3-13、フィオの旅立ち


 翌朝。

 ドアテラさんの小屋で一夜を明かしたオレたちは、手早く荷物をまとめて出発の準備をした。


 一つしかないベッドは3人娘が占領したので、オレは藁を敷いて床に寝た。おかげで体のあちこちが痛い。酒が入っていなかったら、眠れもしなかったな。

 フィオは昨日と同じ黒のローブをまとい、白い布を巻いた杖を手にしていた。旅の荷物は小さな袋にまとめられている。


 旅支度を終えたオレたちは、別れを告げるためドアテラの巨大花の前に並んだ。


『シグルイ様、リース様、ユイファン様。我らの命を救っていただき、重ね重ね感謝を申し上げます。そして、フィオのことをよろしくお願いいたします。どうか、あなた方の行く道に女神の導きがあらんことを』


 ドアテラの惜別の言葉に、リースから返事をしていく。


「フィオちゃんと一緒に冒険することができて嬉しく思ってます! ボクの方こそ、フィオちゃんにお世話になるのでよろしくお願いします!」


「自分はあまり力にはなれなかったスけど……二人が無事でよかったっス。フィオは強いんで心配はいらないと思うっスけど、自分も一緒に頑張っていくっスよ」


 言葉を言い終えたリースとユイファンがオレをじっと見てくる。オレも何か言わなくちゃいけない感じか?


「まぁ、なんだ……頼りないかもしれないが、オレも一応こいつらのお目付役みたいなもんだからな。やばくなったら、守るぐらいはする。だから安心してフィオを送り出してくれ」


 そんなことを適当に言うと、後ろで「きゃあ、守るって言われちゃったよ!」「いやー、男の人に言われると恥ずかしいっスねー!」とリースとユイファンが勝手に盛り上がっていた。ガキどもめ、調子に乗ってるな。

 最後にフィオが前に出て、ドアテラの赤い花を見上げた。


「おかーさん」


 火霊術士サラマンダーの少女は静かな口調で、しかし確かな感情を込めて言葉を紡ぐ。


「フィオを育ててくれて、ありがとう。なにもなかったフィオに、たくさんの大切をくれてありがとう。この森が、フィオのおうち。おかーさんが、フィオの家族。どこにいても、そのことは忘れない」


 ドアテラは、じっとフィオの言葉を聞いていた。

 俗世を嫌って森の中に潜み、人との交流を絶ったはずのドアテラにしてもフィオと過ごした時間は特別だったようだ。

 地面から蔦が伸びて、抱きしめるようにフィオの体に優しく絡みつく。


『フィオ。あなたはこの森が育んだ、私の……自慢の娘です。広い世界を知り、健やかに育ってくださいね』


 うぅ……なんて感動的な場面なんだ。

 親子愛ものに感情を揺さぶられやすいオレは、思わず涙をこぼしそうになり顔を背ける。幸い、リースとユイファンも目の前の別れの場面に心を奪われて、涙目のオレには気がついていないようだった。


『これをあなたに差し上げます。一つしか作ることができませんでしたが、あなたの冒険の助けになることを願っています』


 フィオの目の前に、小さな茶色の塊が浮かび上がった。フィオはそれを手に取る。


『これは、私の土霊術士ノームの力を込めた種子です。この森からあまり遠くに離れてしまうと効果も薄くなってしまいますが、いざという時にはこの種を土に埋めてください。使う機会がなければ、お守り代わりにしても構いません』


 ドアテラなりにフィオを思っての贈り物だろう。土霊術士ノームの力が込められているとは、心強い。

 フィオは種を両手で握り締めると、ドアテラの赤い花を見上げた。


「ありがとう、大切にする。いってきます、おかーさん」


『ええ、いってらっしゃい——フィオ』


 名残惜しそうに幾本の蔦がゆっくりとフィオの体から離れた。フードを目深に被った精霊術士の少女は、巨大な花に背を向けた。


「フィオちゃん、もう出発していいの? 忘れ物はないかな?」


 リースが気を遣って、フィオに話しかける。フィオはふるふると小さく首を横に振った。


「大丈夫。行こう、みんな」


 フィオは最後にもう一度だけドアテラを見上げると、森の道を歩き出した。オレたちも、その後ろに続く。


 森の中を歩いている間、フィオは無言だった。もともと口数は多くないが、不安を感じているのかもしれない。

 そろそろ森を抜けるかという時、先導して前を歩いていたフィオの足が止まった。


「ここから先は、行ったことがない」


 そう呟くフィオは、小さく震えていた。未知の世界へ足を踏み入れることに恐怖を感じているのだろう。

 リースが隣に駆け寄ると、小さく震えるフィオの左手を取った。


「大丈夫だよ、フィオちゃん。ボクたちが一緒にいるよ!」


 その反対側では、ユイファンが杖を握っているフィオの手の上に自分の手を重ねる。


「そスそス。もう自分たちは仲間なんスから」


「…………うん」


 2人に手を繋がれ、フィオは恐る恐る森の出口へ足を踏み出していく。

 木々が途切れ、視界が開けた。

 草原が見える限りの向こうまで広がっている。さらにその先には青々とした山々が高い壁のように連なっていた。


 なんてことはない、普通の景色だ。だが、フィオは目を丸くして目の前に広がる光景に見入っていた。

 記憶を失ったこいつにとっては、これが生まれて初めて見る外の世界なんだ。


「すごいよね。見える景色の向こうにはもっと世界は広がっていて、ボクたちの知らない人たちや想像もできない自然がそこには息づいているんだ。ボクたちはその世界をどこまでも歩いて行く冒険者なんだよ」


 リースが目を細めて、フィオに言った。

 一陣の風が草原を駆け抜け、火霊術士サラマンダーの少女の頬をくすぐっていった。


「風の、匂いがする」


 フィオは黒のローブを風に揺らしながら、小さく呟いた。


「それはきっと、フィオちゃんの心がわくわくしているからだよ」


「わくわく?」


「そう。この先に何があるんだろう、何が待っているんだろうって楽しみになる気持ちだよ」


 リースに言われ、フィオは目を閉じて少し考えた後に答えた。


「そう……かもしれない」


 フィオの答えに、リースは花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。

 新しい仲間ができたことがよっぽど嬉しいんだろうな。


「それじゃあユイちゃん、フィオちゃん、ボクがせーのって合図したら一緒に跳んでね」


 リースが手を繋いだまま、2人に呼びかける。


「おお、了解したっス」


「跳ぶ?」


 ユイファンはリースが何をしようとしているか、すぐに気づいたようだ。一方でフィオは首を傾げている。

 3人娘は手を繋いだまま緩い傾斜の丘を下っていく。リースの「せーのっ」の掛け声で同時にぴょんと跳び上がり——



「冒険が始まるよっ!」



 リースの元気な声が、草原に響き渡った。


 オレはそんな3人娘の様子を、木々が作り出す影の中から見ていた。

 とてもじゃないが、あの中に混ざろうなんて思うことはない。オレの冒険は、すでに終わってしまっているんだからな。今の時間はあいつらのもんだ。

 あの光は、オレには眩し過ぎる——

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