第2話 絵都と喜十郎

 潮の香りがつよい。海が近いからだ。

 青海の城下では、ついぞ気にならなかった空気のにおいがここでは違ったものに感じられのは、気のせいばかりではない。ここは長崎。この国の風俗と異国の文化が交わる異形の街。さっきから街を歩いているが、日本人に負けないくらい異装の外国人の姿を見かける。服装から見当がつくだけで清国人、オランダ人、イギリス人……。さまざま人々がさまざまな国の言葉で話している混沌の街。それが長崎という町の印象だった。


「驚いたなあ」

「ほんとうに驚かされたのは、わたしのほうです」


 長崎の港から続く道を外国人居留地へと向かうふたり連れがある。

 ひとりは、三十過ぎの小柄な武士、連れは二十代後半だろうか、大名家の奥女中といった身なりの女である。


「絵都さんが、長崎にくるなんて話、道場では聞きませんでしたが」

「表だった話ではありませんから。喜十郎どのもわたしとは面識のないことにしておいてください」

「どうしてですか」

「……だから。内密の話だといってるではありませんか」


 絵都は、先を歩く喜十郎の背中を見ながら考えた。ほんとうにじれったい。


「奥勤めに上がられたとは、知りませんでした」

「喜十郎どの」


 業を煮やした絵都が、ついと喜十郎の袖をひいて民家の軒下に連れてゆく。武家の子女としては、甚だ不体裁であるが、ここはきちんと話しておかなければならない。


「いいですか。身なりは奥女中の姿でも、わたしは奥勤めに上がったわけではありません。奥方様が長崎へおいでになる当たり、殿さまから御身辺の警護を命じられただけです」

「殿から直々に」

「そ、それは橘さまを通じて、兄から命じられたのですけれど、殿さまのご内意で奥勤めの体裁をとっていただいているのですから、同じことです」


 それにしても、橘さまが橘さまなら、兄も兄だ。まさか、この齢になって奥勤めの真似事をさせられるとは。


 家臣の娘が行儀見習いのため、奥に勤めるというのは、よくあることだが、青海では、ふつう二十歳までだ。一度縁づいたこともある絵都のような年増はいない。


「そうですか。てっきり、絵都さんが行儀見習いに出されたのかと……」


 きっと喜十郎をにらみつけて黙らせる。とんだ誤解を受けてしまうではないか。いや、あまり行儀がよくないというのはほんとうなのだけれど。


 ――正気ですか、わたしが奥勤めなどと。


 兄の兵庫に今回の話を聞かされたときは、もちろん断った。


 ――奥勤めではない。奥方様の警護だ。ことは藩の行く末を左右する大事。ゆけるものなら、隼人か板野喜十郎に任せたかったのだが、男子禁制の奥御殿に男が入れるわけがない。


 奥方様のそば近くに従い、その御身辺をお守りするのは女でなければ務まらぬ、といわれて、絵都は二の句が継げなかった。


 ――奥女中のなりをするだけ、改めて行儀見習いができると考えればよいではないか。


 それとも、殿や奥方様の危難を見過ごしてよいとお前はいうのか、とまで言われて引き下がることができるだろうか。


「頭がいたい」

「なにか言われましたか」

「なんでもありません」


 師匠である兄も剣の腕に一目おく御徒組・板野喜十郎は、絵都とは異なり、正式な藩の命令によって藩主と共に長崎へやってきていた。昨年、藩内で起こった外国人商館襲撃未遂事件の首魁を討ち取った剣の手腕が認められての抜擢だった。


 きょう、絵都は朝から奥向きの用事をこなすために長崎の港まで使いすることになり、その護衛として偶然、喜十郎が選ばれたのである。お互いに長崎へやってきていることを知らなかったふたりは、おおいに驚いた。


「もう目的の商館への道のりはいくらもありませんから、護衛は結構です。喜十郎どのは宿舎へ戻ってください」

「いや、殿も奥方様を追って向かわれるとのこと。商館において待てとのご指示でしたので、そこまで護衛します」

「……そうですか」


 ふたりでいるのはやや気づまりだが、見知らぬ街をゆくのは心細いこともあり、日ごろ、道場で顔を合わせている喜十郎に護衛してもらえることは心強かった。


 港と目的地である居留地を結ぶ道を行き交う人は多い。そこで目を見張るのは外国人の多さだ。すれちがううちの半数はそうだろう。青海城下では、まず見かけることのない彼らの姿は、絵都にとってとても珍しいものだった。


「居留地の商館というのは、やはり外国人ですか」


 ちょうど同じことを考えていたのだろう。喜十郎がそう話しかけてきた。


「はい。わたしも詳しくは知りませんが、グラバーというイギリス商人の屋敷です」


 聞いたところによると、グラバー商会という見世を張る商人の屋敷であるらしい。商っているものは、清国の茶、染料、香料、インドの綿織物、インドを経由して銃、大砲、軍艦など、金で手に入るものはなんでも扱うというのが、西洋商人というものらしい。


「ぶっそうな商人ですね」


 自身が腰に大小を差した物騒な男のつぶやきが、日本人に共通する感想だろう。西洋人は物騒なものを持っている。しかし、世情が騒然とする昨今、目端の利いた大名家はこぞって西洋商人と渡りをつけ、洋式武装を導入しようと躍起になっているときく。


「長崎警備のお役目には、そうしたことも必要となるのです」


 しかし、そういった絵都も釈然としていない。剣術道場の娘として、刀を用いて命のやりとりすることには納得している部分もあるが、銃、大砲で人を殺めることの正義がどうしても信じられないでいるのだ。


 ――単に人殺しの道具ではないか。


 これがすなわち、喜十郎いうところの「ぶっそう」に結びつくのである。


(つづく)

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