第8話 健全なる体育

 ボールの弾む音。ほと走る汗の匂いが充満する。キュッ、キュッと鳴る靴が、甲高い声をあげる。熱気たかまる体育館。いいところを見せようと、我こそが、と下克上を狙う。


 そう、体育。

 だが、オレにとっては、可でも不可でもない。


 今日、最後の授業だ。



『うちの部活に入らない?』


 それに、尾田さんは『少し考えさせて』と言った。


 少しってどれくらいか? まぁ、先輩たちの引退は来月だし、それまでには返事を貰えれば。そんな軽い気持ちだった。



「おまっ、誘ったのが、まさかの尾田さんかよ!!」

「うるせーよ! まだ、返事はもらってないんだから」


 大翔ひろとの頭を、ポカリ、と叩いた。


「いつの間に、そんな仲良くなったんだぁ?」

「ちがう! たまたま、入る部活を探してるって言ってたからだよ!」


 オレらは、バスケの試合待ちをしているところだ。部員であるコイツには、一応話しておこうと思った。


「ていうか、尾田さんって、楽器、弾けるのか?」

「そういや……聞いてなかった」


 オレは、なんでもいいから1人でも、部員が増えればいいと思っていた。


「別にオレはいいけど、一応聞いとけよ」

「おう、後でな」


 オレは、膝で頬杖をついて、ぼんやりとバレーコートを眺めた。


「それより、今日も女子の素肌が眩しいな」


 大翔がニヤニヤして鼻の下を伸ばしている。


 今日も健全だ。

 同じ体育館で、女子はバレーで勝敗を競い合っている。それにしてもだ。なんてけしからん格好してるんだ。男はオオカミだっていうだろ! 先生も、その辺、考えろよー!!


 ハーフパンツはいい。いや、ダメだな……あとは、体のラインが分かる上着! 同じ体操服なのに違うものを着ているかのように、ふつふつと何かを湧きあがらせる。


 たかぶっちゃうじゃないか!!


 ブンブンと頭を振り、違う事を考える事にした。


「なに、エッチなこと考えてるんだよ」

「うるせぇ! お前のせいだろうが!」


 しかし、まがりなりにも、軽音部。入るとなれば、何か楽器を弾いて貰ったほうが楽しいだろう。声がコノミ似だから、やっぱ、歌とか? うーん……


「なぁ。尾田さんて、ちっちゃいのに、よく見ると、いい体してんな」

「だから、そういう、いやらしい目で見るなって!」

「なんだ、お前。好きなのか?」

「だから、なんでそうなるんだって!!」


 サーブが飛んだ。それと同時に、コート内に緊張が満ちる。ファーストタッチの子が見事にレシーブをして────ボールが尾田さんの方に飛ぶ!!

 彼女は必死に追いかけていた。


「オタクちゃーん!!」

「がんばってー」


 黄色い声が飛び交う。


 『オタクちゃん』という響きが、嫌だと思ったが、本人はあまり気にしてないらしい。というか、そんな事を気にしているほど余裕はないみたいだ。


「あー!!」


 アンダーで受けようと、勢いあまって、ボールが後ろに飛び、笑い声があがる。


 ぶっ!


「ごめんなさい!」

「ドンマイ、ドンマイ!!」


 不思議と罵声ばせいはあがらなかった。なるほど、尾田さんはあまりバレーは得意でないらしい。それにしても。


 意外と、クラスの女子に嫌われてないんだな。


 なんだか、ホッとする。

 転がってきたボールを追いかけて、彼女はパタパタと息をあげて走ってきた。


「ありがとう」


 オレの足でボールが止まり、拾ってあげると、彼女はそれを受け取り、袖で汗を拭いた。苦手ながらも、頑張っているのがよくわかる。黒縁のメガネがズレて、少し邪魔そうだった。

 

 さっき大翔が言った事が気になって、思わず視線をさげた。


 確かに大きいかもしれない……いや、でも、先輩の方が。


「天満、うしろ!」

「へ?」


 パスミスしたバスケットボールが、すごい勢いで飛んできていた。


 バァァァァンンッ!!


 尾田さんに意識が向いていたオレは、それに気づかず見事に後頭部にヒットさせた。


「ゃぁっ! 城田くん」

「うおぉぉぉ!」


 ……ぽょんっ、ぽょっ


 脳への衝撃で、倒れていく。床にたおれたはずなのに、何故か顔が、柔らかいものに当たって、バウンドした。


 これは、もしや!

 ラッキーハプニング!!!!


 尾田さんの胸にダイブしてしまったと気づき、カッ、と頭に血が昇る。急激に血管の圧をあげたオレは、鼻血を噴き上げた。


「大丈夫?! 城田くん!」

「大……丈……」

「天満、ダセェ!」


 大翔がゲラゲラと笑っている。

 目の前が真っ暗になっていく。耳に反響する脈動。だけど、尾田さんの心配そうな声がより一層、刻み込まれていった。


 あのな、大翔よ、少しは心配してくれな……ガクッ


 その後、オレは、動かぬ人となっていた。

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