葛藤

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 それは小五くらいの頃だったか。

 元々面倒くさがりで引っ込み思案だった駿河しゅんがは、毎日幼稚園の頃からの友達だった慧理けいりに迎えに来てもらっていた。


 彼女はいつも明るく元気に家に来ては、部屋に勝手に上がり込みベットで丸まっている駿河を引っ張り出して無理矢理登校させる。

 そんな毎日が当たり前だった。


 ある日の事だ。

 いつものような朝、前日に本当に風邪引いてしまい休んだ駿河はあいつが迎えに来てまた学校に行かなきゃいけないのか、と億劫おっくうになっていた。


 だが今日はいつもと違った。

 コンコンコンとノックが鳴らしてドアを開け、母が「ちょっといい?」と尋ねてきた。


「何? 母さん」


「シュン、今日ちょっと頼みがあるんだけど」


「何の?」


「……今日学校休んでいいから、慧理ちゃんと一緒に居てくれない?」


「え?」


 それはとても珍しく有り得ない事だった。

 いつもいつも学校に行けと言っていた母が今日は休んでいいと言うのだ。

 それも慧理と共に。

 ただならぬ雰囲気に駿河は思わず動揺する。


「な、何かあったの?」


「ちょっとね、とにかく慧理ちゃんのお父さんが帰ってくるまで一緒に居てあげて」


「おじさんはどこ行くの?」


「ちょっと学校でね、お話ししてくるらしいから。お父さんも行ってくるって。お母さんはいるから、お腹空いたりしたら言ってちょうだい」


「……うん、わかった」


 それからしばらくして慧理が静かに部屋に入ってきた。


 駿河が最初見て驚いたのは、普段あれだけ元気な彼女が今日はとてつもなく大人しかった。

 いや大人しいというよりも生気がないような、まさに目が死んでいると言って表すことが出来るようなそんな雰囲気だった。


「け、けいり?」


 恐る恐る尋ねるが、彼女に返事はなくただ突っ立ってるだけ。

 何だか聞きたい気持ちはあるが、踏み込む事が怖かった。


 とりあえず彼女を誘導し、ベッドの近くに座らせる。


「……」


「……」


 気まずい沈黙だけが流れる。

 体育座りの慧理は俯いて微動だにしない。

 さすがに耐えきれなくなった駿河は思い切って慧理に聞いた。


「……なぁ、何があったか、聞いていい?」


「……」


 彼女は小さく首を横に振った。


「そ、そっか、わかった。えっと、あ、のどかわいたよな? オレ何か持ってくるよ」


「……っくん」


「え?」


 駿河が動こうとした時、小さく声が聞こえた。


「ジュ……ぐん、いが……いで。一人にしな……で」


 それはか細く、涙声で、あの活発な彼女から出た声とは思いも寄らなかった。

 駿河は一瞬動けなかったが、その危機迫るような雰囲気にそばにいなきゃという思いが強まって、とりあえず慧理の隣に座る。


 慧理は相変わらずうずくまって顔を隠している。泣いているのかもわからない。


 駿河はただただ彼女のそばに居て、少し話しかけてみたり、何か漫画本を読むか尋ねてみたり、お腹空いてないか聞いてみたり。

 たとえ彼女が反応しなくても、飽きる事なく、声をかけてみた。






 そうして重い雰囲気の中、しばらく過ごしているとノックがした。

 ガチャリとドアが開き、赤毛の大男が入ってくる。


「あ、おじさん」


 それは慧理の父だった。

 彼女の父はそっと慧理に近づいて声をかける。


「慧理、帰ろうか」


 慧理はその声にビクリと反応し、うずくまっている体をより一層固めた。


「やだ……まだ、シュンくんのとこいる」


 慧理の父は困ったような、どうしていいかわからないような顔をしていた。

 仕方ないので、駿河が声をかける。


「けいり、帰った方がいいよ? おじさんこまってるよ?」


「やだぁ……」


「うーん……じゃ、オレがそっちに遊び行くよ。それならいい?」


「……今日来る?」


「うん、今から行くよ」


「ほんと? まだいっしょにいてくれる?」


「うん、大丈夫。まだそばにいるからな」


 普段とは違う弱々しくぐずる彼女を頭を撫でながら慰めるように言う。

 そんな会話をして慧理の父を見るとニコニコしながら頷いた。


 その後は母にも説明して慧理の家へ遊びに行き、夜遅くまで遊んでは帰ろうとすると、慧理に泣きつかれてしまうという事になった。

 そこは「明日も絶対来るから」と説得して事なきを得た。


 駿河は翌日から二週間学校を休んでは慧理の家へ遊びに行くことを繰り返した。

 これは彼女自身が学校に行きたがらなかったから、そばにいるには駿河も休まざるを得なかったのだ。

 この事は両親も了承済みで、学校にも事情を話しており、宿題をちゃんとするという約束でとがめられる事はなかった。


 そうして二週間後、慧理は最初こそ学校を行くことを渋っていたが、いざ行ってみればたくさんの友達が彼女の周りに集まり心配していた。

 さすがは人気者だと駿河は一人、机に座って眺める。

 それからは段々調子を取り戻して行ったようで、気が付けばいつも通りになっていた。


 しかし何だろうか。あの日から彼女は何かが変わった。

 それが何かはこの時の駿河には分からなかった。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 あの後から何だか彼女を放っておくのが怖くなり、彼女に起こされる前に起きて自ら率先して学校に行くようになった。

 彼女もそんな駿河を起こす必要がないことを察すると自然と来なくなっていた。


(……あの時は分からなかったけど、この七年間観察してわかった事は周囲に対してよそよそしくなってたってこと)


