンはハッとした表情を浮かべた後、言いにくそうに話した。


「リースは……ベレスに連れて行かれてしまったっス。今頃は、もしかしたら岩巨人ゴーレムの中に閉じ込められているかもしれない」


 瞬間、オレの中で記憶が蘇ってくる。

 オレがベレスに敗れたこと。雷の力に目覚めたリースも勇敢に立ち向かったが、岩の力を前に屈してしまったこと。そして、ベレスがリースを連れ去ってしまったこと——全て、全てを思い出した。


 あぁ


 ああぁ……


 オレはまた、失ってしまったんだ。かけがえのない、大切なものを。


「う……あぅ……!」


 吐き気がこみ上げてきて、オレは床に突っ伏する。だが、どれだけ体のものを吐き出そうとしても、口からは胃液が溢れるばかりだった。

 嫌だ。もう嫌だ。どうしてオレは、こんなにも情けないんだ。

 負けて、失って。そればかりだ。


『結局、お前は誰も守ることなどできないのだ』


 ベレスに告げられた言葉が、呪詛のように頭の中で反響した。


「シグルイくん……落ち着いて聞いてほしいっス。シグルイくんは、もう戦える状態じゃない。ここで少し休んだ後、なんとか街の外に脱出してほしいっス」


 ユイファンが静かな声で切り出した。


「お前、らは……どうするんだ……?」


 オレは顔を上げて2人の顔を見る。ユイファンも、フィオも、覚悟を決めた表情をしていた。


「フィオたちは、リースを助けにいく。きっと、石の中で助けを待っている」


「ベレスには勝てなかったっスけど、岩巨人ゴーレム相手にはなんとかなるかもしれない。リースを助けたら、自分たちも逃げるっス」


 こいつらは戦いを続けるつもりなんだ。

 あれだけやられても、それでも尚、立ち向かい続けるつもりなんだ。

 2人はオレに背を向け、出口へ歩き始める。オレはその背中へ手を伸ばした。


「やめろ……勝てない。行くな……行かないでくれ……!」


 このままでは、間違いなく2人は死ぬ。リースを失って、さらにユイファンとフィオまで見殺しにするわけにはいかない。

 ユイファンは立ち止まり、半分だけ振り返った。


「シグルイくんが、自分たちを心配してくれることはわかるっス。だけど、このまま逃げ出すわけにはいかない。このまま逃げたら、きっとずっと後悔する。だから、最後まで足掻いてみるっス」


 フィオもその言葉に続ける。


「フィオは、何もなくしたくない。全部、全部、記憶がなかったフィオにとっての大切なもの。だから取り返す。絶対に」


 自分の気持ちを言葉にすることができずにいたフィオが、はっきりと意思を示した。彼女は成長したのだろう。だが、オレは喜べない。その先にあるのは、死への道だから。

 2人の少女が、オレの手を離れ戦場へ向かっていく。仲間を取り戻すために。


「なぁ、やめろ……無駄死にするだけだ。頼むからやめてくれ……頼む……!」


 オレの声は届かなかった。

 1人取り残されたオレは、拳を握って床に叩きつける。オレの手には、もう何も残っていなかった。


 あるのはただ、どうしようもない喪失感だけだった。

 何もかも、オレの手から溢れ落ちていく。オレはただ、それを見ていることしかできないでいた。


 近くに人の気配を感じ、オレは顔を上げる。

 そこにいたのはユイファンでもフィオでもなく、そしてリースでもなかった。




「体は大丈夫かな、シグくん? あの子たちが、君をここまで運んできてくれたんだよ」



 そこにいたのは、酒場の自称看板娘イーシャだった。

 オレが運ばれた場所は、行きつけの酒場『ざくろ石』だったのだ。

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