第214話

「咲さん、こっち」


 約束の店に到着すると、既に沙紀が奥のテーブルについて、手を振っていた。


「えっと……」

「今日は早めに切り上げたの。良かった、待たせたりしなくて」


 下の名で呼ばれたことに戸惑っている咲をよそに、満面の笑みで向かい側の席を勧める。実際、沙紀は今朝約束を取り付けてからずっと楽しみにしていた。


「好き嫌いある? もし特に無いなら、コース組んでもらうわね。ここは魚介類が美味しいのよ」


 昨日、柊を追って行ったその後の状況説明を急かされると思っていた咲は、予想に反して会食そのものを楽しもうとしている沙紀に面食らう。


「いえ、ないです。大丈夫です」

「そう? 良かった。明日は土曜日だからお休みよね。少しくらいお酒も飲みましょうね」


 そしてウェイターに視線を送り、注文を伝える。メニューも見ない様子は、この店は行きつけなのだろう。沙紀のことだから、もしかしたら出資者の一人かもしれない。


「当たり」

「え?」

「私が個人的に出資してるの。それ、予想してたでしょ」

「すみません、じろじろ見たりしてました?」

「ううん。でも、そういうところまで想像するようになって、成長したわね」


 沙紀の褒め言葉に驚きながらも照れている咲を見る目は、年の近い妹を見る姉のようだった。


「あの、昨日、あれから……」

「私ね、初めてなのよ、こういうの」

「……え?」

「同性の友達と、二人でご飯食べるの」


 ワインが注がれたグラスを目の高さまで上げる。咲もそれに倣った。沙紀が選んだワインは、あまり酒好きとは言えない咲も飲みやすい風味だった。


「こんな仕事をする前から、ね。子どもの頃から……同級生の女子からは避けられることが多かったわ」


 仲間外れとは違うが、自分に対して親密な話をしてくる子はいなかった。だから自然と、自分も心の内を同級生に明かすことはなかった。幼い頃は『そういうものだ』と解釈していたが、長じるにしたがって、自分は避けられていた、嫌われていたのだと気付いた。


「大人って便利よね。仲良しの同級生がいなくたって、ランチも旅行も一人で行けばいいし、男作ればそのほうが上って思われたりする……。生憎と、男相手なら不自由はしなかったのよ」


 話しながら、過去に時間を共有した相手を思い浮かべようとしたが、数が多すぎるせいか思い入れがなかったせいか、記憶の掘り起こしは上手くいかなかった。

 ただ一人を除いて。


「私が、マ……柊くんにこだわったのはね」


 唐突に出てきた柊の名に、咲はドキリとしてフォークを落としそうになる。


「あの子が、私と同じだったからかもしれない」

「……同じ」

「何かの代わりを探してた」


 お互いに、本当に求めるものは得られないと諦め、その穴埋めになるものを探していた。

 その気持ちが恋だったと思っていた。だから柊が自分から離れていった時はパニックになった。やっと得られたと思ったのに、と。


「咲さんに、分かる、って言って貰った時にね、私も分かったの。ずっと欲しかったものが」


 理解されたかった。利害関係のない相手に。咲がどんな心持でああ言ったかは分からないが、一番欲しいタイミングで欲しい言葉をくれた。咲を信用するには、それだけで十分だった。


「だから、もういいの、柊くんは」

「小出社長……」

「それ、止めて。あ、でも私達、同じ名前よね。呼びづらいわね」


 沙紀はクスクス笑いながら、心のどこかで、同じ名前であることが今こうして二人で向き合っていることの遠因であると思い出し、不思議な縁を感じていた。

 今はまだそこまでは話せない。しかしいつか、懺悔も含めて話すことが出来るだろうと、咲なら聞いてくれるだろうと思えた。

 それは甘えかもしれない。が、友人相手に甘えるのは、男に我儘を聞いてもらうよりずっと心が豊かになるのだということを生まれて初めて実感していた。


「だから、話したいことがあれば、話して。私は何でも聞けるから」


 いっそ清々しい沙紀の笑顔が眩しくて、咲はごく自然に口を開くことが出来た。

 

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