第235話

「咲さん、って……」

「例のあの人よ。そうね、ずっとあなたと会ってなかったから話してなかったわね。……柊くんも含めて、和解したのよ」


 宗司は黙って沙紀の話を聞いていた。


「ちょっと誤解があって、柊くんに掴みかかられたりしたけどね。でも間に入ってくれたのも彼女だった。……不思議ね、人って、たった一言で簡単に心が開くのね」


 咲に『分かる』と言われた時のことを思い出していた。傷の舐め合いだと言われればそれまでだが、自分が柊に対して抱いていた思いと、咲の亡き息子への思いがしくも重なった。それを感じ取ったのだろう咲の言葉は、咲自身は想定していなかっただろうが、沙紀の心のを解くには十分だった。


 しかし咲と沙紀が和解したという状況がすぐに飲み込めない宗司は、一番気になっていたことを口にする。それは宗司にとって心のよすがでもあった。


「……でも、あの人、知らないんでしょ? 柊とあなたが」

「そのことね……、びっくりだけど、知ってたわ、彼女」


 私も驚いたけどね、と笑いながら告げる沙紀の話を、宗司は信じられない思いで聞いていた。


(知っても、それでも、ってことか……? 俺が知ってるあの人はそこまで世故長けてない、まだ高校生の柊が金で女を抱いてたなんて、飲み込める話じゃないはずだ……)


 しかもその相手の一人が、この沙紀なのだ。

 自分の知っている女と柊がそうした関係で、それを知った上で二人を受け入れたというのか。


「柊くんとも話したんだけどね、実は咲さんが一番たくましいんじゃないかって。一見、あんなにか弱そうなのにね。……どうしたの?」


 半ば想い出に浸りながら回想していたら、ふと見れば宗司はまた落ち着きを無くしていた。酔うほど飲んでもいない。だとすると、自分が何かおかしなことを言っただろうか。


「そこまで驚かなくても……。大丈夫よ、あなたに何か責任があるようなことは誰も言ってないし。もちろん私も」


 沙紀は心配して声をかけたが、その気遣いは宗司の関心の外だった。

 住職夫人の、二人が揃って誠の墓参りに来たという話を思い出す。見ていないのに、喪服の咲と制服姿の柊が寄り添って手を合わせる姿を、はっきりと思い描くことが出来た。

 そして考えたくないと思うほどに、二人の影は更に深くしっかりと重なっていく。まるで目の前で展開されているような臨場感に、宗司は叫び声をあげそうになり、慌てて自分の口を塞いだ。


「飲み過ぎた? ごめんなさい、もし吐きたいなら、洗面所は……」

「いや、そうじゃないから……、ごめんなさい」


 沙紀はシャンパングラスを下げ、代わりに冷蔵庫からミネラルウォーターを出す。宗司は礼を言って受け取るが、その指先は微かに震えているようだった。


 ゆっくりとペットボトルの水を半分ほど飲み干すと、平静を装うことが出来る程度には落ち着いてきた。


「じゃあ、三人で会ったりしてるんですね」

「それはまだ……。でもそうね、そんな機会があればきっと楽しいわね」


 自分と、友人の咲と、その恋人の柊。知らない人が見ればどんな関係かと首を傾げそうな構成だが、三人の間には了解と信頼がある。その場面を空想するだけで胸が温まる。


「羨ましいですね。……俺も混ぜてくださいよ、それ」

「まだ三人で会ったことはないって言ったじゃない」

「だったら計画しましょうよ。俺も……そろそろ柊と仲直りしたいですしね」

「あらやだ、ケンカしてたの? 兄弟みたいね、ほんとに」


 言われて、そう言えば自分はずっと柊を弟のように可愛がっていたことを思い出した。


(本当に弟だったら、きっとこんなことにはならなかったんだろうな)


 言われるまで忘れていたことに、宗司は自嘲的に笑った。

 

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