<想い-義連->

語り終えた永遠乃を前に、義連は掛ける言葉もなく、その細い体を見つめた。

(このような細い体で、この子はいったいどれだけの重荷を背負ってきたのだろう・・・・)

何も喋らない義連に、永遠乃は不安の眼差しを向ける。

「やっぱり、僕のこと嫌いになった・・・・?」

その絶望的な声に、義連は胸をつかれた。

何か言わなくては、そう思えども、言葉が口から出てこない。

「そうだよね、嫌いになるよね。だって、僕男娼だし・・・・その上お客に騙されて、親方様からくすねたお金を巻き上げられた馬鹿な奴だしね。きっと、罰が当たったんだ。お世話になった親方様から、お金盗んだりしたから・・・・」

うなだれたまま立ち上がり、永遠乃は小屋の戸に手を掛けた。

「僕、やっぱり・・・・!」

肩越しに振り返った永遠乃の体が、強く抱きしめられた。

「お・・・・お坊様っ?!」

「いいですよ、ここに居て。」

驚いて顔を上げた永遠乃の頬に、涙が一滴落ちた。

義連は両の瞳に涙を湛え、慈愛の表情を浮かべて永遠乃を見つめていた。

「可哀想に、どれだけ辛かったことか・・・・あなたの気の済むまでここにいてください。」

「え・・・・本当?」

「ええ、本当です。今、この寺には私一人ですので、何かと行き届かないこともあるとは思いますが、それでも構わないのであれば。」

透明な涙が、永遠乃の頬を伝い落ちる。

「あ・・・・ありがとう、ありがとう、お坊様!」

「お礼を言われる事などしていません。御仏は、全ての人を救うべく存在するもの。僧侶である私が、あなたを放っておける訳がありません。ああ、泣かないでください。さぁ、涙を拭いて。」

そっと永遠乃の涙を拭い、義連は戸口に立った。

「暫くお待ちいただけますか?必要なものを持って参りますので。」

「うん、ありがとう・・・・お坊様。」

「私のことは、義連、とお呼びください。」

義連が出ていき、小屋に残された永遠乃は、一人小さく笑いを漏らしていた。


「おはよう、義連。」

日がもう、西の山に隠れようとする時刻。

永遠乃は今起きたばかり、という出で立ちで小屋から出てくる。

「おはようございます・・・・という時間ではないと思いますが。」

渋い顔の義連に、永遠乃は不思議そうな顔で答える。

「僕、その日初めて会う人にはいつも、おはようございますって、挨拶してたんだけど。」

「そう、なのですか?」

「うん。そうだよ。」

「では、もう少し早く起きる習慣を身につけたらいかがですか?」

「・・・・もうずっと、早く起きた事なんて無いから。」

フッと、永遠乃の顔が翳る。

義連は、自分の失言を悔いた。

「これは・・・・申し訳ありません、出過ぎた事を・・・・」

「あ、いいの、気にしないで。僕、これからはできるだけ早く起きるようにする。ねぇ、義連。僕、なにかお手伝いできることない?」

小屋に住み着いて以来、永遠乃は夕刻に起きてきては、義連の側を子犬のようについてまわる。

夕刻に起きる永遠乃は、当然眠りに付くのも明け方近く。

永遠乃が眠りに付くまではと、付き合う義連の睡眠時間は、ほとんど無いに等しい。

幸いなことに、ここ最近、村人からのお祓いの依頼は来ていない。

それが義連にとって、せめてもの救いだった。

体は辛いが、毎日のお勤めを欠かすことはできない。和尚の留守中、この未連寺を守るものは自分しかいないのだから。

だが、できることならば、永遠乃とずっと過ごしたい。

何時の頃からか、義連はそう思うようになっていた。

お勤めなど放棄して、傷ついた永遠乃の心だけを癒したいと。

弾けるような笑顔の陰で、時折見せる苦悩の表情。

(万人を救う御仏に仕えていながら、少年一人を、救うこともできないとは。)

もどかしさに、義連は歯痒い思いで本堂の仏像に手を合わせる。

その頬は次第にこけてゆき、ただ強い思いを宿す瞳だけが、異様な輝きを放っていた。


(おや?どうしたのだろう?)

いつもの夕暮れ。

この時刻には必ず起きてくるはずの永遠乃の姿が、一向に現れない。

(何かあったのだろうか?)

