2-10、半月と少女
四方八方からの糸に絡め取られたユイファンは、しばらく脱出しようともがいていたが、やがて観念したのかおとなしくなった。
「……自分の負けっスよ。もう暴れることはしないっス」
ユイファンの体に纏わり付いていた獣のような荒々しい殺気が消滅していく。戦う意思がなくなったことは、うなだれた様子からも伺えた。
オレは〈銀糸鋼線〉を解除する。解放されたユイファンは宙から放り出され、地面に転がる。
仰向けになったユイファンは、しばらく虚空をぼんやり眺めていた。
「よう、頭は冷えたか?」
オレがそう尋ねると、
「なんか、いろいろ自分への自信ってやつを失ったっス。歯が立たないってのはこう言うことなんスね」
その直後、かすかに笑みを浮かべる。
「でも、なんだか心が軽いっス」
「そうか。なら良かったよ」
オレが手を差し出すと、ユイファンはそれを素直に握った。立ち上がると、道着についた汚れを叩いて落とす。
「迷惑をかけてしまったっスね。殴りかかって申し訳ないことをしたっス」
「いや、オレも挑発するような言い方をして悪かった。もしもオレの言ったことがお前への侮辱に聞こえちまったなら、そこは謝りたい」
軽口を叩いたかもしれないが、決して侮蔑の気持ちを込めた訳ではないつもりだ。ユイファンは気にしていないとでも言うように、首を横に振る。
「村に戻りましょう。この変身もそろそろ解ける頃だと思うっス」
ユイファンは己の頭に生えた狼の耳を撫でながら言った。
どうやら
オレとユイファンは横に並び、だらだら歩きながら村への道を歩いていく。
とてつもなく体がだるい。一日山道を歩いた挙句、寝ることもできずに戦闘していたのだから、疲れて当然だ。正直、もう今この場で倒れてしまいたい。
「……自分は小さな頃、ある小さな村で親と一緒に暮らしていたんス。
歩いていると、ユイファンがポツリポツリと自分のことを話し始めた。
「逃げる途中、自分は親と離れ離れになってしまって、1人になってしまった。小さな自分は生き抜くために完全に狼になって、旅人や商隊を襲って食いつないでいたんス」
「それが、暴走状態か」
オレが呟くと、ユイファンは悲しげに頷いた。
「自分に対しての討伐依頼が出て、それでやってきたのが道場の大師匠様だったんス。自分は大師匠様に拾われ、ローエン流道場の門下生になった。大師匠様には感謝してもし切れないっス」
ユイファンの過去を知るにつれて、自分はなんて軽い言葉を投げつけていたのだろうかと心が痛んだ。
こいつにとっての外の世界は、自分を迫害してきた恐ろしい場所なんだ。道場の中に引きこもってしまったとしても、それは仕方のない話だ。
なんか偉そうに語ってた自分を殴りてぇ!
「いつまでもあの場所にはいられない。いつか、旅立とう……そう決めていたのに、自分に勇気がなくて決断を引き延ばしにしていた。だけど、ようやく踏ん切りがつきそうっス」
ユイファンが顔を上げ、晴れやかな表情でオレを見てきた。
「明日、リースに
「……あぁ、それがいい。きっとあいつは受け入れてくれるよ」
オレの言葉は軽くて、無神経なものだった。
だけど、ほんの少しでも誰かの背中を押すことができたなら、意味はあったのかもしれない。そう願いたい。
「だけど、もしも……また自分が暴走状態になって、誰かを傷つけてしまいそうになったら……その時は自分を止めてくれますか?」
ユイファンの問いかけに、オレは少し考えてから返答する。
「まぁ、なんだ。お前が暴れるなら、何度でも縛ってやるよ」
そう答えると、一拍置いてユイファンが吹き出した。
「アハハハハ! 何度でも縛ってやるって……それが決め台詞っスか!」
うるさい。どうせ決めようとしても決めきれない男ですよ。
いつの間にか、山中を抜けたようだ。頭上を覆っていた木々が途切れて、星空が一気に広がる。空気の澄んだ場所で見る星空は、透き通って美しい。
ユイファンが駆け出して、オレの正面に立った。
「シグルイくん」
名前を呼ばれ、オレはなんだかむず痒い思いをした。そう言えば、こいつから名前を呼ばれるのは初めてのことか。
「少々獣臭い者ですが、どうぞよろしくお願いするっス」
半月の光を浴びながら、少女は口の端から牙を覗かせ笑うのだった。
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