1-10、銀の糸

 

 山羊の悪魔バフォメットがもがくと、周囲の木々が苦しむようにギシギシと揺れる。さすがに奴も自分が何をされたか気がついたようだった。


『貴様、コレハ……“糸”ダナ! 糸デ俺ヲ木ニ縛リ付ケテイルナ!』


「ご明察。視認しにくく、かつ丈夫。束ねりゃ空飛ぶ竜すら絡み取れる。それがオレの職能アーツ〈銀糸鋼線〉さ」


 オレは右手を前に出すと、それぞれの指先から一本ずつ糸を生み出して見せる。

 木々の隙間から差し込む光を反射し、糸が銀色に輝いた。


職能アーツダト⁉︎ 何ガ無職ダ! 無職ガ職能アーツナド持ッテイルハズガナイダロウ!』


 奴の言うことも最もである。しかし、物事には例外があるもんだ。


「転職って知ってるか? 今の戦職クラスを辞めて別の戦職クラスに変える行為さ。だけど使いこなして体に染み込んだ職能アーツは、転職をしてもそのまま使い続けることができる」


 なので、複数の戦職クラスに適正を持つ冒険者の中には、何度も転職をして多彩な職能アーツを身につける奴もいた。


「オレも前は冒険者をやってたんだ。その時に身につけた職能アーツが、無職になった後も染み付いて残っちまってるってわけさ。たちの悪い呪いみたいにな」


 職能アーツを使えると言っても、現役時代に使っていた30数個の内たったの4、5個だけだ。それらもきっと、いずれ消えていくのだろう。

 現に今使った〈銀糸鋼線〉の結界も、張り巡らせるのに随分時間がかかっちまった。リースが踏ん張ってくれなきゃ間に合わなかったかもしれない。


『コレシキノ糸ナド引キチギッテヤル! コノ、コノ……!』


 山羊の悪魔バフォメットは体に纏わり付いた〈銀糸鋼線〉を力任せに千切ろうと試みるが、そいつは無駄な努力だ。反動が使えないようにする縛り方くらい熟知している。


「あ、兄貴……今、助けます!」


 遠巻きに見ていたごろつき2人が地面に落ちていた剣を拾い、恐る恐る山羊の悪魔バフォメットに近付いていく。どうやら奴らも奴らなりに結束しているらしい。


『オオ、ソウカ……! オ前タチ、助ケテクレルノカ……』


 山羊の悪魔バフォメットが小走りに近寄ってくる仲間たちを見て、文字通り悪魔のような笑みを浮かべた。

 嫌な予感がする。


『ナラバ、俺ノ糧トナレ!』


 唯一自由に動く口が開き、そこから長い舌が飛び出した。舌はごろつき2人に絡みつき、宙に持ち上げる。

 舌に巻きつかれたごろつき2人が、みるみるうちにシワだらけになり老化していく。まるで命を搾り取られているみたいだ。


「あ、兄貴……どう、して……」


 それが最期の言葉だった。

 老人のようになったごろつき2人は砂になって崩れていく。その手から剣が離れ、虚しく地面に突き刺さった。


「うそ……仲間を食べたの…?」


 リースが信じられないものを見るような目で、風に巻かれて消えていくごろつきたちの残骸を眺めていた。


 魔術の本質は対価だ。何かを捧げることで、力を生み出す。こいつは仲間2人を生贄にして、自分の力に変えやがったんだ。

 体だけじゃない、こいつは心まで悪魔に堕ちてしまった。


『ククク……! 俺ハ本当ニ良イ仲間ヲ持ッタ。力ダ! 力ガ溢レテクルゾォ!』


 悪魔の体が肥大し、オレが張り巡らせた〈銀糸鋼線〉が音を立てて切れていく。

 あー、これはやっべえなあ。こうもあっさり自慢の糸を千切られると自信をなくしてしまう。オレが衰えているだけかもしれんが。


「リース、下がってろ。こっからはオレが戦う」


「で、では、ボクの剣を使ってください! 丸腰では戦えません!」


 リースが剣を両手に乗せて、横向きに差し出してくる。オレはそいつを手で制して断った。


「大事な剣なんだろ? 無くさねえようにしっかり持っときな。オレは落ちてるやつを再利用するから大丈夫だ」


 持ち主を失ったボロボロの剣が、地面に突き刺さっている。

 兄貴分に裏切られ、命を落とした馬鹿野郎どもの武器だ。


 別にごろつきどもがどうなろうと知ったこっちゃない。間違えた道を歩んだ結果の、ただの自業自得だ。

 だが、仲間を平然と生贄にしやがったクソ野郎が高笑いしているのを見ると虫酸が走る。


 カスみたいなオレだって知ってるんだぜ? ゴミはゴミ箱へってな。

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