第228話

 柊は物珍し気に山門をくぐり、境内を通っていく咲の後ろを追う。

 初詣くらいしか寺社仏閣に詣でる機会はないが、その時に手を合わせる本殿ではなく、咲はその隣に建っている建物を訪ねた。中から出てきた人と会話しているので、少し離れた場所で彼女を待った。


 秋とはいえ、まだ半袖の出番が多い日が続きつつ、確実に風は冷たくなっていた。今日自分は開襟シャツだが、咲は長袖を羽織っていた。


「ごめんね、待たせて。あっちなの」


 手桶と火が付いた線香を持って咲が戻ってくる。柊は頷いて桶を引き受けた。

 しばらく歩いたところで、咲が立ち止まる。


『相川家之墓』


 黒に近い色をした墓石にくっきりと刻まれた家名を目にして、柊は、咲の前夫が宗司の兄だったことを思い出した。


(そっか、じゃあ前は、相川咲だったんだ)


 それは、柊が知っている咲とは全くの別人に思えた。

 咲は墓の周囲を掃除して、持ってきた道具で墓石を洗う。最後に上から水をかけて、供えられている花を活け替えていた。その背中を、何故か手伝うことも無くじっと見つけるしか出来なかった。


 しゃがみ込んで手を合わせているので、柊も隣に立って手を合わせた。


「何歳だったんだっけ」

「……まだ二歳になってなかった」


 墓石の横に回ると、何行もの没年月日と名前が彫られていた。一番新しい行には、三歳と書かれている。


「あれ? でも……」

「享年は数えだから」


 意味が分からないが、とりあえず頷く。『誠』という漢字を指でなぞりながら、咲の部屋に飾られている赤ん坊の写真を思い出していた。

 そしてもう一度、墓前に手を合わせた。


「……ありがとう」

「え、ええっ?」


 思いがけない言葉に、柊はびっくりして大きな声を出して飛び上がる。咲もその反応に驚いた。


「あの、だから、一緒に来てくれて、って……」

「あ、ああ、そっちか……、びっくりした……」


 まさか誠が自分に礼を言ったのか、などと考えた自分がおかしくなって、柊は一人で笑った。


(俺の言ったこと、届いてるといいな)


『君のお母さんは、これからは俺が守るからな』


◇◆◇


 墓参りを終え、近くの喫茶店に入った。週末だが、繁華街ではないからか他に客はいなかった。


「誠のお墓参り、一人じゃないなんて珍しいから、あの子びっくりしてるかな」

「今日来たのは、どうして?」

「うん……、命日、だからね」


 柊は咲の首元の真珠のネックレスに目を止め、咲と初めて会った日のことを思い出していた。そして、咲も。


 たった一人で誠の墓前に手を合わせ、あの日の後悔と悲しみを一人で持て余していたところに、突然声をかけてきた青年。更に同じ名前を名乗られたことで、咲は一人で運命を感じていた。


「あの時は迷惑かけちゃったんだよね」

「迷惑じゃないよ、びっくりしたけどね、急に倒れるから」

「あの頃、毎月命日なると食欲なくなってたんだよね。あの日も何も食べないで出掛けたから」

「そうなの? 今日は大丈夫?」

「うん、今日はちゃんと朝ご飯食べた」


 不思議なことに、柊に出会ってから月命日の不摂生が無くなった。今日など、本来なら食欲どころか眠れなくてもおかしくないのに。


「毎月来てるの?」

「そうね、月命日には出来るだけ……。でも今日は少し違うんだ」


 咲は窓の外を見る。あの日は晴れていただろうか、雨だっただろうか。風は吹いていたのか、もう虫の音は聞こえない季節だっただろうか。何一つ覚えていない。


「今日は、本当の命日なの。七年前の今日」


 最愛の息子が息をしていないことに気づいた瞬間だった。

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