作品と作者の人格一致考①それってどこまで?


作品は自分を映す鏡である。出典はググったけど確認できませんでした。似たような言及が幾つかヒットしたのでありふれた考え方なのでしょう。

しかし、残念ながらこの言葉を曲解して悪態をつく人々がネットにいるようです。

登場人物の素行が下品である、だからこの作者は人格破綻者だし、こんなジャンルを書く面々は醜悪であるとか、感想を作者の人格攻撃に向ける。

それヘイトスピーチですよ。

嫌いの表明まではいいけど作者の人格が醜悪だとかそういう醜い作品を書いている連中は筆を折れとか、感想だか誹謗中傷だかわからない発言を見かけます。



思想信条と犯罪の実行にはいくつもの段階があります。

不道徳なキャラクターが作品に登場するからと言って作者まで同一視されたんじゃ

おちおち悪役も描写できませんわ。

殺人事件がテーマの推理作家はシリアルキラーですか。

ホラー作家は残忍な性格ですか。

話の中に不倫が登場したら作家は浮気者ですか。

歴史戦記の作者は刀で人を斬り殺したいと思っていますか。

違いますよね。もしそれが本当なら服役者に小説を書かせればいいんです。

きっと凄い物が書けますよ。それを売って賠償金の足しにすればいいんじゃないですか。

ネットの創作論って技巧的な指南とかうなづけるものもたくさんあります。

しかし、素晴らしいなと思っても上記のような作家と作品の混同する悪意が混じってたりすると


せっかくの創作論も主観を盛って底上げしてあったのかとがっかりする。

浅薄だということですよ。

海苔弁当は美味しいしコスパは否定しませんけど主食にはなりませんよね。


いみじくもデビューを目指す物書きなら編集者の存在を知っていますよね。

なろう発が売れるからハーレムが流行っているからって「そのまんま」作者の原稿を出版するわけじゃありません。

商品価値を高める努力をしてるはずです。法的や道徳的に拙い部分は編集者や出版社の判断でカットされるでしょう。あるいは逆に「売らんがため」に法的ギリギリの表現に変更されたりします。それが編集という作業です。


映画「騙し絵の牙」には大作家二階堂の原稿に朱書きしたいという編集者が出てくる。

「書かされている」場合もあるので一概に作者の性格が悪いとは言い切れません。

書籍化作品はお金を取るのですからそれなりの質は必要でしょう。

しかし投稿サイトで素人の著述にまで品質管理を求めてどうするんでしょうか。

無料のボランティアで書いているのです。

コメント欄荒らしの常套句に「つまらない作品を読んで損をした。時間を返せ」というものがあります。

嫌なら読まなければいいのです。その為にランキングやレビューがあります。

作者だって執筆に時間を費やしているのです。

あとラスボスなど登場人物をゲスな性格に設定したり必要悪があります。

黒幕がどうしようもないクズだったけど、これって作者の分身だよね?なんて思われたらおちおち勧善懲悪ものも書けませんわ。


悪人を心理描写する際に犯罪史を紐解くことすらできない。


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