第6話 暗殺者
尚姫の控室から消えた女中の捜索がはじまり、絵都は喜十郎とともに、屋敷内を探して回ることになった。
「いったいあの女中は何者なんです?」
「それが……、わかりません」
それが奇妙なことだった。青海藩の奥女中はさして大人数というわけではない。まだ、絵都が奥に勤めはじめて日が浅いとはいえ、女中たちとは顔見知りだ。しかし、先ほどの若い女中に見覚えはない。長崎で新しい女中を雇い入れたという話も聞かない。
「怪しいですね」
「はい」
喜十郎は広い屋敷を迷うことなく、まっすぐに駆け出していた。
「いったいどこへ?」
きょうはじめて来たばかりの屋敷に心当たりがあるのだろうか。
「奥御殿での事件。奥方様の飼い犬が毒にあたったとききました」
「はい」
「食べ物に仕込まれていたのでしょうな」
「ええ。奥で出される茶菓子を食べてしまった犬が……、それでは!」
絵都も、喜十郎の考える女中の居場所に見当がついた。
「はい。グラバー殿の催される茶会です。西洋の茶会にもきっと茶菓子が供されるはず」
「厨房!」
「先ほど、湯漬けをいただいた隣の部屋です」
絵都と喜十郎は、屋敷の廊下を縫うように駆けて、厨房を目指した。
曲がりくねった廊下と、いくつかの部屋を通り抜けてふたりは厨房に駆け込むと、果たして甘い香りの立ち昇る鍋の前に先ほどの若い女中が立っているのを見つけた。その手に白い包み紙が見える。
「動くな!」
「こちらを向きなさい」
一瞬、凍りついたように動きを止めた女が、ゆっくりとこちらへ振り向く。悪事が露見したことを観念したのか、首をうなだれ俯いている。絵都が近づいてゆき、その手から白い包み紙を取り上げようとしたその時――。
チリチリ。
うなじの後れ毛が逆立つ。
「絵都さん!」
喜十郎の悲鳴が耳に届く前に、身体が動いていた。刹那、身をかわした絵都のいた場所を金属のきらめきが
女は機敏だった。ただの奥女中ではない。闘争の意思と能力を持った殺人者の動きだった。とっさに最初の一撃をかわしたものの厨房は狭い。調理台と調理台のあいだには、わずかの隙間しかなく、敵の攻撃をかわしずらい。おまけに絵都は丸腰なのだ。
二撃、三撃。女の踏み込みは鋭い。かろうじて身をひねり、避けているが、いつまでもかわしてはいられない。三撃は絵都の袂を切り裂いた――。
「絵都さん――」
唸るような声を上げて、調理台を飛び越えた喜十郎が抜き打ちに女に斬りかかった。しかし――。
ガッ。
抜いた刀が天井に突き当たり、振り払った拍子に今度は調理台に遮られた。狭いこの部屋で長尺の武器は振り抜けない。
「ちい」
喜十郎がもたついている間に、ふたりを相手にしては敵わないと考えたのだろう。女が調理台を乗り越えて逃げようとした。絵都と、喜十郎がそれぞれに手を伸ばして追いすがると、すんでのところで絵都の手が女の着物の裾を掴んだ。女が振りほどこうとしたところを喜十郎が女の手を掴んだ。
「あ」
「まて!」
絵都と喜十郎が止める間もなかった。
女は、もう片方の自由なままの手に白い包み紙をもち、細いうなじを反らすと、包みの中身を飲み込んでしまったのだった。その場に引き倒した喜十郎がのどに手を入れて吐き出せようとしたが、すでに遅かった。女はしばらく身もだえして苦しんでいたが、しばらくすると口と鼻から血を流してこと切れた。暗殺者は、事件の真相を語ることなく、自ら命を絶ったのだった。
「絵都さん、板野さん」
騒ぎを聞きつけたのだろう。厨房に集まってきはじめた使用人をかけ分けて、屋敷の主クラバーが駆け寄ってきた。とり散らかされた厨房の状態と、床に倒れ伏している女の死体を見つけてイギリス商人は眉をひそめた。
「こ、この女中さんが……」
「申し訳ありません。死なせてしまいました」
「No―No――。おふたりが無事でなによりでした。いったいこの女性はなにを」
絵都は、厨房の鍋の前で包みを持っていた女を発見し、問い詰めようとしたところ急に切りつけられた状況を説明した。
「ここに毒を?」
「これはなんなのですか」
黒くてどろりとした液体が煮立っている鍋をのぞきこみながら訊くと、グラバーがため息をつきながら答えた。
「きょうのお茶会――Afternoon teaに食事と共にお出しする予定だったお菓子です」
「お菓子。これが?」
そういわれてみると、甘くておいしそうな香りがしているが、見た目は黒褐色で泥のような液体だ。とても人の口にのぼらせる食材には見えない。暗殺者の女は、これがこの後供される菓子の食材と知っていて毒を混入しようとしていたのだろうか。
「いったいこれはなんという……」
「Chocolate」
「ちょ……?」
「チョコレイトです。発酵させたカカオという豆を挽いて砂糖とミルクなどを加えた食べ物です。栄養価が高いうえ、非常においしい。これを材料に作られたお菓子は絶品です。ぜひ、奥方さま味わっていただきたかった」
まさにこれは、尚姫にお菓子として供されるはずの食材だったのだ。
絵都は、喜十郎と顔を見合わせて大きく息をついた。
(つづく)
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