 あの男子生徒からの告白のときだって、かなり距離を取っていた。

 たとえ高校の先生でも必ず一歩下がるのだ。まるでそこに溝があるかのように。


 駿河は相河あいかに尋ねる。


「なあ、あの時はちょっと怖くてさ聞けなかったんだけど、ほんとに何があったんだ?」


「うーん」


「兄貴は知ってんだろ?」


「知ってるけど……これは俺から言っていいものかちょっと悩んでる」


「どういう事?」


「いや、もしかしたら隠していることかもしれないし」


「……隠すようなことなの?」


 当時のことを思い出し、段々と不安になっていく。

 聞くのが怖くなっていく。


「……宮之川っていたじゃん?」


 唐突に相河が言った。

 一瞬誰だ? と思ったが、小学校の体育教師なのを思い出した。

 体格がでかく、熊のような大男。

 よく体育で妙に絡んできて、運動が出来ていないとからかってきた事を思い出し、眉間にしわを寄せる。


「ああ、うん、なんかいたな。ムカつく奴」


「あいつ、学校辞めたじゃん?」


「そうなの? そういや俺が久々に慧理と登校した時、なんか消えてたな。……え? そいつ関係あんの?」


「うーんまぁ……」


 何だか歯切れが悪かった。

 嫌な予感がふつふつと湧き上がってくる。


「なぁ! 教えてくれよ!」


 耐え切れなくなって思わず叫んでしまった。


「落ち着け。これは彼女の精神にも関わる事だから。他人から聞くより直接彼女から聞いた方がいい気がするけど、それもどうなのかなぁ」


「……本人から聞いた方がいいの?」


「まぁ出来れば。勝手に話していいかわかんないからな」


「……そうか」


 駿河はそう聞くと再びベッドで丸まる。


「あれ? 聞き行かないの?」


「……うん、今日は無理」


「てっきり今から聞きに行くのかと思った」


「うーん……今日はもうなんか、なんて言ったらいいかわかんないから」


 あんな別れ方をしてしまったのだ。正直今日はもう、会わせる顔がなかった。


「そうか。まあ一晩経てば頭の整理も出来るし、もう夜遅いからな。あ、ちゃんと飯と風呂は済ませろよ」


 そう言って相河は部屋を出て行った。


 一気に部屋内が静かになる。

 その静かになった空間で、駿河は明日どう聞こうか考えた。


「……そうだ」


 おもむろに携帯電話を取り出す。


「とりあえず……今日のこと謝ろ」


 電話を考えたが、気まずくてかける勇気が出なかった。

 だから駿河はメッセンジャーアプリで数少ない登録の中から慧理へメッセージを飛ばすことにした。


「……」


 いざ打ち込もうとするが何を打ち込んでいいかわからず、無駄に指だけが泳ぐ。


「うーん……」


(さっきはごめん。あれって告白だよな?ちょっと一晩考えさせて>


 はたしてこれでよかったのか不安になる。

 とりあえず返事が来なくても読んでくれればいいか、そう思いながらその日はいつものように夕食をとり、風呂に入って、睡眠をとる。






 寝ようとしたのだが、今日の事でまた慧理のことを思い出し、どうしようかと悩んで葛藤する。

 無駄に体が熱く、なかなか寝付けずにいた。

 気になってメッセージを見るが、既読はついておらず、不安になってまた葛藤。


 結局その夜はどれくらいもだえたかわからないが、最終的には気がつけば寝ていた。





