<未連寺にて-少年あつし->

山の中は、あつしにとっては初めての経験だった。

親にはいつも、山に行ってはいけないと言われていた。

僧侶の手をぎゅっと握りしめ、あつしは怖々とあたりを見回す。

「怖いのか?」

「うん、少し・・・・」

「何が怖い?」

「う、んと・・・・来たことないし、ちょっと暗いとこ。」

「暗いのは、怖いか。」

「うん、少し。」

「じゃあ、寺はちょっと怖い所かもしれないな。」

からかうように、僧侶は笑った。

「えっ、お寺、暗いの?」

「少し、な。でも私がついていれば怖くないだろう?」

「うん!僕、お坊さんが一緒だから怖くない!」

そう言って、あつしは僧侶の手をしっかりと握り直した。

しばらく歩くと、急に視界が開け、小さな寺が姿を見せた。

「あ、お寺!」

僧侶の手を離し、あつしは駆けだした。

初めて見る寺に、あつしは興奮した。

こぢんまりとした、だがしっかりした作りの寺。

控えめな門の上には大きめの木の板が掛けられていて、そには何やら文字が書かれているが、まだ習っていない漢字のため、あつしには読むことができない。

「ねぇ、お坊さん。これ、何て書いてあるの?」

「ああ、これはな、未連寺って書いてあるんだよ。」

まぶしそうに目を細め、僧侶はその板を眺めた。

もう、日は傾き始めている。

「みれんじ?」

「この寺の名前だよ。さぁ、中へお入り。」

僧侶の言うとおり、中は薄暗く、ひんやりとした空気があつしの体にまとわりつく。

あつしは慌てて、僧侶の側に駆け寄った。

「どうした、怖いか?」

「・・・・すこし、怖い。」

「そうか、やっぱり怖いか。あははっ、しょうがないな、あつしは。」

そう言うと、僧侶はあつしの手をとって、本堂へと連れて行った。

「ここならば怖くないぞ、あつし。何と言っても、あの仏様がしっかりと見守っていてくださるからな。」

僧侶の示す方を見ると、正面に大きな仏像が奉られていた。

仏像は、慈愛の表情を浮かべて、僧侶とあつしを見下ろしている。

「うわぁ・・・・おっきい仏様だぁ。」

「ここならば怖く無いだろう?」

「うん、怖くない。」

それは嘘でも強がりでもなく、あつしにはその本堂全体が、何か温かいものに包まれているような気がした。

「では、少しここで待っていてくれないか?今、お茶を入れてくるからな。」

本堂にあつしを残し、僧侶は奥へと消えた。

「おっきいなぁ、仏様。」

あつしは、吸い寄せられるように仏像の側へ寄り、真ん前に腰を下ろした。

「すごいなぁ、こんなに大きい仏様。」

暫く眺めていると、ふいに背後で人の気配がし、てっきりあの僧侶が戻って来たのだと思ったあつしは、

「僕、この仏様大好きになっちゃった!」

と言いながら後ろを振り向いた。と、そこに居たのは先ほどの若い僧侶ではなく、年老いた僧侶。

「おや、これはかわいいお客さんじゃな。」

その年老いた僧侶は優しげな笑みを浮かべ、あつしの側に座ると静かに念仏を唱え始めた。

低くよく通る念仏を聴きながら、あつしはじっと仏像を見つめ続けた。

それまで念仏など聴いたことは無かったが、なんだかとても心が落ち着くような気がして、あつしは静かに最後まで聴き終えた。

「おやおや、坊やまだいたのか。」

読経を終えた僧侶は、驚いたようにあつしに声を掛けた。

「退屈じゃろう、読経を聴くなど。」

「ううん、そんなことないよ。」

「そうかそうか、面白い子じゃのう、坊やは。これ、こっちへこんか?」

立ち上がると、年老いた僧侶はあつしを縁側へ呼び寄せる。

「ここの方が日が当たってよかろう。待っておれ、今麦茶でも持って来るからの。」

そう言って歩きかけた僧侶の袈裟の裾をつかみ、あつしは言った。

「あのね、お茶ならもう一人のお坊さんが持ってきてくれるって言ってたよ。」

「もう一人?はて・・・・この寺に僧侶はわししかおらんが。」

年老いた僧侶は、怪訝そうな顔であつしを見た。

「え?でも、僕そのお坊さんにここまで連れて来てもらったんだ。さっき、あの仏様の所まで連れてきてくれて、お茶を入れてくるから待ってて、って言ってたんだよ。」

あつしの言葉に、年老いた僧侶は何事かを考えているようで、

「坊や、とりあえずここに待っておれ。」

と言うと、奥へと姿を消した。

「なんだろう・・・・変なの。」

間もなく年老いた僧侶は、麦茶と煎餅をのせたお盆を手に戻ってきた。

「わし一人じゃからこんなものしか無いがの。」

あつしの前に麦茶と煎餅を置くと、僧侶もあつしの隣に腰を下ろした。

「奥にはやはり、坊やの言うような僧侶はおらんかったが・・・・坊や、その僧侶はどんな風であったかのぉ?」

「うーんとねぇ・・・・」

煎餅を頬張りながら、あつしは若い僧侶の姿を思い浮かべる。

「優しそうな人だったよ。」

「年はどれくらいかの?わしくらいかの?それとも若かったかの?」

「若かったよ。」

「坊やはその僧侶とどこで会ったんじゃ?」

「あのね、山の下の沼の所。」

「・・・・なんと!沼じゃと?!」

年老いた僧侶の顔に驚きの表情が広がる。

「うん。お坊さんね、お祈りしてた。むかしそこの沼で死んだ人がいてね、その人がじょうぶつできるようにお祈りしてたんだって言ってたよ。」

「・・・・そうか、そうじゃったか。」

「うん。僕はね、しょうたに置いてけぼりにされて、一人でいたの。そうしたらね、じゃあお寺に行こうって連れてきてくれたんだ。」

「坊や、その僧侶は何て言う名前だったかの?」

「うんと・・・・知らない。」

あつしの話を聞き終えた後、しばらくの間、年老いた僧侶はじっと目を閉じていた。

その隣で、あつしは麦茶を飲みながら、ぼんやりと若い僧侶が戻って来るのを待っていた。

(どうしたんだろうなぁ、お坊さん。遅いなぁ・・・・)

しばしの後、年老いた僧侶はようやく口を開いた。

「坊や、退屈じゃろう、こんな寺にいても。」

「ううん、僕お寺に来たの初めてだから、退屈じゃないよ。」

「そうか。坊やは、坊やをここまで連れてきた僧侶のことを好きか?」

「え?うん、好きだよ。だって、優しいもん。それにね、お坊さん、しょうたは僕の事が好きなんだって教えてくれたんだ。もっと大きくなったら、しょうたは僕と遊んでくれるようになるって言ってくれたんだよ。だから僕、あのお坊さんのこと好きだよ。」

「そうか・・・・どうじゃ、ではこの坊主の話を聞いてはみんか?」

「え?お話?」

「そうじゃ、坊やをここまで連れてきた僧侶のお話じゃ。」

「え?なんだ、じゃあやっぱりあのお坊さんのこと知ってるんだね?」

「ああ、そうじゃ・・・・よく知っておるわ。どうじゃ、聞いてみるか?」

「うん、聞く!」

目を輝かせて身を乗り出すあつしを、年老いた僧侶は目を細めて見つめた。

「ちょいと長いがな・・・・あの僧侶の名前は義連と言うてなぁ・・・・」

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