<永遠乃>
「いいかい、永遠乃。私が言った通りにするんだよ。」
「はい、親方様。」
返事はしたものの、不安そうな顔を隠せない永遠乃に、太一は苦笑いを浮かべる。
(・・・・無理もないか、こいつはまだまだ子供だ。しかし、そうやっていつまでも先延ばしにしちゃ、旬が過ぎちまうしな。いかんいかん、情が移ったか、こりゃ・・・・)
「そんな顔をするな。大丈夫だ、今日のお客はうちの常連。手荒なことはせんだろう。それに、お前ならば・・・・」
くい、と顎に手を掛け、永遠乃の顔を上向かせる。
10歳にして、すでに色気を漂わせているその顔は、この世のものとは思えないほどに、艶やかで美しい。
「きっとお客も気に入るさ。ほら、笑ってみろ。」
「・・・・こう?」
目を潤ませながら、無理に浮かべた作り笑いも、理性を吹き飛ばしそうになるくらいに妖艶で、太一は、爆発しそうな感情を抑えるのに苦労しつつ、永遠乃をぎゅっと抱きしめた。
「そう、そうだ。いい子だ、永遠乃。さ、もうすぐお客がいらっしゃる。お前は先に座敷で待っておいで。」
「はい。」
素直に頷き、座敷に向かう細い体を見送りながら、太一は複雑な想いを胸に抱いていた。
(あの赤ん坊があんなべっぴんさんになるとはねぇ。)
10年前の年の瀬。
太一の茶屋にやってきた、一人の女。
女は、布にくるんだ赤ん坊をお金に換えるべく、太一の元を訪れた。
「ねぇ、旦那。この子、いくらになる?」
少年ならば幾人かもらい受けたことのある太一であったが、生まれて間もない赤ん坊をもらい受けるのは初めてだった。
「そういわれても、こんな小さな赤子ではねぇ・・・・」
「ちょいと旦那。あたいの顔をよーく見て考えておくれよ。この子はあたい似だよ。将来必ず売れっ子になるさ。ねぇ、旦那。お願いだよ。よく考えてみておくれよ。」
言われてみれば、女はかなりの器量良しであり、赤ん坊も、女に似ていなくもない。
(しかしねぇ・・・・)
しぶる太一にしびれを切らしたのか、女は
「そうかいそうかい、分かったよ。他を当たってみるよ。後悔したって遅いんだからねぇ!」
と、茶屋を出ていこうとした。太一はとっさに言っていた。
「わかった。あんたの望みはいくらだい?」
そうして女からもらい受けた赤子。
それが永遠乃だった。
(まったく・・・・赤ん坊なんて触ったこともなかったこの俺が育てたんだからな。手間もかかったが、ありゃ上出来だ。)
そう思って満足する一方、何故か物寂しい想いが胸の片隅を占領しているのを、太一は無視することができずにいた。
(俺も年かな。こんな、感傷的になるなんてなぁ・・・・)
(お客さんの言うことは全部聞いて、あとはお客さんに任せればいいんだ。ほんのちょっとの我慢なんだ・・・・)
畳の上に敷かれた布団の上。心細そうに体を小さくして座り、永遠乃はお客を待った。
成熟しきっていない少年の体。
細い肩は緊張と不安とで、小刻みに震えていた。
自分の住んでいるこの場所がどういう所であるのか。そして、自分は何の為にここにいるのか。
永遠乃は幼い頃から知っていた。
そして今。
その現実に直面している。
(怖い・・・・怖いよ、親方様・・・・)
不安に耐え切れず、太一の元へ戻ろうと戸口に駆け寄った時、外側から戸が開かれた。
「これは・・・・お出迎えとは気の利く子だ。」
ハッと息を飲み、後ずさる永遠乃の腕を引き寄せ、男はじっと永遠乃の顔を見つめた。
「ほぉ、これは太一が自慢するだけのことはある・・・・永遠乃と言ったな?お前は必ず評判になるぞ。」
震える永遠乃の頬を指でなぞり、男はその指を顎にかけ、いまだ誰も触れたことのない唇に口付けた。
(・・・・我慢・・・・我慢、しなきゃ・・・・)
きつく閉じた永遠乃の唇に、男の舌が割って入ってくる。
(いや・・・・だ、苦しい・・・・)
不安と恐怖と嫌悪感。
永遠乃は体の震えを抑えることができなかった。
(助けて・・・・親方様!!)
