第7話 尾田さんの悩み

「大丈夫?」


 壁に手をついていたオレを、尾田さんがのぞき込んでいる。本当なら、こんなコノミ似の声で言われて、舞い上がってしまいそうなのに、真面目そうな彼女の顔が、気持ちを落ち着かせた。


 いや、しかし、かっこ悪いところを見られてしまった。


「大丈夫だよ、ごめんね。抱きついちゃって」

「あれは……仕方ないよ」


 尾田さんが口に手を当てて、優しい目をしていた。彼女は、地味ではあるけど、特別ブスという訳じゃない。


 あ……なんか、その表情いいな。


「天ちゃん! どうしたの?!」


 そんな事を思いながら、見惚みとれていると、オレの様子に気づいた桃花が、友達をつれて寄ってきた。


「何でもないよ」

「具合でも悪いの?」


 桃花が、尾田さんを、眉を寄せて横目で見ている。それに、なんかイラっとした。


「何でもないって言ってるだろ! 早くいけよ」


 自分でも、強く言ってしまったと思う。


「私、行くね。ありがとう」


 だけど、それに答えたのは尾田さんだった。オレと、桃花たちが、彼女の背中を無言で見送る。


「ありがとう、ってなに?」


 なんだよ、コイツ。突っかかりやがって。


 イライラする。なんでかはあまり分からないけど、新しい発見をして、これからって時に、邪魔をされてしまった気分だった。


「困ってたから、少し助けただけだろ」

「少しで抱きつくワケ?」


 むむ、コイツ……見てたのか。


「しょうがないだろ?! 人混みで押されてたんだから!」


 オレは桃花の方を向いて、腰に手をあてた。


「天ちゃん、いつから『オタク』さんと仲良くなったの? あんな、地味で……」

「うるさい! 早くいけよ!!」


 最後まで聞きもせず、思わず大きな声を出し、オレは学校の方を指差した。


 イライラする。なんで、彼女の事を『オタクさん』だなんて言う?

 イライラする。よく知りもしないで、何故、尾田さんが自分よりも、劣っていると、なんの権限があって比較するのか?


 あー……支配地を土足で踏みにじられた気分だ。


「酷い……もう、いいっ!」


 どっちがだよ!


 桃花は涙ぐみ、友達と早足で学校に向かった。きっと泣いてるだろう。だけど、オレはそれを見て、悪い、とは思わなかった。



     ※



 朝そんな事があっても、いつも通り教室につき、いつものように授業を受けた。小休憩で尾田さんが黒板を拭いていた。


「オレやるよ」


 オレは黒板消しを受け取り、途中から手伝い始めた。


 日直は1週間つづく事になっている。今、週中しゅうなかという事は、オレが気づかなかったこの数日間、当番の仕事を何も言わずに彼女が1人でやっていたんだろう。


「ありがとう。私、これ持ってくから」


 尾田さんが向かった先には、さっき集めたクラスの人数分のノートと、授業で使った模型が置いてあった。


「うんしょ」


 小さく掛け声をかけて、それを持ちあげている。彼女の腕に、抱えられた荷物は、顔が見えなくなるほど、積み上げられていた。


「ちょ、ちょっと、待って!」


 雑に黒板を消して、オレは、教室を出て行った尾田さんを、急いで追いかけた。


「これくらい、大丈夫だよ?」

「前見えてないじゃん。危ないでしょ」


 そう言って、彼女の手から模型とノートの半分を取り上げる。


 危なっかしい。それに、たぶん尾田さんが気づいていないらしい。彼女から「日直」だと言われたのは昨日。それまでこんな事をやらせてしまっていたかと思うと、本当に申し訳なく思った。


「ごめん、今まで大変だったよね? なんで、月曜日に声かけてくれなかったの?」

「城田くん、いつも楽しそうに野間くんと話してたから。それに、1人でもできる事だったし」


 トイレに行った帰りの生徒の笑い声が、廊下を賑やかにしている。それも、職員室まで来ると静かだ。


「それなら、なんで昨日は声をかけてくれたの?」

「…………」


 開けた窓から、草の匂いのする風が清々すがすがしい。尾田さんの、ペタペタと静かに歩く音が、耳に心地よくて、朝の怒りがおさまってくる。


「なんとなく……かな」

「なんとなく?」


 あからさまに、目を逸らしている。だから、オレは、何か理由があるんだな、と思った。


 分かりやすい。


 資料室に行って模型を置いてから、職員室にノックして入る。


「先生。持ってきました」

「おう! ごくろうさん。あぁ、尾田」


 次の授業で使うプリントを渡され、退室しようとすると、先生が尾田さんを呼びとめた。


「……はい」

「あの事。今週中だぞ?」

「はい」


 あの事?


 先生は、後ろにいるオレには見向きもせず、話をしている。彼女の様子から、気の進まない様子である事が見て取れた。


 ……気になる。


「尾田さん、さっき先生が言ってた事って?」


 廊下に出て直ぐ話しかけていた。もしかしたら、言いたくないことかも知れない、けど、知りたくて。オレは、色々考えるよりも先に、言葉が出ていた。


「えぇっと。実は、少しでも内心を上げるのに、部活に入った方がいいって言われてて」


「え? 部活、入ってないの?」


「うん。会うたびに言われるから、昨日、城田くんに日誌を持ってってもらいたくて」


 なるほど。

 それに、言われてみれば、彼女が部活に行くような素振りは、見た事がない。これはチャンスかもしれない。


 立ち止まる。ついて来なくなった事に気づいた尾田さんが、何歩か進んだあと、振り返って、首を傾げた。


「ねぇ、もしよかったら、うちの部活に入らない?」

「えっ?」


 驚いた彼女の黒い髪が、静かに揺れた。オレは、密かに抱えている悩みを知れた事が嬉しくて、夢中で尾田さんを部に誘っていた。

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