第3話 巌流島の戦い

ひと際大きな波が岩場に当たって砕け、ほんのかすかな水しぶきが観客のところまで届き、海の匂いが広がった。

その場の観客は多かれ少なかれ驚きがあっただろうが、すぐにその注目はすべて中心にいる二人へと向けられる。

二人とも舞台に合わせてか、時代がかった和装で、シロガネは短めの銀髪、対してキョウはやや長めの黒髪をしていた。

そして…二人の腰には鞘に入った日本刀が差されていた。

両者の間は3メートル程。ゆっくりと鞘から刀が抜かれ、美しい刃文が露になる。

二人とも刀を正眼に構える。視線が二人の間で交錯し、ピリピリと空気が張り詰めているようだ。

先に仕掛けたのはキョウだった。

「速い!」

思わず千歳は口に出してしまった。

キョウはネコ科を思わせるような低い姿勢で瞬発的に相手へ突っ込み、逆袈裟に切り上げた。

ギィンと鈍い金属の音が響く。

キョウの打ち込みはとても鋭かったがシロガネはそれを打ち払う。

しかし、キョウはそのまま距離を詰める。相手の懐に入って刀身を合わせるように押し、右ひざをシロガネの脇へめり込ませた。

シロガネは一瞬顔をしかめたが、後ろへ跳んで距離を取った。

そのまま身をひるがえして、さらに距離を取るように駆け出した。

すかさずキョウは後を追う。

二人が走っていく先には、斜めに傾いて生えている一本の松の木があった。

その松を、は一歩、二歩と軽々と登ると、その勢いのまま飛び上がり、追って来ていたキョウのはるか頭上を宙返りで飛び越える。

もらった!という思いが溢れたように、キョウの口からほんの少し笑みがこぼれた。

キョウは空中にいるシロガネを目で追いながら合わせるように体の向きを変え、そのまま斬撃を放とうとする。

それに対して、いつの間にか刀を逆手に持ち替えていたシロガネが、空中にいるまま全力で刀を投げつけた。

不意を突かれたキョウは何とか自身の刀で飛んできた刀を打ち払った。

シロガネは着地する流れのまま身をかがめ、足払いをかける。

シロガネの蹴りはキョウの足をまるで刈りとるようにして、たまらずキョウは転倒した。

キョウはグッと呻きながらも、攻めに転じるためすぐに身を起こしたが、すでにその時ちょうどシロガネが打ち払われた刀を拾い上げたたところだった。

それまで展開の早さについていけなく、無言だった観客から大きな歓声が上がった。

二人はゆっくりと再び刀を正眼に構える。

今度はシロガネから斬りかかった。それをキョウが打ち払う。キョウが斬りかかる。シロガネが打ち払う。

そうして火花が飛び散る応酬になった。

斬りかかる。打ち払う。斬りかかる。打ち払う。

このままいつまで続くのかと思われたが、刀を打ち払われて少しバランスを崩したキョウの隙をシロガネは見逃さなかった。

シロガネの刀が、キョウの左手首を捉え、切り裂いた。

「決まった!?いやまだ浅いか」

右隣のスミレの声が聞こえたが、千歳は二人から目を離せなかった。

血や断面の表示こそされないものの、リアルな腕が切れているというのはそれなりに衝撃的だ。

キョウはさすがに痛さに顔を歪めている。

――あれじゃあ、左手の力もろくに入らないだろうな。

千歳は、このままシロガネが一気に勝負を決めてしまうかと思ったが、シロガネは血振りをすると、刀を鞘に納めた。

シロガネは落ち着き払った様子で、その刀を腰に戻す。

そして、改めて鯉口を切り、柄に手をかけ身を低くして構える。

その間も、シロガネの視線は絶えずキョウを捉えていたが、さらに一層強く視線が飛んだ。

