第215話

 沙紀が自慢した通り、魚介をメインにした料理はどれも美味しくて、ワインもすすんだ。ほんのり顔が熱くなるのを感じながら、普段より言葉がよく出てくる自分が不思議で、心地よかった。


「昨日あれから、柊くんのお宅に伺ったんです」


 自分が到着した後で彼が帰ってきたこと、謝ったつもりが逆に怒らせてしまったこと、不覚にもショックで泣いてしまったこと。


「母親代わり、なんて言いながら、まるで彼のことを理解できていなかったんです。それははっきり言われました。全然分かってないよね、って」


 もうやめよう、と言われた時は、はっきりと関係が壊れたと覚悟した。目の前でシャッターを下ろされたような拒絶感に、すぐ近くにいたはずの柊が、手が届かないほど遠くまで去ってしまったと思った。


「でも……」

「そうじゃなかった、のね」


 昨夜を回想していた咲を、沙紀の声が引き戻す。優しく見守るような目に、自分だけが気づくような淋しさが混ざっている気がした。


「すみません……」

「なんで謝るの。言ったじゃない、もう平気だって。それにね」


 ワインボトルを持ち上げ、咲のグラスに注ぎ足す。


「良かったなって思ってるのよ。柊くんのために。これは本当」


 沙紀は柊と知り合ってからの一年を振り返る。育ちの良さそうな面立ちと身なり、若いのに如才なく、頭の回転もいい。相川宗司に教えられたのか女性との会話にもソツが無かった。男慣れしている自分が退屈することが無いほどに。


 けれど、そうした表面とは裏腹に、たまに遠くを見るような目をするのが気になっていた。肌を密着させているのに、距離があった。

 ずっとその距離を埋めたくて足掻いた。色んな人を利用し、柊を追い詰め、咲との繋がりを潰そうとした。


 今思えば、どれだけ無駄な努力だったのかが分かる。まさしく独り相撲だった。何より柊はそんなこと求めていなかったのに。


「いいじゃない、年の離れたカップルなんて世の中山ほどいるわ」

「え、ええ? カ、カップルって、そういうのでは……」

「あら? 違ったの?」

「ち、違います! 私は、だって、柊くん高校生だし、だから……」

「でももう十八でしょ。あと半年もすれば卒業だし。え? そういう報告じゃなかったの?」

「そ、そういう報告??」

「恋人になった、ってことよ。したんでしょ、彼と」

「ええ?? ま、まさか!! そんな、だって……違います! キスだけです!」


 必死になって沙紀の誤解を解こうとした結果、最後の一言は店内中に響き渡るほどの大声になってしまった。

 皆一様に聞こえないふりをしてくれているようだが、静かな店内なだけに聞こえていない人はいないはずだ。

 真っ赤を通り越して爆発しそうな咲に、とうとうこらえきれず沙紀は吹き出してしまった。


◇◆◇


「あっはははは! 咲さん、それ恥ずかしい」

『柊くんまで笑わないでー。もうほんとに走って逃げたいくらいだったんだから』

「で、その後どうしたの?」

『んー、小出社長が慰めてくれたから、頑張ってデザートまで食べた』


 タイミングよくギャルソンがメインを供してくれて、更に新しいワインを薦めるためにソムリエがリストを持ってきた。あえて咲に見せたのは、きっと気持ちを切り替えさせようとしてくれたのだろう。


「いいなー、俺も旨いもん食いたい」

『福田さん、だっけ? お料理上手なんでしょ』

「まあね、楓なんか毎回お替りしてるよ。でも俺は咲さんの料理のほうが好き」


 そう言えばここ最近咲の手料理を食べていないことを思い出した。


「明日、行ってもいい? 咲さん家」

『いいけど、勉強は? もうすぐ十月だよ』

「言ったじゃん、俺、ガリガリに受験勉強しなくても受かるよ」

『模試とかはないの?』

「あるよ、明後日」

『明後日?! じゃあだめ! 明日はお家で勉強して』

「やだ。会わないと元気でない。模試も行けない。受験も失敗する」

『なにそれ?!』


「会いたい」

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