「――石川。次、移動教室」


 微睡んでいた俺は、前方から飛んできた声にはっと我に返った。

 腕枕を外して顔を上げると、椅子の背もたれを前にして行儀悪く座った鈴木が、教室の時計を指さしてへらっと笑う。


「まだ五分あるけどな。今朝ホームルームで授業変更あるって言ってたじゃん。なに、寝不足?」

「いや……。悪い、教科書ロッカーの中だから取ってくる。時間かかるし――」


 先行ってて。立ち上がりながら続けようとした言葉が、黒縁眼鏡の下で瞬く鈴木に拾われることはなかった。

 教卓に腰かけてスマホを操作する、男子生徒たちの下品な笑い声によって遮られたのだ。

 またあいつらか。

 なんとなく座るのは癪で、立ったまま呆れの意を込めて例の三人に目を向ける。


(校舎内でスマホ使うなって、何度説教くらえば気が済むのかね)


 根が腐っているわけではない。ただ少し素行が悪く、成績も底辺だと聞いた。

 新任の先生いわく「長身でちょっと威圧感がある」彼らは、控えめな性格の持ち主が多いうちの学校で、しばしば敬遠される傾向がある。平たく言えば浮いていた。あだ名をつけてからかうのは俺ぐらいだ。



 出会いは一月ひとつき前に遡る。三人の中心的存在のチャラ男が、屋上でぼっち飯を謳歌する俺にやたらと絡んできたことがあった。

 そのときに「不真面目トリオのリーダーに付き合う気はない」とあしらうと、ふざけた呼び方すんな! と顔を真っ赤にして返され。その反応が自分のなかで味をしめて、今に至る。

 周りにいない、良くも悪くも素直なタイプの人間は面白かった。



 残っているクラスメイトが少ないだけに、周囲を気にしない不真面目トリオの騒がしさといったら……まあ言わずもがなである。会話は後ろにも丸聞こえで、よく寝られたものだと数分前の自分を心のなかで称賛した。


「お前また彼女できたんだって? ったく、イケメン爆発しろ!」

「で。どんな子だよ、写真ねえの」

「んー……ああ、こいつ。確か後輩」

「ふーん。なんか前の彼女の方が美人じゃね? あっ、でも胸は結構あんね」

「ははっ、だろ? つーかそれが決め手だし」


 うっわ、最低! と非難めいた発言をする割には、その表情に侮蔑の色はない。チャラ男と一緒になって軽薄な笑みを浮かべている両サイド。

 いつもの光景といえばそれまでだが、ここには女子もいるのだ。

 俺は仕方なく歩き出し、教卓の前で足を止めた。


「おい、そこの不真面目トリオ。くだらない話で盛り上がるのは勝手だけどな、少しは自重しろ。ここは共学だぞ」

「あー……、ハイハイ。それより石川、今日の校則違反は」

「俺に見つかった時点で諦めろ。だいたいお前ら、他人から見逃されることに慣れすぎなんだよ。かわいそうにな。なんで皆が注意しないのか、なんでいつも遠巻きにされるのかを考えない限り、お前らは一生変わらねえよ。というわけで、はい解散ー」


 余計な口を挟ませてたまるか! と矢継ぎ早に言い募った効果は絶大で、待っていた鈴木と廊下へ出ても奴らが追ってくる気配はなかった。




「お前って難儀な奴だよなあ」


 静かに呟いた目の前のクラスメイトの表情は読めない。

 音楽室の鍵を閉め、一階の事務室まで返しにいくのは自分が週番だからと分かっていても面倒だ。俺でさえそう思うのに、鈴木は律儀についてきた。


「難儀って――、どういう意味だよ」

「……なんでもないよ」


 俺にはとうてい理解できないだろうと踏んでか、取り繕うような誤魔化し笑いがわざとらしい。まあ追及する気はないから構わない、というスタンスを貫く自分も自分だが、たぶん鈴木も分かっているからおあいこだ。


「オレは違う。あいつらが何してたって関わりたくない、間違いなく見限って終わりだね」


 その見解に思わず階段を上りきった足が止まりかけるも、瞬時に思い直して歩みを進める。


「チャラ男の彼女さんも見る目がないよな。勝手に写真曝されたあげく、どうでもいい奴らから不当な評価つけられてさあ、ちょっと同情するよ。その子の自業自得だけど。でもたいして知りもしない赤の他人を軽んじる権利なんて、誰かにあるのかな」


 それには首を振って否定を示し、俺は隣の男を横目で見た。

 鈴木は基本的に温厚な性格だが、同時に排他的な一面もある。例えば今の発言。話に出てきた例の彼女を気の毒に思いながらも、「見る目がない」だの「自業自得」だのと容赦ない言葉をぶつけてくる。

 実際はチャラ男の配慮の欠片もない言動が気に入らなかっただけだろうに、無意識のうちに他人をはねのけているのだ。


 彼にとって俺もその一人だというのは、言うまでもない。


「石川。オレさ、誰に対しても言いたいことをはっきり言うお前のこと、すごいと思うよ。羨ましいとは思わないけどな」

「はっきり言ってんのはどっちだよ……。じゃあ俺も単刀直入に聞くけど、鈴木はクラスに友達いねえの? なんで毎回俺んトコ来るわけ」

「…………、は!?」


 ずっと気になっていた、他意のない素朴な疑問だった。

 しかし残念ながらそうは受け取ってもらえなかったらしい。鈴木は驚愕の色に染まった顔を盛大にひきつらせていた。視線が絡み合ったのもつかの間、そっと伏せられた目は憂いを帯びている。


「なんで分かってくれないかなあ……? オレ、ときどきお前が分からなくなるよ。今だって……何を考えているのかさっぱりだ」



 ――完全に間違えた。


 寂しそうに去りゆく背中が、その事実を確かに物語っていた。

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