第6話 電車の中の闘い

「おはよう」


 尾田さんはオレを見あげながら、眼鏡を直した。


「そうそう。聞きたい事があってさ」

「聞きたいこ……やぁっ、ん!」


 発車するとともに、人に押された尾田さんが、俺の胸に飛び込んでくる。


 うわ……なんだ、この状況は! しかも、君はなんて声を出すんだ。まったく! ドキドキしちゃうじゃないか!


 やっぱり彼女は小さい。オレもそんなに大きい方ではないが、一応ギリギリ170センチはある。尾田さんは、そのオレの胸にすっぽり収まっていた。


 140センチくらいかな?


「ごめん、なさい……動けなくて」

「えっと、大丈夫だよ」


 そんなこと言っておきながら、心臓が速くなってるのが聞こえるんだろうと思うと、情け無い。しかも、彼女の息づかいが、胸にかかってこそばゆすぎる。


 てか。なんでそんなに、ハァハァしちゃってるのよ!


 尾田さんは、顔を上気させ、メガネを曇らせていた。


「ていうか、尾田さんこそ大丈夫? 顔まっかだよ?」

「空気が薄くて……いつもは、きゃっ」


 電車が大きく揺れる。彼女が咄嗟とっさにオレのベストを掴んだ。


 なるほど……いい声だ。

 じゃない!! 冷静になれ。そうだ、小さいのも大変なんだな。そうだよな、オレよ。


「危ないから、掴んでていいよ」


 ていうか、もう、掴んでてくださいよ。


 いても立っていられず、周りを見まわす。すると、すぐそこにコーナーがあった。あそこなら、尾田さんも安全だろう。だが、そこには立ち塞がる乗車客


 ふ、ふんっ、これは、闘いだ! やってやろうじゃないか!


 まず、人の動きをよく見るんだ。そして、予測しろ!


 電車の揺れに合わせ、人が動いている。一番手強そうなのは、コーナーのすぐ近くにいるおっさんだ。風貌ふうぼうは、商人といったところか……敵として不足はない。


 おっさんと目が合い、負けじと見つめ返す。やはり、長年、電車の通勤をしているだけある。立ち姿がどっしりと安定していた。


 だが、オレにも考えはある。


 この先、3つのカーブが待ち構えている。その中でも、2つ目はかなり揺れるはず。そこがチャンスだ!!


 ガタン、ゴトン、と電車が、戦闘のメロディを刻む。


 一つ目。ここは相手の動きを見るための前置きにすぎない。案の定、おっさんの足は、少し動いただけですぐさま立ち直った。


 いよいよだ。

 2つ目に差し掛かる。カーブに合わせて流れる人。コーナーの前に、ちょっとの隙間がうまれた。


 今だ!!


 素早くそこに入り込み、尾田さんを連れ込む。


 悪いな、ここはもう占領した!


 冷たい目で見ているおっさんに、無言で視線を送ると、ヤツは尾田さんの事に気づいたのか、黙って引き下がった。


 オレの頭の中で勝利の音楽が鳴り響く。これで安心だ。息を吐き出して彼女を見ると、手すりに寄りかかりメガネを袖で拭いていた。


「えっと、聞きたいことって?」


 おっと、そうだった! 冷静さを欠いて、目的を見失ってたぞ。



 ガタンッ!!


 電車の大きな揺れで、人混みがざわめく。おっさんに押されて、オレは尾田さんに覆い被さった。


「スマ……おわっ!」


 イカン、不意打ちを喰らってしまった。ここは、何としても死守せねば。


「ひゃんっ」


 なんて声を出すんだ! けしからん! けしからんぞー!! ぬぐぐく! 耐えろー!!


 おっさんが、仕返しとばかりに、のしかかる。闘いは、まだ終わってなかった。

 手すりにつかまる。ちょうど彼女の耳のあたりで、顔はギリギリ堪えていた。昨日と同じシャンプーの匂いがする。真っ黒な髪がすぐ目の前に見えて、艶が眩しく顔に反射した。


 次の駅までもうすぐだ。それまで持ちこたえれば、どうにか勝利だ。


「ごめん……少し待って」

 

 質問の答えは、駅を降りてからでもできる。今はこの事態をなんとか乗り越えなくてはいけない。


 必死で手すりを押す手に、力を込めた。


 わーんーりょーくぅっー!!!!


「城田くんて」


 うん?


「いい匂いするね」


 ドッカァァァァ〜ン!!!!


 その時、尾田さんが耳元で囁くように言った。その言葉は、オレを看破かんぷなまでに叩きのめした。


 あー!!!! なんてこというの。この人は! それは、男のセリフだしぃー!!


 なんてこった。ここのボスは、尾田さんだったらしい。へなへなと力が抜け、体が前に倒れていく。


 そっか……尾田さんの声、コノミに似てるんだ。


 小さな体に抱きついて、その答えに辿りついた頃、ようやく降車駅につく。ホームに降りたところで、オレは疲労でガックリと項垂うなだれていた。

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