第2話 サクラとスミレ

扉で移動した先は、先ほどとは打って変わってにぎやかな空間だった。千歳は雑踏の中にいる気配を強く感じる。

そこは明るく、とても広い空間が広がっていて、大きな駅や空港の雰囲気を感じさせた。

実際ここは駅の中で、コモンと呼ばれている仮想空間の世界、その中心として位置づけられている都市の中に位置していた。

コモンとはメインの仮想空間の中ではデフォルトのような扱いをされている世界だった。

DRSには魔法のような力が使えたり、あるいは宇宙をワープで飛び回ったりする世界も提供されているが、コモンでは、ユーザーは外の世界とほぼ同じような物理的制約を受ける。小さすぎたり、大きすぎるアバターも許可されていなかった。

――メニューを開く、千歳がそう心の中でイメージすると、目の前に宙に浮かんだ画面のようなものが現れる。

その画面を手で操作しいく。

千歳は自分の状態をアクティブに変えて、フレンドにDRSの中に自分がいると分かるように設定する。

フレンドの欄を見て、あれっ、と思った。フレンドのスミレがアクティブになっていた。

――この時間にいるとは珍しいな。

千歳のフレンドのスミレは、いつもだったらこんな早い時間にDRSへログインしていなかった。

千歳はスミレへ通話をかけてみる。

しばらく呼び出し音が続いてようやく音声通話のみ繋がったが、何を言ってるか聞き取れないようなフニャフニャとした声が返ってきた。

「もしかして、寝てた?」

千歳は少しあきれたように言った。

「DRSの中で寝始めたら廃人の入り口だよ」

「わかってるよー」

そう言ってスミレは大きなあくびを漏らした。

「起きてようと思ったんだけど、眠くなっちゃって。あー……もうこんな時間か。起こしてくれてちょうどよかったよ」

「ちょうどよかった?」

「リアルバウトって知ってるでしょ。あれ、今から一緒に見に行かない?」

「んん?」

千歳は少しドキッとした。

「何か予定あった?」

「え?いや…そういうの見に行くの珍しいなと思って」

千歳はそう答えたが、心の中ではあの事を知ったのかなと少し動揺していた。

別に隠していたわけではないが、千歳は実はこっそり、リアルバウトの予選に参加申し込みをしたところだった。

「ああ」そんなことには何も気づいて無いようにスミレは続ける。

「今のチャンピオンが凄いらしくて、無傷の三連勝なんだって」


リアルバウトというのは、現実で言えば格闘技の試合のようなもので、観戦ができるコンテンツとして人気があるものの一つだった。

ただし、普通の格闘技と違って、武器の使用も許可されているし、反則もない。

目を引くのが賞金で、チャンピオンとなり勝ち続けると、どんどんとその額が増えていく。

しかし、選手は身体能力が運動が得意な高校生レベルに、筋力や持久力など少しカスタマイズできる程度で、つまり両者ともほぼ同じ身体能力に設定される上、肉体の損傷などはそのまま次の試合に引き継がれるので、チャンピオンとして連勝を積み上げていくのはとても難しいことだった。

しかも、一度負けると長い間再挑戦もできない。なんと弱められてるとはいえ痛みさえ許可されていた。

そんな一切虚飾のない、技量と頭脳だけを駆使して1対1で戦う競技だった。


少し会話に間が空いたのを気にしてか、スミレは「行かない?」と再度尋ねた。

「あー…いいよ。一緒に行こう。30分後にアリーナの前でいい?」

「オッケー、サクラちゃん好き好きー」

「はいはい」

千歳は通話を終えると辺りを少し見まわした。

相変わらず周りは賑やかだった。

そんな賑やか人の空気の中にいると何かしたくなってくる気がする。

――電車で移動しようか、それとも近くをぶらつこうか。

駅の近くにはラスベガスにあるようなド派手な商店街や、アミューズメント施設、水族館、展望台と何でもある。

千歳は移動と景色を楽しむことを同時にしよう決め、再びメニューを開いた。

メニューからは移動の手配もできた。

千歳は人ごみの中を進み、駅の出入り口を目指す。

駅を出るとそこは塔のような高層ビルがいくつも立っている都市だった。

背後を向くと、駅の向こうにセントラルタワーと呼ばれる正に天を突くような建物が見える。

実際セントラルタワーからは軌道エレベーターが出ている。

もちろん、システム側からは物体などは簡単に作り出すことはできるが、コモンでは現実に基づいてシミュレーションが行われるので、設計などは緻密な計算がおこなわれていた。

