3-14、勇者問答


      *  *  *


 街に戻ったオレは、その日も酒場『ざくろ石』に直行した。

 複数人で行動した後は1人になる時間を作りたいと思ってしまう。人と関わるってのは、それだけで心を消耗するからな。


 リースとユイファン、そしてフィオの3人娘は依頼クエストの成果を組合ギルドに報告した後、女神イサナの教会へ向かった。

 フィオを冒険者として登録し、火霊術士サラマンダー戦職ジョブを授かるためらしい。そのための費用は今回の依頼クエストから出すため、オレたちへの報酬はずいぶん少なくなっちまった。

 まぁ、それは別に構わないんだけどさ。


「やあやあ、シグくん。今日もお疲れ様。私が買ってあげた短剣ダガーは役に立ったかな?」


 突然背中を叩かれ、オレは危うく口に含んだ葡萄酒を吹き出しそうになった。


「……あのなぁ、イーシャ。最近、オレの扱いが雑になってきてないか?」


 そこにはふわふわしたオレンジ色の髪をした酒場の自称看板娘イーシャが上機嫌に笑顔を浮かべて立っていた。


短剣ダガーはいい活躍をしてくれているさ。今日の魔物にとどめを刺したのもこいつだしな」


 正確には、短剣ダガーを装備することで使うことができるようになった職能アーツ〈蒼狼天爪〉が仕留めたのだが、説明が面倒臭いので黙っておこう。


 〈銀糸鋼線〉

 〈翠風旋回〉

 〈紅爆結晶〉

 〈蒼狼天爪〉


 この4つの色が、今のオレの体に残った職能アーツだ。正確にはもう一つ、が残っているが、それは考えないでおく。


「そかそか。シグくんが段々社会復帰してきて、私はとても嬉しいよ」


 イーシャの言葉に、オレは複雑な気持ちになる。

 別に真人間になりたいと思っていたわけではない。だが、リースたちの成長を間近で見ることが嫌なわけでもない。

 ただ、オレは成り行きに身を任せているだけだ。それ以上の理由はない。

 “あの地獄”を味わって、前向きに生きていこうと思える奴なんているはずがない。


 その時だ、店内が急にざわつき始めた。なんだろうと入り口の方へ目を向けると、大柄な男がスイングドアを開けて入ってくるところだった。

 オレは、その男を知っている。


「岩の勇者ベレス……!」


 『一輪の紋章』の4つの花弁を全て開花させた者に送られる二つ名を持つ勇者。そしてベレスはこの辺境の街カーマヤオ出身で、唯一の二つ名勇者だ。

 ベレスは店内を見渡すと、真っ直ぐにオレのもとへ歩いてきた。


「シグルイ=ユラハ」


 ベレスは低い声で、オレの名前を呼ぶ。酒場の客の視線が一斉にオレに注がれた。

 勘弁してくれよ……どこかで見た光景だと思ったが、リースもこんな風にオレの名前を呼んできたな。この酒場は勇者を引き寄せる匂いでも出してんのか?


「……何の用だよ、ベレス」


「用というものでもない。少しお前と話をしにきただけだ」


 ベレスは向かいの席に腰掛けると、イーシャに葡萄酒を頼んだ。オレの安いのと違って、そこそこ上等なやつだ。

 ただ座っているだけで、圧倒的な威圧感を感じる。落ち着いて酒が飲めねえ。


「冒険は順調のようだな。新しい仲間も見つけ、依頼クエストを次々こなしている」


「だから別にオレはあいつらの本当の仲間じゃねえって。この街にいる間だけ、面倒見てやるってことになってるだけだ。別の場所に行くんなら、それまでさ。オレはこの街でのんびり過ごすつもりなんだ」


 好奇心の強いあいつらのことだ。いつまでもこの街に留まるようなことはしないだろう。

 その時が、オレとあいつらの別れの時だ。そしてオレが本当の意味で“無職”に戻る時でもある。


「カーマヤオが気に入っているようだな」


 ベレスが少しだけ嬉しそうな声で言った。故郷を褒められて嬉しいのだろう。


「まぁな。冬もそれほど寒くなくて、都市みたいな騒がしさもない。なにより……葡萄酒がうまい」


 ちょうど、ベレスの葡萄酒が運ばれてきたところだった。酒杯には並々と赤の葡萄酒が注がれている。

 オレとベレスは乾杯をすると、それぞれ杯を傾け酒を飲んだ。


「酒の味は変わらんな。世界を巡ったが、この街の葡萄酒に勝る酒には出会わなかった」


「……そりゃ、よかったな」


 葡萄酒をチビリチビリと飲みながら、オレはベレスの言葉に警戒した。

 一体こいつはなんの目的でオレに話しかけてきたんだ?