 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 ピロンという機械音に駿河は目を覚ます。

 眠気まなこで携帯電話を操作すると、劔木けんのきからメッセージが来ていた。


<おーい、起きてる?)


 時間を見るとすでに三時限目に突入していた。


(あ、寝坊した)


 どうやら起こされなかったようだ。

 いや起こされたけど起きれなかったんだろう。

 よく見れば劔木からのメッセージは二つ目で、一つ目も<あれ?今日来ねぇの?)というものだった。


(わりぃ、ケンちゃん寝坊した>


 そう打つとすぐに返事が返ってくる。


<あーあるある。んで来んの?)


 その返事にふむと考える。

 そう言えば今日は慧理に直接聞きたいことがあった。

 だがそれは別に帰ってきてからでもいいと考えて、劔木に返信する。

 

(いや、もう面倒だからいいや>


 そう返信した後に駿河はため息を吐く。


(結局、どうしよう)


 自分の中でまだうまく答えがまとまっていなかった。

 慧理に聞かなければいけない事、それから傷つけないようにどうやんわりと断ることが出来るかという事。

 昨夜は葛藤だけして結局答えを出せていなかった。


(ま、帰ってくるのは夕方だし、それまで考えてみるか)


 そんなことを思っているとピロンと劔木からのメッセージが飛んでくる。

 しかしそれはかなり気になることだった。


<そうか。そういや、なんか紅里こうさとさんが保健室に連れていかれたらしいぞ?)


「え?」


 思わず声が漏れる。

 駿河は慌てて状況を聞いた。


(どういうこと?>


<詳しいことはわかんねぇけど、なんか急に座り込んじゃって震えてたらしい。今クラスじゃ何があったのかって騒いでてさ、特にファンの奴らがうっせぇの)


「……」


 駿河は何か来ていないか慌てて慧理のメッセージを確認する。

 すると何件か来ていた。

 最初から読むと、


<シュン君?起きてる?)


<今日学校来ないの?)


<ねぇ私も話したいことがあるの)


<シュン君?)


 既読になっていなかったせいか数分置きに来ていた。

 その後、授業の時間も入っていたのか、大体休み時間の時に呼びかけるメッセージが届いていた。


 だが、今から四十分ほど前に短い文章が並んでいた。


<たすけて)


<こわい)


<シュン君)


<たすけて)


 そのたった短い言葉に駿河は戦慄が走る。


「な……け、慧理?」


 ピロンと音が鳴った。


<おーい?どうしたん?)


 どうやら反応しなくなったことに劔木が心配してくれたようだ。


(あ、ごめん。ちょっと今から送れないわ>


<え、なんで)


(用事思い出した>


<そうか、んじゃまた明日か。また屋上でサボろうぜ)


(ああ、わかった>


 劔木へのメッセージをバァッと打って切り上げると、駿河はすぐに制服に着替えて階段を降りる。


「あら? シュン起きたの?」


 足音を聞いて母が反応した。


「もう、起こしたのよ? 今から行くの?」


「うん、ちょっと行かなきゃ」


「そう、怒られて来なさい。ご飯は?」


「いらない」


「わかったわ。気をつけてね」


 母のそんな言葉を背に駿河は全速力で走って行った。

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