駅の外も、相変わらず雑踏の中という感じだったが、千歳は気ままにしばらく歩いていく。

すると、千歳の周りからは自然に人々が少なくなっていった。

遠くの空から風切り音が近づいてくる。

ビルの陰から飛んでいる大きな物体が現れる。

物体は、千歳の近くにある少しひらけた場所へ降下してきた。

四枚羽で浮かんでいて、風圧はすごいが、騒音はそれほどではない。ヘリコプターというよりは巨大なドローンだった。

巨大ドローンは着地すると、真ん中の胴体部分にある扉が自動で開いた。

内部は二人掛けの座席が向かい合わせに並んでいて、千歳はなんとなく観覧車の中を思い出した。

千歳がドローンへと乗り込むと、扉が閉まり、ブーンという音を立ててドローンは再び浮上した。




ドローンは千歳が手配した通りに15分ほどコモン上空を遊覧した後、アリーナのそばへ着陸した。

――久しぶりにコモンを空から眺めたけど、やっぱりいいな。

超高層の都市群、巨大な木々がある公園、日本風の城、空中に浮かぶ光、巨大なモニュメントなど、CGをリアルで見てるような感覚でテンションが上がってしまった。

飛び去るドローンを見送って、千歳はアリーナの入り口へと向かう。

アリーナは上空から見ると楕円に近く、外側はガラスが多用されていた。

入り口周辺は少し混んでいたが、すでにそこには見慣れた姿があった。

千歳より少し背が高く、暗めの紫色のボリュームがあるツインテールの髪形。

白のタンクトップに黒のデニムパンツというシンプルすぎる服装。

スミレだった。彼女はいつも大体こんな感じの格好だ。

いつだったか、千歳は、髪に合わせて服ももっと可愛い感じにしてみたらと言ってみたこともあるが、逆にこれがいいんじゃん!と力説されたこともあった。

スミレも千歳を見つけると「おーい」と腕をブンブン大きく上げて振っている。

千歳は駆け寄って軽くあいさつを交わした。

チケットを買うという手間が設定されていたので、二人は入り口横のチケット売り場へ向かう。

「観戦方法がいろいろ選べるみたいなんだけど、どうしようか?」

チケット売り場でスミレは千歳を振り返って尋ねた。

「アリーナ観戦に、空中観戦に、オプションでマルチモニターに…」

そう言われても千歳はよくわからなかったので、誘ってきたスミレに一任する。

二人用のチケットを買って入り口をくぐると、扉や左右に伸びる通路などがあった。

「こっちだって」

スミレに手を引かれて左の通路を進む。進んだ先にはカーブしているエスカレーターがあって、千歳たちはそれに乗って建物の中を上がっていった。

上がった先の通路を進むと広い空間に出た。

中央にスペースがあり、その周りを座席がすり鉢状に囲んでいる。天井を見上げるとドーム状になっていた。

「思ったよりは広くないね」

スミレは辺りをきょろきょろと見回している。

すでに座席には結構人が座っている。二人はチケットで指定されている席を探して、席へと座った。

「それで、そのチャンピオンが目当てなの?」

千歳は右隣に座ったスミレへ話しかけた。

「そうそう。昨日さあ、前の試合を見たんだけど、チャンピオンの人も挑戦者の人も開始直後からバラバラに行動してさ、最後はチャンピンが拳銃で相手を倒すっていう」

「えぇー、拳銃って!?」

便利過ぎず不便過ぎず治安も悪くないという理由で、50年ほど前の日本の都市を半径数キロにわたって忠実に再現したものが、リアルバウトの舞台となる。

少し考えて千歳はスミレに尋ねる。

「まさか警察?」

「そのまさか。しかも警官に気づかれずにすり取ったんだよ」

再現された人物も現実と同じように賢い判断力を持っているので、にわかには信じがたいことだった。

「それは…」

千歳が半ば独り言のように呟いた時、フッと照明が消えた。

暗闇の中、アップテンポの音楽が大音量で始まる。

「皆様ー、大変お待たせいたしました!」

少し大げさなハイテンションのアナウンスが続いて始まった。

「今日のお客様は大変ラッキーです。なんと今回、リアルバウト始まって以来初のエキシビションマッチをお送りします!チャンピオンのシロガネ選手、そして挑戦者のキョウ選手、共に剣道の経験者であり、特にキョウ選手は大きな大会での優勝経験もあります。そこで、我々リアルバウト運営は長い歴史を誇る日本の剣術に敬意を表し、このお二方に日本刀同士の真剣勝負を提案いたしました。両者ともに快諾していただき、本日の開催となりました。公式の勝利数にはカウントされませんが、勝者には賞金額マックスの1億円が支払われます!」

突然の発表に千歳たちの周囲にもざわざわとどよめきが起きていて、それにつられてか、千歳も戸惑いと興奮が混ざったような気持ちになっていた。

千歳はスミレの方を見たが、暗くて輪郭しか判別できなかった。

ひじ掛け上を右手で探ると、そこにはスミレの左手があった。

軽く手を重ねると、スミレは手のひらを返して、千歳の手を握った。

「それではシロガネ選手対キョウ選手、試合開始です!」

そうアナウンスが宣言すると、視界が広がった。

ただ明かりがついたのではなかった。

青空に松の木、波の音に潮の香り、砂浜に岩場。色々な情報が飛び込んでくる。

千歳とスミレは20人ほどの観客席に座っていた。実際にはもっと多くの人が観戦しているのだろう。

「ねえ、ここって」

スミレが呟いた。その後を追うように千歳は言葉を続けた。

「巌流島…」

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