第十八話 スクールカーストの名残

 店に到着して中へと案内する。物音を聞いて奥から出てきたであろうローナ。彼女は予想外の来客に表情を強張らせていた。

「あら、久しぶりね。ローナ」

 余裕の笑みを見せるヘレノと、蛇に睨まれた蛙のように固まっているローナ。圧倒的スクールカーストの差は卒業後も両者に歴然たる差を作っていた。

「卒業以来会う級友に挨拶もしてくれないなんて、嫌われちゃったかしら?」

「え、あ・・・ひ、久しぶり・・・」

 笑顔を見せようとローナは頑張っているようだが、明らかに不自然な表情になっている。

「あなたの夫、といっても仮の、だったわね。彼の仕事場を見せてもらいに来たの」

「そ、そうなんだ」

「ええ、ついでにあなたにも会いたいと思ってきたのよ」

「え? そ、そうなの? それは、嬉しいな。あはは・・・」

 無理をしているローナが可哀想に見えてきた。

 学生時代の二人には大きすぎる差があっただろう。ヘレノは領主の娘で政治派閥最上位。一方ローナは一商店の娘で、商業派閥ではなく政治派閥に所属した最下層。前世の記憶に当てはめれば知事の娘と商店街の一店舗の娘。それくらいの差があるといってもいい。

「そういえばあなたの夫は芸術屋よね。学生時代の私たちの絵も見てもらって、意見を聞くのも面白いと思わない?」

「えっと、それは・・・その・・・」

 ローナがヘレノから視線を背ける。作り笑顔や上辺だけでも取り繕っていたが、それすらもできないほどの何かがあるのだろうか。

「芸術といえば裸婦画よね。凹凸が少なくて描きやすかったから、モデルも最高だったわ」

 ローナの手が自分の身を守るかのように、自分で自分の体を強く抱きしめている。

「でもただのポーズだけじゃ面白くなかったし、あれはいいアイデアだったと思うの。人間が無機物のようになっている、裸婦画からの延長線上。実に芸術的よね」

 ローナの視線が床に向いたまま動かない。わずかに体が震えているようにも見える。

「テーブル、ポールハンガー、カーテン・・・あぁ、中でも花瓶は最高だったわ。あれは・・・」

 無意識のうちに、部屋の中のテーブルを力一杯叩いていた。

 大きな音にローナとヘレノの二人の体が一瞬ビクッと跳ねる。会話も完全に途切れてしまった。

「申し訳ないですが、今日は帰ってもらえますか?」

 自分でもこんな声が出るのかと思うほど、無機質で抑揚のない機械的な冷たい声が出た。

「・・・ふふっ」

 わずかな沈黙。しかしその沈黙を破ったのはヘレノの小さな笑いだった。

「そうね。忙しそうだし、作業場の見学はまたの機会にさせてもらうわ」

 ヘレノがもうすぐ帰る。その流れにローナの体の強張りが少し緩む。

 そんなわずかに油断したローナに隙ありと追い打ちをかけるように、数枚の紙の束が勢いよく小柄な体に突きつけられる。

「今日の本当の目的は、これ」

 ヘレノはさらに紙の束を強く押し、ローナに押しつける。不意打ちで紙を押しつけられたローナは受け取ることしかできず、両手で紙の束を持って呆然としていた。

「政治派閥出身でしょう? 役に立ってもらうわよ、ローナ」

 それだけ言って、ヘレノはさっさと出入り口へと向かっていく。そして最期に振り返り「また、お邪魔するわ」と言い残し、店を後にした。

 ヘレノが店を出て行ってからもしばらく静寂の時間は続いた。その静寂を打ち破ったのは床にへたり込んで閉まったローナ。

「大丈夫か?」

「う、うん・・・」

 表情からは大丈夫そうには見えない。それもそのはずだ。学生時代に受けていたいじめの一部を仮とはいえ夫婦となった相手に暴露されたようなものだ。精神的に厳しい状況にあるのは想像に難くない。

「行政との仕事の話は打ち切ろうか?」

 そんなことをしても相手には一切ダメージはないだろう。だがこのまま彼女の思い通りになるのも受け入れがたかった。

「だ、大丈夫・・・そっちは続けて」

 ローナは押しつけられた紙に目を通して、些細な反撃は必要無いと告げた。

「あんな感じだから苦手なんだけど・・・自分の手下にはそれなりに気を配るの」

 押しつけられた紙の一部分を見せられた。そこには行政が主体として行う新事業計画の概要が書かれている。そしてその新事業に必要なものの一つを用意して欲しいという依頼書も一緒だった。

 ローナとヘレノ。明らかな上下関係がある二人だが、その二人の間には他人にはわからない何かがあるような気がした。

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