穢れた太陽を受け入れて

江口龍未

告白

 真宮駿河まみやしゅんがは不良仲間の数名と共に屋上にて、本日最後の授業をサボっていた。


「おーい駿河君、一本いる?」


「うーん、いやいい」


 友達であるケンちゃんこと劔木けんのきにタバコを勧められるが、断った。


「駿河君はタバコ吸わないよな。あと酒も」


「ああ、うるさいのがいるから」


「ああ親な。君んとこ厳しそうだもんな。お前の兄ちゃんとかはさ、この学校の生徒会長だったし」


 駿河の父はとある大きな商会の会長で、兄はこの学校の成績首位で大学に行った元生徒会長である。

 確かに厳しい家なのだが、駿河が言う “うるさいの” とは別にいた。


 カーンカーンカーンと鐘の音がなる。


「お、授業終わったっぽい。帰ろうぜ」


 劔木が立ち上がると他の不良も立ち上がる。

 この中で最も強いのは劔木だ。つまり彼がボスなのである。


「駿河君さ、どっか遊び行かね?」


「わりぃケンちゃん、今日親帰ってくんの早いんだわ。遅いと怒鳴られてうざいんだ」


「そうか、じゃあまた今度遊ぼうぜ」


「ああ、わりぃな」


 劔木とは中学からの友達で、駿河とは何故かうまがあった奴だった。ゆえに唯一対等な立場で話すことのできるそんなポジションにいる。

 駿河は気さくに断るとすぐに屋上を出るのだった。






 教室にある鞄を取ってきて門を出ようとする途中、ふと校庭の端にある木の下で二人の男女が見えた。

 男はその辺によくいる学年もわからないごく普通の生徒。

 だが女の方はこの学校の人間なら誰でも知っているほどの知名度のある人物で、駿河自身にいたっては誰よりもよく知る人物だった。


 紅里慧理こうさとけいり


 赤毛でロングボブの女子生徒。

 容姿が良く頭も良い、おまけに運動神経も良いという天が二物も三物も与えたと言っても過言じゃないハイスペックの持ち主である。

 明るく活発で社交的でもあることから、男女共に人気のあるまさにこの学校のマドンナだった。


 ファンクラブが出来ているくらいに人気で、ほぼ毎日告白を受けていると噂もあるが、それはあながち間違いではない。


(あー、まぁた告られてる)


 駿河はこういう場面に遭遇する事は初めてではない。何故なら中学の頃から見てきている光景だからだ。

 いやもっと前からかもしれない。


 様子を見ていると男が頭を下げ告白しているが、慧理の方もすぐに頭を下げ断ったようだ。


(こりゃダメだな。もう何人切りだ?)


 この学校ではもう駿河以外が挑んでいる。

 あの劔木でさえ挑んでは玉砕しているのだ。

 不良ということから恐れられている彼だが、玉砕したその日は落ち込んで一週間ほど不登校になるという意外にも繊細な人間だった。

 登校するようになったのは駿河が家まで行って、励ましてやったからだ。


(魔性な女だよな、ほんと)


 これだけ振って何になるのだというのか。毎日告白されて、疲れるだろうに。

 さっさと誰かを受け入れて、告白地獄から抜け出せば良いのに、と駿河は視線を外して門を潜ろうとした。


「あ、やっぱシュン君じゃん!」


 だがその声に足を止めざるを得なかった。

 おそるおそる振り返るとそこには先ほどまで告られていた慧理が走って来ていた。




 慧理は駿河の元へたどり着くと一瞬、間を置いて口を開く。


「……見てた?」


「……いや?」


「うそつき」


 駿河が否定するとき、流し目になるのを慧理は見逃さない。

 だがこんな掛け合いもいつもの事だった。


「今帰りなら一緒帰ろ? 方向同じだしさ」


「えぇ……まぁいいけど」


 駿河はちょっと嫌そうにするが断る理由もないので、仕方なく受け入れた。

 拒否反応するのは周囲の目を気にしてだ。

 彼女と一緒に帰るとどうしても目立ってしまう。下手をすれば怨みを買うのだ。特にファン達から。


「じゃっ、帰ろっ!」


 慧理はニッコリと笑って駿河の袖を引っ張る。

 その笑顔は駿河にとって眩しくて、思わず顔を赤らめてしまった。


(……さすが学校のマドンナだ)


