第231話

 放課後になった。柊は今でも続く放課後の自主補習に駆り出され、同級生たちから色んな教科について質問され、それに対応していたら、あっという間に外は暗くなり始めていた。


「桐島ごめんな、もう受験近いと思うと毎日不安でさ」

「だよね、一人だと分かんないまんまだし、先生に聞いてもイマイチだし」

「でも桐島くんも自分の勉強あるよね」

「いや、俺は……」


 柊はどちらかというと、早く一人になって咲にメールを送ったりしたかった。勉強自体は夕食後に数時間やるだけで十分だった。

 むしろ、今頃になってクラスメイトと交流できるようになったことに、少なからず喜びも感じていた。とはいえ、あと数カ月で卒業なのだが。


 柊の周りに集まっていたクラスメイトも一人二人と帰っていき、様子を見て柊も下校準備を始めた。その時、残っていた女子が窓の外を見て歓声を上げていた。


「うっそ、マジで?」

「相川先輩だー!」


 聞こえてきた名に、柊はぎくりとした。


◇◆◇


「よ、久しぶりだな」


 努めて冷静を保ちながら校門へ向かうと、まだ距離があるにも関わらず宗司は手を挙げて柊を呼んだ。

 宗司に群がっていた女子達が一瞬ざわつくが、相手が柊と気づくと、さっと避けて道を作った。

 まるで花道のようなその空間を居心地悪く感じながら、周囲の視線が集まっている中で宗司を無視するわけにもいかない。そもそも表立って彼を無視する理由がなかった。


「お久しぶりです」

「だなー、最近全然顔見せないよな。どうだ、勉強頑張ってるか?」

「はい、まあ、それなりに……」

「そっか。……この後時間あるか?」


 柊に許可を取るような言い方をしながら、既にその背に腕を回し、車へいざなっている。

 柊はため息と頷きを兼ねたような返事をして、助手席に乗った。




「コーヒー、飲むか?」

「はい、ごちそうさまです」


 宗司は頷いて、ドリップをセットし始める。

 柊は事務所の中を見回す。確かにここへ来るのは久しぶりだった。受験のせいもあるが、宗司に咲とのことをけん制されてから、気持ちの上でも足が遠のいていた。

 

 コーヒーをセットしている宗司を後ろから眺めた。自分よりは背が高く、しかし父よりは少し華奢な背中が、少し羨ましかった。


「どうした、大人しいな、今日は」


 柊の向かい側のソファに腰を下ろし、宗司はコーヒーではなくタバコに火をつけた。


「もっとはしゃいでるかと思ったぞ」

「はしゃぐ、って……」

「憧れの人と両想いになって?」


 からかうような口調なのに、目が鋭く光っていることに気づき、柊は背筋が寒くなる。やはりついてくるのではなかったと後悔した。


「なんで……」

「咲さんから聞いた?」

「……え?」

「お前のことをよろしく、って、な」


 ふーっと吹き出される煙が、ゆっくりと部屋に広がり色を失っていく。時間差で漂ってくる煙たさに不快さを禁じ得ない。


「お前もあの人もちゃっかりしてるな」

「なんのこと、ですか……」

「あの人の同情を利用したんだろ、お前。賢いやり方だな。あの人はきっと今でも母親になりたいんだから、お前は丁度いいよな。ここまでデカくなってれば、誠みたいに原因不明の病で突然死んじまう心配もないし。咲さんだってお前の気持ちを食い物にしたようなものだろうしな」


 柊は目の前の宗司を、初めて見る生物のように隅々まで眺めまわす。しかし何度見ても、そこにいるのは柊がよく知っている、兄のように慕っていた先輩だった。

 だが、柊が知っている彼からは想像出来ないような残酷な言葉が、柊の中にあった『相川宗司』を破壊し踏みにじり粉々にしてしまった。


 みるみる青ざめていく柊を、宗司も別人のように見つめ返していた。

 

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