<義連>

「これ、義連。こちらへ参れ。」

「はい、和尚様。」

和尚に呼ばれ本堂へ行くと、和尚は慌ただしく出かける仕度をしていた。

「和尚様、おでかけですか?」

「そうじゃ。実は本山の方で揉め事が起こっているようでな。暫くここへは戻れそうにないのじゃよ。」

「暫く、といいますと?」

「そうじゃなぁ、3、4ヶ月はかかるじゃろうなぁ。」

とたんに、義連の顔に不安の表情が見え始める。

その顔に、和尚は苦笑を浮かべて言った。

「義連よ、そのような顔をするでない。お前はもう立派な僧侶なんじゃよ。わしが居らずとも充分この寺を守っていけるだろうて。ゆくゆくは、この寺はお前に譲るつもりじゃからな。お前には、わしに頼らずしっかりしてもらわねばならんのじゃよ。今回のことはいい経験になるじゃろうて。」

「和尚様・・・・」

それでもなお、不安を隠しきれずにいる義連に、

「わしはもう出立せねばならないが、後のことは任せたぞ。それから、お前にこれを渡しておこう。お前にはまだ、お札に念を込めるのは早いじゃろうて、わしが何枚か念をこめておいた。何かあったら使うとよい。では行って参る。」

と言い残し、手に持っていた一束のお札を義連に渡すと、和尚は急ぎ本山へと向かって行った。

「そんな、私一人ではやっていけるわけが・・・・」

和尚が向かった方角を恨めしげに見つめ、義連は大きな溜め息をついた。

「それでも、なんとかやっていかねばなるまいな。」

心細さを振り切るように、義連は真っ直ぐに前を見据え、本堂の仏像に手を合わせた。


物心ついた時分から、義連はこの『未連寺』で和尚と二人きりで過ごしていた。

和尚から聞いた話では、ある冬の夜、まだ赤子だった義連が、寺の門の前に布に包まれて置かれていたとのこと。不憫に思った和尚が、義連を育て上げたという。

義連はこの寺を継ぐべく僧侶として幼い頃から和尚に教育され、なんの疑問も持たずに僧侶となった。

これまでずっと、和尚と二人で過ごしてきた未連寺。

数日間の和尚の不在は何度かあったが、長期の不在はこれが初めて。

義連が未連寺に来てから23年が過ぎている。

境内の木々には、新緑が芽吹き始めていた。


「ごめんください。」

和尚が寺を空けてからひと月ほど経ったある日の夜中。

義連が最後のお勤めをしていると、門の方から声が聞こえた。

(このような夜中に、一体誰が・・・・?)

不審に思いながらも門まで出てみると、見覚えのある村人が、せっぱ詰まった様子で立っていた。

「いかがいたしましたか。」

「おや、これは義連様。夜更けに相済みませんが、和尚様はいらっしゃいますか?」

「いえ、和尚は急な用事で出かけており、しばらく留守にすると申しておりましたが・・・・何かお困り事でも?」

和尚が不在と聞いた村人は、困り果てたように肩を落とす。

だが、すぐに縋るような目を義連に向け、話し出した。

「実はうちの息子のことなんですが。」

「息子さんが、どうかされたのですか?」

「はい。どうも、様子がおかしいのです。色恋に溺れているのだろうと、少しばかり放っておいたのですが・・・・相手が、人間ではないようなのです。」

最初、義連は自分がからかわれているのではないかと思った。

だが、目の前の村人の顔は真剣そのもの。

「人間では、ない?」

「信じていただけないかもしれないですが、息子は何かに取り憑かれているようなのです。」

「一体、何が?」

「それが・・・・」

義連の問いに、村人は口を濁す。

「わからないのです・・・・」

「わからない?」

「見えないのです、私には。」

「見えない?」

「はい・・・・私には全く、見えないのでございます!」

村人は、震える手を握りしめ、真剣な眼差しで義連に訴える。

「息子がしゃべりかけている相手が、手を取り合っている相手が、全く見えないのでございます。息子は、何もない宙に向かって話しかけているのでございます!」

「なんと・・・・!」

「お願いでございます、義連様。どうか息子をお助けください。このままでは息子は・・・・」

村人は、涙を流して頭を下げた。

しかし、義連はまだ全てを信じることができずにいた。

そのようなことが、本当にあるのであろうか?

だが、村人が嘘をついているようには見えない。

和尚が居ない今、村を守るのは自分の務め。

義連は村人の手を取り、優しく微笑んだ。

「承知いたしました。私で出来ることであれば、全力で息子さんをお助けいたします。まずは、息子さんの所まで私を案内していただけますか?」


向かった先で、義連は我が目を疑った。

村人の息子は、一目見て病的なほどにやせ細り、だがその瞳は異様なほどの光を帯びて、宙に向かって話しかけていた。

村人に席を外すよう伝えると、義連は息子に向かって話しかけた。

「相済まないが、少し私の話を聞いてはもらえないだろうか?」

「あ、義連様・・・・あ、おい、どこへ行くんだ!」

突然、村人の息子が立ち上がり、義連の目には見えない何ものかを追いかけ始める。とっさに義連は、その体を押さえつけた。

「行ってはいけない、君は不浄のものに取り憑かれているのだ!」

「離せ、離してください!あの子が行ってしまう!お願いだ、離してくださいっ!」

暴れる男のみぞおちに拳を当て、義連はぐったりとした男を床に横たえた。

「あの・・・・義連様?」

外で騒ぎを聞いていた村人が、ぐったりとした息子を見て悲鳴を上げた。

「これっ、しっかりせんか!義連様、これは一体どういうことで?!もしや、もう手遅れだったと言うのですか?!」

「いえ、心配には及びません。ただ少し、落ち着かせるために手荒なことをしてしまいましたが、じきに目を覚ますでしょう。息子さんはもう、大丈夫です。不浄のものは、何処かへ逃げ去ったようですから。」

「では、息子は・・・・息子は助かったのですね。」

「ええ。」

義連の言葉に、村人は涙を流して頭を垂れた。

「ありがとうございます・・・・ありがとうございます、義連様!」

「ああ、どうかお顔をお上げになってください。」

義連は村人の手を取り、頭を上げさせた。

「あなた方のお役に立つことが、この義連の務めです。」

村人は、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、義連に向かって手を合わせた。

「ありがたや・・・・ありがたや・・・・」

「うっ、うう・・・・」

村人の後ろで、息子が目を覚ます。

「あれ?俺、なんでこんなところで寝ちまったんだ?」

「おお、目が覚めよったか。心配かけやがって、この親不孝者がっ!」

村人は、息子の頭を拳で殴り、強く抱きしめる。

「いってっ!何なんだよ・・・・あれ?義連様?どうかなさったんですか?何かあったんですか?」

息子は、取り憑かれていた間の記憶を全て無くしていた。

親と義連から話を聞かされて、ひどく驚いた顔をしていたが、やがて義連に深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。あぶない所を助けていただいたんですね。ほんとうに、ありがとうございます。」

「いえ、お役に立ててなによりです。しかし、まだ安心するには早いかもしれません。念のため、お祓いとお清めをしておきましょう。それから、暫くの間はこのお札を戸口へ貼っておいてください。」

懐から一枚のお札を取り出し、義連は村人へと渡した。

「このお札は、和尚が念を込めたもの。必ずや息子さんを不浄のものから守ってくれるでしょう。」

「ありがとうございます・・・・」

村人は、恭しくそのお札を義連から受け取った。

「では、お祓いとお清めをいたします。」

義連は懐から念珠を取り出し、お経を唱え始めた。

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