 彼女の笑顔はまさに太陽だった。

 天高くそびえ立ち、眩しい光に人々が引き寄せられ集まる。学校での彼女はそんな感じだ。


 駿河もその一人。

 ただ彼女とは子供の頃からの知り合いで家が近所であり、家族ぐるみの付き合いでもある。いわゆる幼馴染だ。

 ゆえにその笑顔は見慣れている。影響は受けない自信はあった。


 それでもどうしても可愛らしく思い、たまに引き寄せられてしまう。

 だから魔性の女と思ってしまうのだ。





 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 夕暮れの道。

 いつもの道を二人が歩いていく。

 不意に慧理は駿河の服に鼻を近づける。


「うおっ、な、何だよ」


「シュン君、タバコ吸った? ヤニ臭いよ?」


 駿河の思う “うるさいの” とは彼女のことだった。

 妙に鼻がいいのだ。前世は犬かなんかかと思うほどに。


「す、吸ってねぇよ」


「じゃあ近くに吸ってた人いたの? 学校で?」


「い、いるわけねぇだろ」


「ふーん? ほんとに?」


 慧理がじっと見つめてくる。

 吸い込まれそうになるくらいの純真な目に嘘をつくことの罪悪感が湧き上がってくる。

 だが友達を売るわけにもいかない。

 逸らしたら負けだと思い、反撃するかのように見つめ返した。


「……ほんとだよ」


「……っ! そ、そっか」


 見つめ返してそう言うと慧理は体をビクッとさせて、慌てて目を逸らした。


(よし! 勝った!)