 オレが頭に浮かべた疑問に答えるように、ベレスが切り出してきた。


「この街で、勇者が次々と謎の失踪を遂げている。貴様は何か知らないか」


 ベレスは周囲に聞こえないよう声を潜める。オレは突然のことに、危うく酒杯を落としかけてしまった。


「勇者の失踪……? なんだそりゃ」


 来たる聖樹生誕祭ユグドラヴァースに合わせて勇者が故郷に帰ってきていることは知っているが、失踪しているとは初耳だ。


「知らないのならばいい。ただ、なにかしら良からぬことが起きている。それを伝えたかった」


 良からぬことと聞いて思い出すのは、ここ最近立つ続けに起きているおかしな事件だ。ごろつきが魔術で悪魔に変身し、山の奥では巨人の影が目撃され、そして森の中では操られた魔物が徘徊していた。


 もしもベレスの言う勇者の失踪が本当ならば、新しい混沌ケイオスの欠片が追加されたことになる。

 これらの欠片たちは偶然起きたことなのか、それとも全てが繋がっているのか。

 答えはわからない。全ては暗闇の中に隠されている。


「悪いことは言わん。この街を離れろ。引退して穏やかな余生を過ごしたいのだろう? 万が一でも何かが起きれば巻き込まれることになるぞ」


 ベレスが珍しく強い口調で言った。


「それは、オレじゃなくてこの街の人たちに言い回った方がいいんじゃないか? オレなら自分の身くらいは守って逃げることはできる」


「いたずらに市井に不安を煽りたくはない。自惚れるわけではないが、私の言葉は余計に重く受け止められてしまうだろう」


 なるほどな。強い影響力を持つ勇者のベレスが危険を触れ回ってしまったら、あっという間に恐怖が伝染してしまうのか。


「忠告は受け取っておくよ。実行に移すかはわからんが」


「それでいい。頭の片隅に置いておいてくれ」


 ベレスは杯に残っていた葡萄酒を飲み干すと、手を挙げてイーシャを呼んだ。袋から銀貨を何枚も取り出すと、それをイーシャに渡す。


「え、えぇ! こんなにはいただけませんよ!」


「よい。店を騒がせてしまった詫びだ。そこからシグルイ=ユラハの分も取ってくれ」


 ベレスは自分の代金以上の金をイーシャに渡していた。どうやら今日はただ酒にありつけるみたいだ。それなら今までの時間にも文句はない。

 巨体のベレスが立ち上がると、店内が狭く感じる。


「シグルイ=ユラハ、貴様に問いたい。今の世は平和か?」


 去り際に、ベレスは呟くようにオレに質問を投げかけてきた。


「……まぁ、平和なんじゃないか。あの時に比べたら」


 あの時、とはオレがまだ現役だった時代。混沌の王が力を振るい、世界に魔物が溢れていた時代だ。

 3年前の『第七次魔界遠征』で混沌の王を封印したことで、魔物の勢力は弱まり世界に平和が訪れた。一応、そのことに間違いはない。


 オレの返答に、ベレスは反応しなかった。こちらに背を向けたまま、酒場を後にする。オレはその広い背中を見送りながら、葡萄酒を傾けた。


「あいつは、何を考えているんだ……?」


 ベレスは、魔界遠征で5人の仲間を失っている。

 6人の一行パーティの中でただ1人、勇者であるあいつだけが生き残ってしまった。

 それはオレの一行パーティとは正反対の状況だ。

 喪失したものを考えれば、間違っても平和だなんて言葉を使うことはできないはずだった。


 もしかしたら、ベレスはすでに過去を受け入れて前に歩き出しているのかもしれない。いつまでもあの記憶に縛られ続けるオレと違って。

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