第221話

 信号の反対側で、ぶんぶんと手を振る柊が見える。土曜日で家族連れやグループでごった返しているとはいえ、あんなに大きく手を振っていれば周囲から目立って仕方がない。咲は、可愛いと思いつつも恥ずかしさを禁じ得なかった。


 信号が青に変わる。咲が歩き出そうとするより先に、柊が一直線に駆け寄ってきた。


「おはよ! 良かった、今日も俺のほうが早かったね」

「おはよう。また待たせちゃってごめんね」

「違うよ、俺が早く会いたかっただけ。……あとさぁ、また親父に本持たされた、ほら」


 広げた紙袋には、今の咲なら知っている著者の名前が記された本の背表紙が並んでいる。


「何か申し訳ないね……。早く読んでお返しするってお伝えしてね。あとお礼も」

「返さなくていいって言ってたからそれはいいよ。でも邪魔だよね、部屋に溜まっていく一方だし。要らなかったら捨てちゃえば?」

「まさかそんな。柊くんも重いのにありがとうね」


 ううん、と、柊は首を振る。柊としては咲に会えるなら本の重さなど苦にならない。父に押し付けられるのは鬱陶しいが、咲の仕事のためならば喜んで運び屋になる。今では沙紀への懸念も消え、咲のキャリアアップは全力で応援できる。


「今日はお昼、何?」

「もう食べること考えてるの? でも内緒、帰ってからのお楽しみ」

「買い物は?」

「今日はしなくて大丈夫だよ。柊くんが食べたいものがあるなら買って帰るけど」


 お楽しみ、とは何だろうか、と考えると咲の家まで駆けだしたくなる。だが二人並んで歩くのも楽しい。咲の家に着けばすぐに勉強を始めるよう急かされるのは分かっているが、部屋で一人で勉強しているより、手を伸ばせば届く場所に最愛の人がいるという環境だけで幸せだった。


(でも、なぁ……)


 もう少し欲張ってもいいのではないか、だって、自分達は……。


 そう思ったら、自然に手が伸びた。咲の手を握ろうとした瞬間。


「あれ? 桐島くん?」


 背後から声を掛けられた。飛びのくほど驚いて振り向くと、山辺とクラスの女子数人がいた。


「偶然ね」

「お前……」


 唖然とする柊に、山辺だけでなく他の女子達も話しかけてくる。


「ほんとに桐島っちだー、びっくり」

「へー、私服意外とかっこいいじゃん」

「今日は楓は一緒じゃないの?」


 やけにテンション高く質問を投げかけてくる。柊に向かって話しながらも、チラチラと隣にいる咲を盗み見ていることにも、柊は気づいていた。


(こいつらなんでこんなところに……。まあいい、とっとと離れよう)


「楓はいねーよ。じゃあな」


 咲の手を取って立ち去ろうとした時、再び山辺が口を開いた。


「こちらは、親戚のかた? はじめまして、友達の山辺です」


 友達、という表現に柊は怪訝さを隠せない。一、二度口をきいただけで友人のはずはない。

 しかし、山辺の目論見通り、咲は立ち止まって挨拶を返した。


「こんにちは。真壁といいます。えーと、皆さん柊くんと同じ学校なの?」


 楓の名前が出たこともあってか、咲はすっかり気を許しているようだった。柊は内心舌打ちをする。


(咲さんが誰だろうがこいつらに関係ないだろうが……。ていうかこいつ、どういうつもりだ)


 あからさまに自分を睨みつけてくる柊の目線に気づいていたが、山辺は腹に力を入れて予定通りの質問を続けた。


「こんにちは。もしかして桐島くんのお母さんとかですか? でもお若いですよね、叔母さんとか?」


 咲は一瞬口ごもる。確かに叔母と偽って柊の学校へ行ったことはあるし、それが一番しっくりくる『続柄』だろう。だが今は、嘘を吐くことに躊躇いがあった。柊を傷つけることにならないか、と。


「私は」


 意を決した咲を制するように、柊が間に入った。


「そうだよ、親戚のおばさん。これから親父と待ち合わせてんだよ。だから楓もいねーよ」


 咲も山辺も、驚いて目を見開いた。

 

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