「怖い、のか?震えているな・・・・初めてならば無理もなかろうが。大丈夫だ、私に全て任せるんだ。」
男は優しく微笑み、軽々と永遠乃を抱き抱えると布団の上に横たえた。
「・・・・旦那様?」
泣き出しそうな永遠乃の声に、男は微笑みながら永遠乃を抱きしめ、耳元で囁いた。
「旦那様はやめてくれないか。火狩と呼んでくれ。」
「火狩、様・・・・っ!」
するすると帯が解かれ、火狩は巧みに永遠乃を導いていった。快楽の淵へと。
「永遠乃、お客だよ。」
「え・・・・誰?」
けだるそうに振り返った永遠乃に、太一は思わずドキリとする。初めてお客を取ってからはや5年。15歳にして、永遠乃は押しも押されもせぬ売れっ子となっていた。
「お前のいい人さ。」
「えっ、ほんと?!」
とたんに、永遠乃の顔がパッと輝き、
「じゃ、親方様、僕、お座敷入ってきまーす!」
飛ぶような足取りで控えの部屋を出て行った。
(・・・・まだまだ子供だな。)
子供のような素直な喜びように、太一はホッと胸をなで下ろした。
実際、太一は怯えていた。永遠乃がどこか遠くへ行ってしまいそうな予感に。
(ばかばかしい、あれがどこへ行くというんだ。)
「火狩様・・・・お待ちしてました・・・・」
部屋へ入ってきた男の胸に、永遠乃は飛びついた。
「すまない、準備に手間取っていて・・・・」
男は、永遠乃の髪を優しく撫でながら、甘い声で囁く。
「でも、全てお前の為だよ、永遠乃。愛している。」
「僕も・・・・僕もです、火狩様・・・・」
二人の唇が重なる。
永遠乃は、ねだるように男の首に手を回した。
「火狩様・・・・」
しかし、男は永遠乃から体を離すと、
「すまない、永遠乃。時間が無いんだ。まだ準備が済んでいない・・・・」
「えっ・・・・」
淋しそうな永遠乃の瞳に男はそっと口づけ、優しく髪を撫でた。
「そんな顔をするな、あと少しの我慢だ。そうすれば、ずっと一緒にいられるじゃないか。」
「・・・・うん。」
淋しさを抑え、無理に笑顔を作ると、永遠乃は懐から包みを取り出し、男にそっと手渡す。
「はい、これ。ごめんなさい、僕、これしか用意できなかった・・・・」
「ありがとう、永遠乃。大丈夫、これだけあれば何とかなるさ・・・・いや、何とかしてみせる。」
「うん・・・・信じてる。」
身を擦り寄せる細い体を力強く抱きしめ、男は何事かを永遠乃の耳に囁いた。
永遠乃の顔に緊張の色が走る。
男は、もう一度永遠乃を抱きしめると、部屋を出て行った。
その後ろ姿を、永遠乃はそっと見送った。
(ん?おかしいな、合わない・・・・)
「親方様。」
夜更け。
部屋で金勘定をしている太一の元へ、薄い夜着を纏った永遠乃が訪ねてきた。
「なんだ、どうした永遠乃。」
「あのね、ちょっと煙草きらしちゃって。買ってきても、いい?」
この言葉に、太一は渋い顔をする。
「この間買ったばかりじゃないか。あんまり吸うなと言っているだろう。」
「ごめんなさい、でも・・・・吸わないと落ち着かなくて・・・・」
睫毛を伏せ、俯く永遠乃には、太一もかなわない。
「わかったわかった、行っておいで。でも、もうちょっと控えるんだぞ。」
「ありがとう、親方様。では、行って参ります。」
そう言うと、口元をほころばせ、永遠乃はいそいそと茶屋を出た。
「まったく、こんな時間に・・・・」
ふと、時計を目にした太一は、永遠乃の言葉が気になった。
(こんな時間に、一体どこの店で煙草など売っているというんだ・・・・?)
一方、永遠乃は茶屋を出ると、一目散に山の方へ向かって走り出した。
目指すは、山の麓の沼のほとり。
『子の刻に沼のほとりで・・・・待ってるよ、永遠乃』
火狩の言葉に胸が熱くなる。
(火狩様・・・・今すぐ参ります・・・・)
永遠乃の初めてのお客と同じ名の男。
姿形は違えども、その優しい手つきと男が誘う快楽の波は、初めてのお客の火狩を思い起こさせた。
火狩は、あれから一度も永遠乃の元へは来ていない。
待ちわびて、恋い焦がれて。
そんな時に現れた男が、同じ名を持つ男、火狩だった。
永遠乃は、すぐに恋に落ちた。
初めての、身を焦がすほどの激しい恋に。
「火狩様・・・・永遠乃です。永遠乃が参りました。」
しかし、呼べども一向に男が現れる気配は無い。
「火狩様、永遠乃です。どこにいらっしゃるのですか?」
(まだ・・・・いらっしゃってないのかな・・・・)
永遠乃は男を待ち続けた。
何時間も待ち続けた。
自分を捜しに来るかもしれない、親方の姿に怯えながら。
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