義連は小屋の戸越しに呼びかけた。

「永遠乃、どうかされましたか?」

だが、返事は無い。

不審に思い、義連はそっと引き戸を開けた-そこに、永遠乃の姿はあった。布団の上にうずくまり、両の膝に顔を埋めて永遠乃は泣いていた。

「どうされたのですか?!」

慌てて駆け寄る義連に、永遠乃は顔を背けるようにして言った。

「義連・・・・ごめん、何でもないんだ・・・・」

「何でもなくて、泣く人がありますかっ!」

永遠乃の頬を両手で包み込み、自分の方へと向かせる。永遠乃は、涙で濡れた睫毛を伏せた。

「ほんとに、何でもないんだ・・・・夢を、見ただけ。」

「怖い夢でも見たのですか?」

「違う。あの人の・・・・火狩様の夢。」

義連の胸に痛みが走った。静かに、永遠乃の頬から手を離す。

「あの人に捨てられる夢・・・・ねぇ義連。あの人は、最初から僕を騙すつもりだったのかな・・・・僕は、あの人に愛されて無かったのかな・・・・」

新たな涙が湧き上がり、再び永遠乃の頬を濡らす。

そして、その瞳が義連に救いを求めるように向けられた。

「僕、愛されてなかったんだね、きっと。」

自然と手が伸び、義連は永遠乃を抱きしめていた。

「そんな男の事は、忘れてしまいなさい。」

「義連・・・・?」

「あなたには・・・・私がいるではありませんか。」

震える声で、義連はそう囁いた。

「私では、あなたの心の支えにはなれないのですか?」

「義連・・・・」

永遠乃から体を離し、義連はじっと永遠乃の瞳を見つめた。

「傷ついたあなたの心を癒して差し上げたいと、ずっと思っていました。それは・・・・私では不可能なのですか?」

「ありがとう、義連。でも・・・・それは愛じゃないよね、同情だよね・・・・」

淋しそうに微笑み、永遠乃は義連から視線を外した。

「義連は優しいから、同情してくれてるんだよね、僕の身の上を知って。」

「違います。」

静かに、しかしきっぱりと義連は告げる。

「私は、あなたを愛しています。」

「・・・・!」

驚きの瞳で自分を見つめる永遠乃に、義連はバツが悪そうに微笑む。

「修行中の僧侶の身でありながら、私は少年であるあなたを愛してしまいました。しかし、私は僧侶である前に、一人の人間です。一人の人間として、あなたを愛しています。愛しているからこそ、あなたを救いたい。あなたの傷ついた心を癒したいと願うのです。」

「・・・・じゃあ、僕を愛しているのなら・・・・僕を抱ける?」

永遠乃の直接的な言葉に、義連は一瞬躊躇する。だが、次の瞬間には、真っ直ぐに永遠乃の瞳を見つめていた。

「それはできません。」

「なんで?なんでなの?茶屋に来たお客の中にだって、お坊様はたくさんいた。女を抱く事は禁忌でも、男ならいいんでしょ?!」

永遠乃の悲痛な声に覆い被せるように、義連は言葉を継いだ。

「肉体関係だけが、愛情の表現という訳ではありません。あなたはそのような世界に染まりすぎていて理解できないかもしれませんが、肉体関係が無くとも、愛情は確かに存在するのです。」

そして、再び腕を伸ばして永遠乃の細い体を抱きしめる。

「信じてください。私はあなたを愛しています。あなたの心を癒したい。決して、あなたを裏切るようなことはいたしません。」

義連の紡ぐ言葉は、永遠乃にはどこか遠い国の言葉であるかのように聞こえた。

だが、その穏やかで優しい声は、永遠乃の強ばった心に心地よく染み込み、永遠乃はまた、義連の腕の中で子供のように泣きじゃくっていた。


「義連、お願いがあるの。」

突然永遠乃がそう言い出したのは、それから間もなくのこと。

「何ですか?」

永遠乃の髪を優しく撫でながら、義連は問う。

夜毎、義連は永遠乃のいる小屋を訪ねた。

共に同じ時間を過ごす。

ただそれだけのことが、二人にとってはこの上なく穏やかで満たされたものとなっていた。

「あのね、お祓いを一件、お願いしたいんだ。」

「お祓い?」

義連の表情が引きしまる。

「突然、どうしたと言うのです?」

「村の人達が話しているのを、ちょっと聞いたんだ。」

永遠乃は義連の真剣な表情に驚きながらも、話し始めた。

「ちょっと前、義連が一生懸命お祓いしてたことがあるって。その事で、思い当たる事があって。」

「思い当たる事とは?」

「うん、僕の知り合いの子。その子も男娼だったんだけど、義連がお祓いをし始めるちょっと前に、沼に飛び込んでるんだ。」

「なんと・・・・」

永遠乃の話で、義連はやっと納得がいった。

(それで、青年ばかりが・・・・)

「それでね、今は落ち着いているみたいだけど、その子、気性の激しい子だったから、このまますんなりと終わるとは思えないんだ。だから、今落ち着いている内に、ちゃんとお祓いしちゃった方がいいと思って。」

「ええ、その通りですね。あの件ではほとほと手を焼きましたから。」

溜め息混じりの義連の言葉に、永遠乃は小さく笑いをこぼす。

「何がおかしいのですか?」

「ううん、何でもない。ねぇ、義連。お祓い、引き受けてくれる?」

「ええ、もちろんです。早速明日にでも・・・・」

「あのね、義連。」

力強く頷く義連に、永遠乃が言いにくそうに言葉を掛ける。

「一日じゃ、無理だと思う。」

「それは何故ですか?」

「えっと、だってあの子、相当な恨みを残していると思うし、お祓いするのさえ難しいかもしれない。そうしたら、封印しちゃってもいいよね、あの沼に。もう悪さができないように。」

義連は驚いて永遠乃を見つめた。

「良く知っているのですね、そのようなことまで。」

「えっ・・・・いや、まぁ。」

へへっ、と舌を出し、永遠乃は笑った。

「茶屋にいた頃に、人から聞いただけだよ。」

「そうですか。何にせよ、早速明日から取りかかりましょう。では、おやすみ、永遠乃。」

「うん。おやすみ、義連。」

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