話したかったこと

 駿河しゅんがは学校の門を通ると真っ先に保健室へ向かった。


 現在授業中なのか廊下は静かで、一つの足音だけが響いている。

 “廊下は走るな!” っという張り紙があるが、そんなものは完全無視だ。


「はぁ……はぁ……」


 日頃からあまり運動をしない駿河は、すでに息も絶え絶えに保健室の前に辿り着く。

 酸素不足でぼんやりする意識を気合いでなんとか耐え、疲労で重くなった体にむちを打ちながら、ドアをスライドさせる。


「ん? あなたは? どうしたの?」


 ドアが開いたことで目を向けた女の先生は駿河に尋ねた。

 息を整えてじんわりとかいた汗をぬぐい、駿河は答える。


「ここに、けいり……紅里こうさとは来ていますか?」


「ええ、来てるわよ。でも今はそっとしといて上げて。原因はわからないけど、すごい怯えようで……って、あ、ちょっと!」


 先生が答えている途中で駿河は動き出し、唯一閉められていたカーテンを開ける。

 そこには不自然に膨らんだ布団があった。


「……慧理けいり


「……」


 呼びかけたが、反応はない。

 駿河は意を決して、そっと布団をめくってみる。

 そこには横たわり体を丸めて震えている慧理がいた。

 あの時と同じ、周囲から身を守るように固く固く体を丸めている。


 駿河は膝を折って目線を慧理と同じ位置に来るようにして静かに声をかける。


「慧理、俺だよ? お話ししよう?」


「……シュン……君?」


「うん」


 返事をすると慧理はバッと振り向いて駿河を確認する。

 その目は真っ赤で泣いたのだと見当がつく。


「どうした? 何が怖かったんだ?」


「ジュン……ぐ……ん」


 慧理は顔を歪ませ、ぐずりだす。

 駿河はこれでは会話にならないなと思い、とりあえず彼女が落ち着くようにそっと頭を撫でた。


(あの時もこんな感じだったな)


 昔を思い出し、どう慰めてたっけと思いながら様子を伺う。


 と、ふと後ろで視線がしたので、思わず振り返る。


「……あ、先生」


「……」


 ジッと先生がこちらを見ていた。何やら考えている。


「あ、あの?」


 さすがに気恥ずかしく、気になって仕方がない。

 声をかけると先生は答えず、しかし一つ頷いた。


「君、紅里さんと仲良い?」


「え、まぁ、近所ですし、長い付き合いですから……」


「実はね、この状態だし早退させようかと思ってて親御さんに連絡したんだけど、仕事を抜け出すのに時間がかかるそうなの。だから代わりに貴方が送ってくれない?」


「え? 俺が?」


「貴方、今かばん持っているってことは遅刻して来たでしょ?」


「うっ……」


「多分もう欠席扱いだし、担任の先生に事情を話しとくから彼女を連れて帰ってくれない?」


 駿河はその頼みを聞き、ちらりと慧理を見る。

 未だに震えている彼女を放っては置けなかった。


「わかりました」


「じゃあ帰るよって彼女に伝えてね。あたしは彼女の鞄と先生に事情話して来るから」


「あ、はい」


 先生は「よろしくね」っと言って出て行った。


 駿河はまだぐずっている慧理にそっと話しかける。


「慧理聞いてただろ? 一緒に帰るぞ?」


「ひぐっ……うん」


「……もう大丈夫だから」


 理由はわからなくともこれだけ怯えているのだ。よっぽど怖かったのだと察することが出来る。

 普段みんなの前では何でも出来る優等生で、誰とでも明るく元気に話すことの出来る彼女だが、こうやって弱さを見せる事は非常に珍しい。

 駿河でさえ、あの時以来見た事はないのだ。


「シュン君……そばにいて……」


「うん。そばにいるからな」


 あの時と似たような会話をしながら先生を待つのだった。






「はい。持って来たわよ」


「ありがとうございます」


 駿河は先生から鞄を受け取り、慧理が起きるのを手伝う。


「それじゃあ、先生」


「ええ、気をつけて。あ、そうそう」


 先生は慧理に聞こえないように駿河の耳元でボソリと呟く。


「送り狼になんないように」


「はあぁ?! な、ならねぇし!」


 先生の言葉に思わず素が出てしまい、慌てて保健室を出る。

「じゃあね」とクスクス笑われながら見送られた。





 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 学校の屋上でいつものように劔木けんのきは授業をサボっていた。

 しかし今日は何だか、つまらない。


(暇だな。駿河君いねぇし、どっか遊び行こうかなぁ)


 そんな風に考えていると、子分というか自分に勝手について来ている一人が「あ」と声を上げる。


「劔木さん、あれ駿河さんじゃないすか?」


「は?」


 指差された方に目を向けると校門を出る駿河と慧理がいた。

 どうも駿河が彼女を支えながら帰っているようだ。


「今日来ないって言ってたんすよね?」


「……ふーん」


「紅里さんに触れられるなんて羨ましいっす。てか大丈夫すかね? ファンクラブの奴ら、激おこっすよ」


 子分は今度は校舎側の窓に指を差す。

 そこには授業そっちのけで窓を見る生徒達がおり、先生から怒られていた。


「うーん……ま、駿河君だし大丈夫だろ。てかそんときゃ、俺らが守りゃぁいいし」


「さすが劔木さん、友達想いっすね!」


 子分のおだてを聞きながら、劔木は頬杖をつく。


「……駿河君かぁ。適わないなぁ」


 一人空に向けてそう呟いた。





 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 駿河は抱きついて離れない慧理を、支えながら静かに歩いていた。

