1-13、それは青き春の光か


 勝敗は決した。

 だが、やらやきゃなんねえことはまだある。


 オレは万が一のために〈銀糸鋼線〉で山羊の悪魔バフォメットの体を拘束した。戦棍メイスを拾うと、その先端をやつの頭に突きつける。


「一つ聞きたいことがある。お前に魔術を教えたのは、一体どこのどいつだ?」


 オレが尋ねると、山羊の悪魔バフォメットは動揺したのか体を震わせた。隣では、リースが小さく息を呑む。


『……ソンナコトヲ俺ガ話ストデモ思ッタノカ? 誰ガ貴様ノ頼ミナド聞クモノカ』


 鼻で笑われたが、少なくとも否定はしなかった。

 やはりこいつの裏には黒幕がいる。こいつの歪んだ心に漬け込んで、魔術を教えたやつが。

 恐らくは、混沌の神の勢力。その配下の者による裏工作だろう。


「オレはお前の意地じゃなくて、良心に聞いているんだよ。お前の中にもし、冒険者だった頃の思いが残ってるなら、街に潜む混沌の勢力の正体を話すんだ」


 オレは柔らかく尋ねたつもりだったが、何が面白かったのか山羊の悪魔バフォメットが大声を上げて笑い始めた。


? ? 笑ワセルナ! ナラバ勇者ヲ憎ム俺ハ最初カラ混沌ノ勢力ダッタノカ? 違ウ。俺ハ人間ダ。!』


 山羊の悪魔バフォメットが憎しみを込めた目でリースを睨んだ。〈銀糸鋼線〉で拘束された体を無理やり動かし、その手を伸ばす。


『勇者』


 迫る山羊の悪魔バフォメットの爪に、リースは体を震わせる。


『勇者……!』


 オレはその行為を止めることなく、ただ見ていた。なぜなら——悪魔の命はとっくに尽きていたからだ。


『勇者、勇者、勇者ァアアアア!!!!』


 伸ばした腕の先から、黒い塵となって崩れていく。体を保つだけの力が完全になくなったのだ。やがて山羊の悪魔バフォメットだったものは完全に形を失い、塵となって消えていった。


 怨嗟の声だけが、残響となって木々の間にこだました。

 リースは呆然と、宙に浮かぶ黒い塵を眺めていた。


「……ボクが、悪いのでしょうか」


 呟いたリースの目から、涙が自然に溢れる。


「ボクが、勇者に選ばれなければ、この人は悪魔になることもなく、仲間の人も死ぬことはなかったのでしょうか」


 オレはリースの頭に軽く手を置いた。


「違う。お前は悪くない。全然悪くない。悪いのはこいつと、それからこいつを唆して魔術を与えたやつだ。何度でも言うがお前は悪くない、一から、十まで、完全に」


 だが、こう言ったところでこいつはすぐに受け入れないだろう。

 悪魔の鉤爪は、確実にリースの心に傷をつけた。

 オレみたいに無駄に歳を重ねたやつと違って、ガキの心は脆くて柔らかい。つけられた傷が、そのまま跡になって残ってしまう。


 少し考えた後、オレはしゃがんでリースと目線の高さを合わせた。


「これは人から聞いた言葉だけど……勇者になるっていうのは特別な力を授かることじゃなくて、厳しい試練を与えられることなんだとよ」


 そう言葉をかけると、リースははっと顔を上げた。


「華々しい結果だけを見て妬むやつもいるが、それは勇者が受けた試練を見てないだけだ。紋章の花を咲かせる前に散っていっちまった勇者たちを、オレは何人も見てきた」


 山羊の悪魔バフォメットの男も、本当は気づいていたはずだ。だが、挫折した自分から目を背けるために、勇者を憎むことに縋った。成功者は特別な資質があったから成功したのだと、思い込むことにしたのだ。


「勇者なんて目立つことをやっていれば、今みたいに疎まれて、妬まれて、心ない言葉をぶつけられることもある。だけど、そいつもまた試練の一つなんだ。それでもお前はまだ、勇者であることを選び続けるか?」


 そう尋ねると、リースは涙を拭いてオレの目を正面から見てきた。


「ボクは……まだこの道を歩き始めたばかりです。ボクは力も、精神も弱くて、いきなりつまづいてしまっているけれど、それでもボクは諦めたくない。だって、だって……」


 少女勇者の翡翠色の瞳に、輝きが灯った。



「憧れた人になりたいって、夢見た自分になりたいって、心がずっと叫んでいるから!」



 オレは危うくリースの瞳から目を逸らしかけてしまった。

 あまりにもその瞳の輝きが眩しかったからだ。

 オレが失ってしまった、未来を信じる心——青き春の光。


 だが、その純粋さは危うさを秘めているようにも感じる。自分の命を狙ってきた相手にさえも、同情して傷ついてしまったように。


 影だ。

 この少女には影が必要だ。

 前だけを見て歩いていけるよう、背中で汚れ役を引き受ける暗い影が。


 もしかしたらそれは、自分に残された最後の役割なのかもしれない。

 何も守れず、何も救えなかった、惨めな男の、最後の——


「……そう言えるなら、まだまだ大丈夫そうだな。疲れたし、さっさと引き上げるか。依頼クエストの成果を組合ギルドに報告しなきゃいけないしな」


「はい!」


 オレが立ち上がりながら言うと、リースは元気よく返事をした。

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