幕間(フィオ視点)、あなたはだあれ?
◇ ◇ ◇
頭の中がくらくらする。
森の獣よりも多い数の人間を目にするのは初めてだ。
フィオは、リースたちと一緒に街という場所に来た。その場所には両手で数えるよりももっと多くの人間がいて、そこに生きていた。
「さぁ、フィオちゃん。まずは女神イサナ様の教会に行って、
リースに手を引かれ、街の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。どこをどう歩いたかは覚えていない。
ぐるぐる、ぐるぐる。たくさんの人間の間を歩いて行った。
気がつくと、フィオは大きな建物の中にいた。森の中でフィオが暮らしていた小屋より、ずっと大きい。
「ここが女神イサナ様を祀る教会だよ。真ん中に置かれているのが、イサナ様の像なんだ」
リースが指差す方向を見ると、髪の長い女の人の像があった。女の人は手に長いものを持っている。
「あの女の人が持っているものは何?」
「あれは女神イサナ様が振るったという大鎌だよ。世界が“混沌の夜”に包まれた時、イサナ様は大きな大きな鎌を振るって、闇を払ったと言われているんだ」
リースの答えに、フィオは驚いた。だって、あんな大きなもの、フィオでは絶対持つこともできないだろうから。
教会の中は薄暗い。高い場所に作られた小さな窓から差し込む光だけが、この建物の中を照らしている。静かな雰囲気。嫌いじゃない。
「すいませーん!
ユイファンが声を張り上げて人を呼んだ。すると、女神の像の近くの長椅子から、むくりと誰かが起き上がる。
「ひっく……やぁやぁ、いらっしゃい。これは小さなお客さんたちだ。ようこそ、女神イサナ様の教会へ。アタシはティーダ。この教会の臨時修道女さ」
その人は、女の人だった。まだ若い人で、髪は綺麗な金色をしている。なのに、歳をとったようなガラガラな声だ。
女の人が口を開けると少し変な匂いが漂ってくる。これは、朝にしぐるいからした匂いと同じだ。
「あ、あのー……もしかして、お酒を飲まれていたんですか? 仕事中に?」
リースが恐る恐る、ティーダという修道女に尋ねる。ティーダは大きなしゃっくりをすると、笑いながら答えた。
「おっと、お嬢さんは少し誤解しているようだ。女神イサナ様は食事を何よりも好み、『汝、お腹が空いたらよく食べよ』とありがたい言葉も残している。食べるということは飲むことでもあり、そこにお酒があったとしても何らおかしいことじゃないのさ」
「は、はぁ……」
リースは、ティーダの勢いに押されているようだった。
「それで、女神様より
ティーダの問いに、フィオは小さくて手を挙げた。
「ローブのお嬢さんだね。では
「ゆめみしき? みずみしき?」
フィオは首を傾げる。
「そう。夢見式は夢の中で女神様のお告げを聞くことで、自らの役割を知る方法。水見式は聖なる祝福が与えられた水に映る反応を通して、己に適正のある
「水見式でいい」
フィオはすぐに答える。
フィオが
「えーっとっスね、ティーダさん。この子はフィオという名前で、すでに
ユイファンが捕捉するように言った。
「結構! 仕事がすぐ終わるなら、アタシもそれに越したことはないさ。それでは1名様ご案内。他の方はこちらでお待ちいただくよう、お願いします」
ティーダに連れられ、地下への階段を降りていく。フィオは1人だ。リースもユイファンもいない。そういえば、しぐるいはいつの間にかいなくなっていた。どこに行ったんだろう?
階段を降りた先は少し広い空間になっていて、石を積んでできた丸い場所に水が溜まっている。水はとても透き通っていた。覗き込むと、フィオの顔が綺麗に映る。
「さぁ、ローブのお嬢さん。その水に手を入れるんだ。浸すのではなく、水に映る自分に向かって手を伸ばすようにね」
フィオは言われた通りに、水に映るフィオの顔に向かって手を伸ばした。冷たい感触が右手を包む。すると、透明だった水が急に色づき始めた。
「どの色に変わるかによって、適正のある
ティーダはそう言ったが、水は赤や青、黄色や緑色など様々な色に変化し続け、さらに渦巻き始めた。いくつもの色が混ざっていき、やがて水は黒く濁ってしまう。
「ほほう、これはこれは……」
修道女は面白いものを見たように、不気味な笑みを浮かべた。
「ティーダ、これはなに?」
「普通ではない反応さ。
わからない。それでは困る。
記憶がないフィオは、わからないばかり。だから、自分のことを知りたかったのに。
「まぁ、なにやら事情があるみたいだから、お姉さんが特別に
「ありがとう?」
フィオはティーダにお礼を言った。お礼を言うべきなのかはわからないけど。
「……いいんだよ。冒険を始める権利は誰にだってある。たとえ君の行く先が闇に覆われていても、せめて君が歩く旅路に幸多かれと祈ろう。それが神に仕える者の役割ってものさ。さぁ、上に戻ろうか」
ティーダは踵を返すと、早足に部屋を出て行ってしまう。
1人残ったフィオは、水の中から手を離した。黒く濁った水は、すぐにまたもとの澄んだ透明に戻る。
フィオの顔が水面に映る。見慣れた、だけどわからない顔。
「あなたはだあれ?」
問いかける。
水面に波紋が生まれて、水に映るフィオの顔が小さく笑ったような気がした。
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