第234話

「あら、珍しい。呼んでないのに来るなんて」

「……来ちゃいけませんでしたか」


 宗司の突然の訪問に、沙紀は驚きつつ部屋に迎え入れた。心なしか表情が暗い気がして、場の空気を変えようと茶化したつもりだったが、宗司の表情は変わらなかった。


 無表情で部屋に入ってきたと思ったら、唐突に沙紀に抱き着いてきた。


「ちょっと……、今日はそういう気分じゃないのよ」

「じゃあなんでバスローブ姿なんですか」

「お風呂から出たところなのよ。突然来たのはあなたでしょ。着替えるから一度外へ出て」


 力任せに押しのけると、宗司はそのままフラフラとソファに倒れ込んだ。本気じゃなかったと分かるとホッとして、むしろ心配の度合いが高まった。


「どうしたの、本当に。あなたらしくないわ」

「それ、言われるの二回目ですよ」

「だって急に来るから」

「そうじゃなくて……」


 実家に帰っただけなのに、実の母から『珍しい』と言われたことと重なった。しかし、『らしくない』と言われるほど、二人とも自分のことをよく知っているとは思えなかった。


「俺のことなんて、誰も分からないのに……。どうして、らしくない、なんて言えるんだよ……」


 最後のほうは涙声で、何を言っているのか聞き取れなかった。両手で顔を覆って動かなくなった宗司の隣に腰掛けて、沙紀はそっと頭を抱き寄せた。


◇◆◇


「なんか、ラブラブすぎて引く」

「引くとか言うな」

「咲さん、なんでこんな奴を……」

「お前が言うか?! 応援してくれてたんじゃねーのかよ!」

「ウチは咲さんがいなくならなければそれでいーの。別にあんたとくっついて欲しいとか思ってなかったし」


 戦利品のアイスを買うため、早速柊をコンビニに連れ出しながら、楓がぶつぶつ文句を言い始めた。約束より多く買わされていたが、レジが済むまで柊は気づいていなかった。


「もうおじさんも知ってるの?」

「この前話した」

「もしかして咲さんと一緒に?」


 少しだけ誇らしげに口元を緩めて頷く柊に、楓は少し腹が立って後ろから蹴っ飛ばす。


「って! だからさっきから何なんだよ!」

「散々心配した挙句、ちょっと目を離した隙にこれだもんなー。あーあ、なんか除け者感半端ないわ」

「咲さんはお前をハブったりしないよ」

「当たり前じゃん。ウチが腹立ててんのはあんただっつの」


 ずっと三人で過ごしてきた時間が、もしかしたらこれからは二人だけのものになって、自分はその中に入れないかもしれない。入れたとしても、どこかでお客さん的な疎外感は消えないだろう。

 咲も柊も自分を邪険にするはずはないと分かってはいても、ただの友人と、唯一無二の恋人が同じポジションであるはずはない。


「ウチも彼氏作ろうかなー」

「……それは」

「無理じゃねーっつの」

「いてっ! お前いい加減にしろよ!」


 楓が何に腹を立てているのか、柊は少しだけわかっていた。ただ、もしいつか楓にも恋人が出来たら、今度はその人も含めて四人で楽しく過ごせるのではないか、それもまた楽しいだろうと想像すると、楓の淋しさなど一時的なものだと思ったので、深く考えないことにしたのだった。


◇◆◇


 差し出されたグラスには、小さな気泡が入った黄金色の液体が注がれる。よく冷えていたらしくグラスはすぐに薄っすら曇った。


「俺、車で来てるんですけど」

「じゃあ、泊って行けば? もう遅いし」

「泊まったら、来た時の続きしますよ?」

「言ったでしょ、今日はそういう気分じゃないの」


 髪も乾かして部屋着に着替えた沙紀は、完全にシャッターを下ろしていた。そんな女を無理矢理押し倒すほど、宗司は自棄にはなっていなかった。


「雰囲気変わりましたね。前まで全身にまとってた薔薇の棘みたいなの、どこに捨ててきたんですか」

「そんなもの纏ってた覚えないわ」

「本当ですよ。思わず甘えたくなるから、止めてください」


 グラスが薄いのでぶつけたりせず、そっと目の高さまで上げて乾杯した。辛味が勝ったシャンパンは頭の奥まで冷やしてくれるようだった。


「もし、私の棘が無くなったのだとしたら……」


 沙紀はあらぬ方向を見つめた。


「咲さんのお蔭ね」


 しかしその一言で、宗司の心にはまた暗雲が広がり始めた。


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