キョウは一瞬気迫に飲まれたような顔をしたが、決意を固めたように刀を上段に構えた。

――決着がつく。

千歳の抱いた思いは、その場の誰もが思っていることに違いなかった。

これ以上ないほど空気が張り詰めている。

それは一瞬だった。

キョウが負傷など無かったかのように鋭く踏み込み、頭上で構えた刀をシロガネの頭へと振り下ろした。

しかし、シロガネの一閃がそれより早く、キョウの胴体を真っ二つにした。

「勝者、シロガネ選手ー!」

アナウンスが高らかに告げた。

いつの間にか、息を止めていたのだろう。千歳は大きく息をはいた。




試合が終わると、千歳とスミレたちはアリーナへと戻ってきた。

とりあえずどこかで落ち着こうという話になって、かわいいカフェを調べて移動していた。

「アッサムミルクティーと…ショコラフランボワーズとオペラにしよう。スミレは?」

「あたしはカプチーノ」

「それだけ?ケーキは?」

「いや、外でしばらく食べてなかったからさ…」

そういえば先ほどまでスミレが寝てたことを千歳は思い出す。

現実の体が長時間食事をとっていないのにDRSの中で満腹感を感じてしまうと、現実へ戻った時に強烈な空腹感を感じ、時に、めまいや頭痛を起こすことは有名だった。

「ごめん、頭から抜けてたよ」

いいよいいよと笑顔で返されたが、少し遠慮して注文はケーキ一つだけにしておいた。

「よかったのに」

スミレはニヤッとかわいい悪戯を企んでいる子供のように笑った。

「でもさー、試合すごかったよね。剣道の大会ってあんなにすごいのが普通なのかな?」

「どうかな?剣道と日本刀ではだいぶ違うだろうし…」

千歳も試合の興奮は冷めきっていなかったが、同時にそこへ挑戦しようとした自分の無謀さが心にのしかかっていた。

「挑戦者の人もなかなかガッツがあったよね。手首半分ぐらい切れてたのに最後まで一撃放とうとうしてさー。…噂だけど昔の試合で手首を斬り落とされた人がいて、ショックと痛みで泣きながらもう殺してって相手に言った人もいたらしいよ」

全然そんなつもりはないのだろうが、スミレの放った言葉が千歳の心に追い打ちをかける。

千歳はつい、頭に手をやり、目を伏せた。

千歳の反応が悪かったのが、少しグロテスクに言い過ぎたと思ったのか、スミレは慌ててフォローするように続ける。

「あくまで噂だからね、噂。他にもDRSには変な噂がいっぱいあってさー、頭の回転をめちゃくちゃ上げる方法があるだとか、DRSを使ってるときに現実の体が死んじゃうとDRSの中に意識が残り続けるとか、DRSの運営会社には全然表に顔を出さない役員がいて、それが死んだはずのシャハッド博士だとか…」

気を使わせてしまったことに申し訳なさを感じて、千歳はいっそもう話してしまおうと決心した。

「いや、ごめん、実は私、参加応募しててさ」

少し歯切れ悪く千歳は告げた。

「え?リアルバウトに?」

「そうだよ。誘ってきたときも、もしかして知ってるのかと思ったよ」

「いやいや、言ってよー。どうりでなんか今日は様子が変だと思った」

スミレは冗談っぽくすねたような顔を作って見せた。

「なんでやろうと思ったの?」

「ほら、私、結構初期からDRSやってたでしょ?みんなとゲームしても結構上手くできることが多かったし、シンクロ率高いねなんてほめられたりするしさ。リアルバウトって強いチャンピンがずっと居座るわけでもないでしょ?なんかいけるかもって思っちゃったんだよ…」