 慧理は相変わらず何かに怯えるように、そこから助けを求めるように駿河の服にしがみ付いている。


「け、慧理。ちょっと歩きにくいんだけど……」


「……」


 慧理は何も言わず、しかしグッとより一層服を握りしめる。

 駿河はこりゃダメだと諦めてため息を吐いた。


(学校の奴らにすげぇ見られてたな。俺、明日生き残れるかな)


 明日が不安になって来る。

 特にファン達がガン見していた気がした。もしかしたら、もう何かしら噂になっているかもしれない。


 だが今は彼女を無事に送り届けることが先決だ。

 駿河は胸の高鳴っている自分を落ち着かせながら、彼女の家へと無言で向かうのだった。






 家にたどり着くと駿河は慧理に声をかける。


「ほら慧理。着いたぞ」


「……うん」


 慧理は弱々しい動きで鍵を開けた。

 駿河はとりあえず無事に送れた事に安堵する。


(結局慧理が何故怖がっていたのか聞けずじまいだな。ま、後日落ち着いてから聞けば……)


 そんな考えをしているとグイッと袖を引っ張られる。


「……! ん? 慧理?」


「……上がんないの?」


「え、いやいいよ。もう送ったし、俺はそのまま帰るとするから」


 先生の “送り狼” という言葉を思い出して、そうならないように家に入るのを拒んだ。

 だが。


「……そばにいてくれるって、いったじゃん……」


「あ……」


 彼女の赤くなった目がまた潤いを持ちながら見つめてくる。

 その目に逆らうことは出来ず、また逆らうことが悪のように感じた。


「……うん、わかった」


 結局、駿河は勝てずに大人しく家に上がるのだった。






 慧理の部屋。

 ピンクを基調とした部屋模様で、ベッドのわきには過去に一緒になってゲームセンターで取ったぬいぐるみが置かれている。


(……まだ持ってたんだ)


 シンプルな熊のぬいぐるみの存在はそれだけで普段の彼女とかけ離れている子供っぽさを強調させていた。

 何年振りの訪問だろうか。

 忘れてしまったが、部屋は今も昔も変わらない気がした。


 慧理の家は父子家庭だ。

 母親は幼い頃に亡くなっており、男手一つで育てられた。父親がいない時は一人きりである。


 駿河を家に上げたのはきっと寂しかったからだろう。

 幼馴染である自分には何度も遊びに来たことがあるから警戒心が薄いのかもしれない。


(だからって親がいないのに男をあげるのはどうなのかな……)


 昨日の告白から好意があるのはわかるが、それでも少しは警戒してほしいと駿河は思う。


 二人は現在、机を挟んで向かい合って座っていた。


「なんでそっちに座ったの?」


「いや、他にどこに座れと?」


「ん、ここ」


 慧理はポンポンと自分のすぐ隣の床を叩く。


「え、いや、さすがに……」


「お話ししたいことがあるの」


「ああ、そんなこと書いてたな。でも、それならここでもよくない?」


「やだ」


「……」


 なんというか、二人になると彼女はわがままになる。今日はそれがより一層強く出ていた。

 学校ではそんなことはないというのに。


「はぁ……」


 ため息を吐きながら、駿河は慧理の隣に移動した。






「……」


「……」


 移動して数十分。

 二人はまだ声を発せないでいた。

 話がしたいと言っていたのに慧理は黙ったまま俯いている。


 駿河も駿河で、聞きたいことや話したいことは山ほどあるのに声に出す勇気がなかった。

 本来、この部屋の中で音が出ているのは時計の針の音だが、駿河にはドッドッドッと自分の心臓の早鐘も聞こえている気がした。


 ちらりと横目で慧理を見る。

 相変わらず俯いたまま微動だにしない。

 ついに空気に耐えきれなくなった駿河は慧理に声をかけた。


「なぁ、話すんじゃなかったの?」


「……うん、ちょっと、待って」


「?」


 彼女の様子が少しおかしい。

 よく見れば手が小刻みに震えている。

 昨日の兄の相河あいかが会話に持ち出した小五の頃の話を思い出す。


 “もしかしたら隠していることかもしれない”


 “彼女の精神に関わることだから”


 あの話なのだろうか? そうじゃなくとも話しづらいことなのだろうか? それとも何か辛いことなのだろうか?


「……なぁ、話したくないなら話さなくていいよ」


 聞きたい気持ちはある。真実を知りたい。

 だが、彼女を想えばもしそれで辛くなるのなら、駿河としてはそのまま隠してくれてもよかった。


「……! は、話すよ!」


 バッと慧理は顔を上げおもむろに駿河を見つめる。

 だがその目には怯えが混じっていた。


「あ、あのね、えっと……」


 何かを言おうと一生懸命に口を動かす。

 しかし声は出ず、口パクになってしまっている。


「えっと……えっと……私、あの……」


 今まで見たことのないくらいに今、慧理が混乱しているのがよくわかった。

 段々目に涙を貯めていき、どうしたらいいかわからないといった感じだ。


「……」


 そんな彼女を見て、駿河は昨日からいろんな顔のこいつを見るな、と思い、ちょっと可笑しくなる。

 自分の抑えていた気持ちに気付いてしまい彼女を意識しているのか、実に可愛らしく思えた。


「……慧理、落ち着いて」


 駿河は静かにそう言った。

 自分だって昨日はあれだけ葛藤して悶えていたのに、混乱している彼女を見るとしっかりしないとと思えてきた。

 自分の話は後ででいい。今は彼女の話を聞くことに専念する。


「シュン君……」


 慧理はどこか安心したのか、頰をほんのり紅潮させながら少し顔を緩ませた。


「……あのね」


「うん」


「落ち着いて聞いて」


「うん」


「私ね」


「うん」







「……非処女なの」


「うん。……ん?」


 その瞬間、空気が凍りついたような気がした。

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