第222話

 恐らく柊が否定するだろうと思っていた山辺は、その目論見が外れて返す言葉がない。

 口ごもっていると一緒にいた女子達の笑い声が響いた。


「そーなんだぁ。だよねー」

「こんにちはー、うちら桐島くんと同じクラスなんですよ、あ、楓も! 知ってます? 岸川楓」


 あっさりと話を切り替えられ、咲は少なからずホッとしながら答えた。


「うん、楓ちゃんもよく知ってるよ。彼女ともお友達なのね」

「はい! てゆーかいつもはかえも一緒なんですよ」

「ねー、桐島っちと一番仲いいのが楓だもんね」


 やっぱりそうなのか、と納得し、咲は笑みを含んだ目で柊を見遣ると、微かに顔を赤くしてそっぽを向いた。


「だから、親父待ってるから、じゃあな」

「ちょっ……」


 慌てて引き留めようとする山辺は完全にスルーして、柊はあえて咲の手を取り、駅の方向へ歩き始めた。




「さっき、ごめん……」


 山辺たちをためにぐるりと回り道をしてから咲の家に着いた。残暑はかなり和らいでいるが、さすがに汗をかいたので冷たい麦茶を出すと、黙りっぱなしだった柊が口を開く。


「ううん、びっくりしたね、同級生に会うなんて」

「そうじゃなくて」


 柊は悔しくて顔を上げて咲を見ることが出来ない。叔母だなんて、本当は言いたくなかった。本心では、この人が自分の恋人なのだと、世界中に言って回りたいくらいなのに。


「いいの」


 気が付けば隣に咲がいて、強く握りしめられた柊の拳を上から包んだ。


「分かってる。守ってくれたんだよね、私のこと。……ううん、私達のこと」

「咲さん……」

「ありがとう」


 咲は柊の頬をそっと撫でる。


 小出沙紀に『大したことじゃない』と言われたが、しかし柊が未成年で高校生なのは事実だった。まだ法律で守られるべき子どもであり、自分は保護者であるべきなのだ。法律と世間の常識は、自分達の感情など斟酌しない。

 それに、咲は柊とそのような関係になりたいわけではなかった。

 以前のように『母』にこだわるつもりはなかったが、かといって性急さなど求めていない。柊が自分にとって大事な存在だからこそ、周囲の理解は何より必要だった。であれば、今日の柊の取った行動こそがベストの選択だった。


「柊くんが高校を卒業するまでは、叔母さんがいいかな」

「っ……、俺と二人だけのときも?」

「え?」


 問い返す間もなく、柊は座ったまま咲を抱き寄せた。


「ここなら、誰も見てない」


 身を引くことも出来ない。背と腰に回された腕の力は、男そのものだった。

 慌てる咲の思考の中で、突然沙紀の顔が浮かぶ。

 想像の中で、柊の腕の中にいるのが、自分ではなく沙紀になった。

 途端に、今の状況をはっきりと自覚する。

 そして、柊が何をしようとしているのかを。


「……は、離して、ごめん!」


 渾身の力で柊の胸を押し返す。距離が開いたことで、正面から柊と見つめ合う形になった。


「なんで……」

「まだダメだよ」


(そうだ、ここで流されちゃダメだ。私はもう、大切な人を失いたくない)


「まだ……?」

「うん、まだ」


 突き放されたショックから、柊は少しずつ冷静さを取り戻し始めていた。だがそれでも、まだ腕に残る感触と温かさが名残惜しい。


「だけど、誰も見てないよ」

「見てなくても、気持ちは育つよ」


 納得できないと眉を寄せる柊に、咲は話し続ける。


「二人きりだから、誰にも咎められないからって恋人同士みたいなことをしていたら、気持ちが大きくなる。どんどん好きになって、一緒にいる時間が長くなって、周りに人がいても二人でいる時と同じように振舞っちゃうかもしれない。ううん、多分そうなる」

「俺はっ……、気を付けるよ……。ずっと我慢してたから、出来るよ!」

「私は無理」


 柊は目を見開く。ピシャリ、とはねつけるような強い語感だけでなく、無理、と言った意味を理解したから。


「あと半年だよ。それでも、私が柊くんよりずっと年上なのは変わらないけど……、少なくとも、法律で裁かれることはなくなる」

「法律なんか! 関係ないだろ!」

「じゃあお父さんに言える?」

「……親父?」

「そう。お父さんだけじゃない、楓ちゃんにも」

「あの二人は……、そうだよ、分かってくれるよ。だって二人とも咲さんのこと大好きだし、俺が咲さんを好きなことも知ってるし……。言える、俺は!」


「もしも反対されたら?」


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