幕間(ユイファン視点)、旅立ちの日に


      ◇  ◇  ◇


 街外れにある道場に戻った自分は、手早く荷物をまとめて宿舎を出る準備をした。

 もともと荷物は多くはない。着替えが数着と拳を守る手甲があればいい。旅立ちはなるべく身軽でいたい。


 同じ門下生や、世話になった師範代たちに挨拶をすると、最後に師範の部屋を訪れた。

 本棚だけが置いてある小さな部屋に、大師匠様——ローエン流道場の師範ヴァレン=ローエンはいた。総白髪の小柄な老人だが、佇まいに全く隙がない。

 かつては冒険者をしていたようで、30年以上前の『第五次魔界遠征』にも参加したことがあるという強者だ。


「……ユイファンよ、この道場を出ていくようだな」


 自分が切り出す前に、机に向かって書き物をしていた大師匠様が筆を動かしながら言った。


「は、はい! なので、その……お世話になった皆さんに挨拶を、と……」


 ダメだ。

 言いたいことはたくさんあるはずなのに、うまく言葉にできない。色んな感情が自分の中で渦を巻いている。


「己の中の獣は飼いならすことができたのか?」


 大師匠様からの質問に、緊張が走る。

 己の中の獣——自分の血に眠る半人狼ハーフウルフの力。大師匠様は、自分がいない場所でこの力が暴走することを危惧しているのだ。


 少し考えて、答えを出す。


「飼いならすことはできません。だけど、向き合いたいと思います。自分が授かった牙と爪は、親からの大切な贈り物ですから」


「ふむ。だが、暴走をした時はどうする? その結果仲間を傷つけた時はどうする? お前はそれでも、自分の血を誇ることができるのか?」


 少し前の自分なら、この問いにうまく答えることができなかっただろう。だけど今は大丈夫——自分はもう1人ではないのだから。


「そうですね。その可能性は大いにあります。自分は未熟で、この力の使い方を知りませんから。仲間に迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。だから、その時は……」


 新しく仲間になる2人の顔が頭に浮かんだ。


 不安になるくらいの天真爛漫さで、自分のことを受け入れてくれた勇者の少女リース。

 そして普段は全く頼りにならないが、なぜかたまにカッコいい無職のシグルイ。

 2人になら、自分のありのままをさらけ出せる。


「その時は、めっちゃ謝るっス!」


 自分の言葉に、大師匠様が筆を止めて初めて顔を上げた。その鋭い目に優しい光を浮かべて。


「いい答えだ。お前は自分の居場所を見つけたようだね。この道場の外に」


 大師匠様は椅子から立ち上がると、自分の正面に立った。目線が少しだけ低い。いつの間にか、背丈を追い越していたことに気がついた。


「この街にいる間は今まで通り宿舎を使ってよいが、それでも外へ出ることを選ぶのか?」


「はい! ありがたい申し出ですが、決意が鈍るといけないので。しばらくは、リース……一行パーティの仲間と同じ宿に泊まって、力と経験を蓄えようと思います」


「そうか。それでは、達者でな」


 短く言うと、大師匠様は自分に背を向け机に戻っていこうとする。


 ダメだ。


 自分はまだ、何も伝えられていない——!


「大師匠様!」


 声を張ると、白髪を揺らす背中が止まった。


「自分を……拾って、育ててくれて、ありがとうございました……! このご恩は、一生忘れません!」


 伝えたかった思いを声に出すと、自然と涙が溢れて止まらなかった。

 自分がこの場所へ来たばかりの時は、物陰に隠れて近づく者全てに威嚇をしていた。そんな自分に大師匠様は根気強く接してくれて、安心を与えてくれた。


 ずっと背中を追っていた。この人のように強くなりたいと、願いながら修行を続けてきた。

 自分は、この場所を旅立つ。だけど、ここで過ごした日々は決して忘れない。そのことはどうしても伝えたかった。


「ユイファン、小さき狼よ」


 大師匠様は背を向けたまま、声を発した。


「お前が巣立つことを選んだ、その覚悟に心から敬意を表する。たくましい足で世界をどこまでも駆けていくといい。心の赴くままに探求をして、冒険をしなさい。きっと世界はお前の好奇心に応えてくれるだろう」


 大師匠様は机に戻ると、引き出しを開けて中から小さな何かを取り出した。

 それは、透き通った琥珀色の石に穴を空けて紐を通した首飾りだった。


「……今から3年前、この道場にお前の母親を名乗る者が現れた。そして、この首飾りを預かった。お前が旅立つことを決めた日に渡してほしいとな」


「母さんが……⁉︎」


 自分は幼い頃、迫害から逃げる途中に母と生き別れてしまった。中途半端な半人狼ハーフウルフの自分とは違う、純粋な人狼族ウェアウルフの母。生きているかどうかもわからなかったが、まさかすぐ近くに来ていたなんて!


「言伝も預かっている。今はまだ会うことはできない。だが、その首飾りがいつか自分とお前を引き合わせてくれるだろう、とな」


 大師匠様から手渡された琥珀色の首飾りを受け取ると、手の中で少し熱を放った。

 原理はわからない、だがこの石は何らかの力を宿している。


 母はなぜ、自分に会おうとはしなかったのだろうか? この石が引き合わせてくれるとはどう言う意味だろうか?


 答えはわからない。


 だが、この旅路の先にきっと見つかるはずだ。


 首飾りの紐を首に通す。琥珀色の石は、まるで最初からそこにあったかのように自分の胸に収まった。


「では、行ってきます!」


 最後に一礼をすると、自分は道場を後にした。何度も門からは外に出ているはずなのに、いつもとは違う気持ちで一歩を踏み出した。

 不安と興奮がちょうど半分ずつ混ざり合った不思議な気持ち。

 自分の冒険は、ここから始まる——


「おーい、ユイちゃーん!」


 外で待っていたリースが、自分の姿に気づいて大きく手を振ってきた。自分は手を挙げてそれに応え、仲間のもとへ駆け出していくのだった。

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