そこで店員さんが注文の品を持ってきて、会話が途切れた。

店員さんが離れ、二人とも飲み物に少し口をつけた。

「あー、そっかあ…」

そう言って、スミレは辺りをうかがうように見回すと、声のトーンを少し落して言葉を続ける。

「あたしも言ってなかったんだけど、これ、ここだけの話ね…実はさ、あのシロガネって人、同じマンションに住んでる人なんだよね」

「え!?あのチャンピオンの?」

「そう。しかも、あたしの隣の部屋。うちのマンションってさ、大家さんも住んでて、お土産のおすそ分けみたいな感じでお菓子とかくれたりして、割と仲がいいんだよ。それで大家さん経由で聞いたんだ」

「個人情報ぉ」

「だからここだけって言ったじゃん!大家さんも普段はプライバシーに関わることはペラペラ言わないよ。なんかシロガネさん、近々引っ越すらしくて、それでぽろっと話に出ちゃったんだよ」

「前回までで、賞金は、1の、2の、4の、7千万かあ。そりゃ生活も変わるよね」

千歳は一人で納得するようにうんうんと頷いた。

「でもリアルバウトって、確かプロのスポーツ選手でも3連勝くらいしかしてなかったよね。どんな人か少し気になるな」

「顔は結構そのままだったよ、さすがに銀髪じゃなかったけど。二十歳ぐらいかなあ」

「それで今日、リアルバウト見に行こうって言ったんだ」

そこで千歳は大きく息を吐いた。予想外のスミレの話にさっきまでの小さな悩みは吹き飛んでしまっていた。

気が楽になってようやくケーキに手を付ける。

――どこか有名パティシエのコピーかな。

そう思うほどケーキはチョコレートの風味とフランボワーズの酸味とクリームの甘さとが絶妙で、とてもおいしかった。




あの日はあれからしばらくおしゃべりをして、いったん解散して、そしてまた夕方ぐらいから、共通のフレンドでもある、カレンとにゃんというユーザー名の二人も加えて、四人でファンタジーサーバーでロールプレイングゲームをしたり、実際の東京を忠実に再現したサーバーでカーレースをして遊んだりした。

それから数日が経った。

「んん-」

お湯に肩まで入った千歳は思わず声が出た。

千歳は一人で占領してはもったいないような広い露天風呂を貸し切りで満喫していた。

もちろん、DRSの中だった。

景色に目を移せば、水平線まで広がる海に、美しい夕日が沈もうとしていた。

――全て偽物だとわかっているのに、心まで揺さぶられるのはなぜだろう。

お湯につかってぼんやりとしていると、そんな考えが思い浮かぶ。

平日は仕事もあるので、朝から何回もログインというわけにはいかなかったが、それでも一日の終わりには、こうして温泉に入ったり、リラックスにDRSは欠かせない。

リラックスの時間を贅沢に堪能した後、ログアウトして寝ようとしたときスミレから携帯に通話がかかってきた。

「ごめんね、こんな時間に」

スミレは外の世界でも普段は明るい感じなのだが、今日は珍しく重い雰囲気をまとっていた。

「どうしたの?何かあった?」

そういえば今日はスミレがDRSにもログインしてなかったことを思い出す。

「うん」

そう答えたが、スミレは少し口ごもる。

「…シロガネさんが、死んだんだって」

「は?」

突然すぎる言葉に、千歳は頭がついていかず、言葉を失った。

「ごめん。別に親しくしてたわけじゃないし、精神にくるほど悲しいってわけじゃないんだけど…」

千歳にもその気持ちはよく分かった。つい最近話題に上った人が死んでしまったというのは少なからずショックだと思う。

「あたしが帰ってきたときにはもう警察がいっぱい居て、大家さんもうろたえちゃってて。あたしも警察に色々聞かれたり…」

「それは大変だったね。大丈夫?」

「うん、あたしは。大家さんは発見した時もいたみたいで、ほんと見ててかわいそうなくらいガックリきちゃってたよ」

話して少しは心が落ち着いたのか、言葉がほぐれてきていた。

「今からそっち行こうか?」

「うん、ほんと大丈夫。まだ警察もあわただしいし、明日DRSで会おう」

何かあったらいつでも連絡して、そう伝えて千歳は通話を切った。

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