 心の中でガッツポーズ。

 その後は慧理からタバコの話を振られる事はなかった。






 まだしばらく歩く。

 家まではお互い数キロといったところか。駿河は話すことがないので、先ほどの告白を話題にしてみる。


「さっきさ、告られてたじゃん?」


「見てないって言ってなかった?」


「うん? 何のこと?」


「……もうっ! で、何?」


 慧理の反応が面白くて可笑しくなる。


「お前さぁ、いい加減誰か受け入れりゃいいじゃん。毎日毎日さぁ疲れない?」


「……」


 駿河にとっては軽い気持ちでの質問だった。

 だが彼女はだんまりして立ち止まる。その物々しい雰囲気になんか不味いこと言ったか? とたじろいでしまう。


「……」


 慧理は立ち尽くしたまま駿河を睨んでいる。そして沈黙の後、何やら呟いた。

 だが駿河にはその声は届かない。


「え、何?」


「……バァーカ! 人の気持ちも知らないでさ!」


「え、は?!」


 急に罵られ、思わず駿河も声を出す。


「何なんだよ! 急にっ……い?!」


 駿河が何か言い返そうとしたとき、慧理が唐突に抱きついてきた。


「…………」


 まるで金縛りにあったかのように体が固まってしまう。この一瞬だけ時刻ときが止まったかのようだった。

 声も出せず息すらも忘れて、心臓の早鐘だけが聞こえてきそうだ。


 お互いに固まっているとポツリと慧理は呟く。


「……私はずっと待ってんのにさ、一向に来ないんだもん」


「……だっ、れを?」


 声を出すと同時に息を忘れていたことを思い出し、思わずむせそうになる。


「……」


 慧理は何も言わない。

 ただ目線を上にして駿河を見つめる。それが答えだった。


 思わず息を飲む。

 慧理は何かを待っているかのように見つめ続ける。

 その瞳を潤ませながら。


「あっ……うぅ……」


 駿河は何かを言おうとするが言葉に出来ずにいた。

 そんな彼に慧理は痺れを切らしてため息を吐く。


「もうぅ……シ、シュン君。……私さ、その、シュン君のこと」


 駿河はその先のことがまるで予言されていたかのようにわかる。

 だから。


「あっ! 今日親帰るの早いんだ! 帰んないと!」


「へ? ……え?!」


 駿河は慧理の言葉を遮って無理矢理引き剥がすと、逃げるように駆けて行く。


「じゃあな!」


「あっ……シュ……君……」


 慧理は手を伸ばし求めるように彼の名を呼ぶが声が出ず、最後には彼の背を見ながらただ呆然と立ち尽くしていた。





 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 駿河は家に着くと無言で入り、部屋へ直行する。


「ん? シュン? 帰ってきたの?」


 母が音に反応して部屋がある二階へと声をかけたが返事がない。


「もう、帰ってきたんならただいまくらい言いなさいっていつも言ってんのに」


 ブツブツと呟きながら再び夕飯の支度へと戻って行った。






 駿河はベッドに倒れこみ丸まった。


「……」


 彼女のあの純真な目を思い出す。

 それだけで胸が高鳴り、今までなかった感情が湧き出てくる。


「……っ!」


 いや、なかったのではない。何処か密かにあったのだ。

 今まで思い留めていた、抑え込んでいた感情が。

 彼女の気持ちが垣間見えてしまったことで、自身の密かに抑え込んでいた感情も今、湧き水のように溢れている。


「……はぁっ……はぁっ」


 まるで過呼吸になるほどに荒く息をし、少しでも自分を落ち着かせようと試みる。


「はぁ……すぅぅ、はあぁぁ……」


 もはや彼女をただの幼馴染と見ることは厳しい。

 それだけ彼女の事で頭がパンクしそうになっていた。






 そんな葛藤をしていると、コンコンコンとノックが聞こえた。


「入るぞーって暗っ! 電気くらい点けろよ」


 のんきに入ってきたのは兄の真宮相河まみやあいかだった。

 眼鏡をかけた茶の短髪で、まさに優等生といった面をしている。

 現在難関で有名な大学の一年生で、将来は父が会長を務めている商会の跡を継ぐことになっていた。

 そんな兄は駿河の勉強机の椅子に無断でまたがって、駿河の様子を伺っている。


「……どうしたよ? 母さんちょっと心配してたぞ?」


「……」


「話してみな? 兄ちゃんがいつもの様に相談に乗るぞ?」


「……相談したことあったっけ?」


「ははは、ないな。お前はいつも自分で解決しようとするから」


 相河は一拍おいて呟くように続ける。


「たまにはさ、頼ってくれてもいいんだぞ?」


「……じゃあ聞いてくれよ」


「うん、いいよ」


 相河が返事をして、沈黙が訪れる。

 ただただ彼は弟が話してくれることを待っていた。



 そして感覚からして数秒のち、ようやく駿河は呟くように話す。


「……さっき、告白されかけた」


「うん、ん? 誰に?」


「……幼馴染」


「幼馴染って慧理ちゃん?! マジ?! 学校のマドンナに?」


「……うん」


「すげぇじゃん! ん? されかけた?」


「うん、俺が途中で遮って逃げてきたから」


「はぁ? なんで?!」


「……」


 相河はガタッと立ち上がって、食いかかるように聞き返した。

 だが黙りこくってしまった駿河に何かを察して自分を落ちつかせ、椅子に座り直す。


「理由聞いていいか?」


「……俺、たぶん、あいつのこと好きなんだと思う」


「うん」


「けど、あいつと俺じゃ、釣り合わないと思う」


「……そうか?」


「あいつは頭良くて運動も出来て、明るくて元気で、顔も良くて人気者で」


 駿河の言葉はまるでつっかえていた物を吐き出すかのように段々早くなっていく。


「それに比べて俺は頭悪いし運動もそれほど出来ないし授業もサボって不真面目でさ……!」


 勢い良く言った後、一瞬、間を置く。


「……何処が釣り合うんだよ」


「関係あるかなぁそれ。まぁいい、で? お前はあの子とどんな感じになりたいわけ?」


「……幼馴染、幼馴染の友達でいい。それが一番居心地が良いんだ」


 駿河にとってはその位置が眩しくても唯一見ていられる距離だった。


「んーそうかぁ……」


「だから、どう断ったら、あいつを傷つけずに済むかな?」


 駿河は振り返って兄の顔を見る。

 相河は頬杖をついて何か悩んでいた。


「うーん……どうだろうな。彼女を支えられるのはお前しかいないと思うけどなぁ」


「……なんでそんな事言えんだよ」


「あー……シュンはあの事知らないんだよな」


「あの事?」


 相河は少し悩んだ後、ポツリと駿河に尋ねる。


「慧理ちゃんさ、小学生の頃、一時期不登校になった事あったよな?」


「……ああ確かそうだったな」


 駿河は記憶を遡る。


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