第213話

 翌朝、楓が登校するため家を出ると、向かい側に柊が立って待っていた。


「はよー」

「おう」


 それだけ交わして歩き出す。例の『自分でどうにかして』発言以来、一緒に登校するのは久しぶりだった。

 あくびを数回繰り返しながら、黙ったままの柊を見遣ると、やけにスッキリした明るい表情だった。楓はここ数日の自分の懸念が杞憂だったと分かり、自分も表情も明るくなっていくことを感じる。


「なんか、調子良さげだね」

「おう」

「あんた、さっきからそればっか」

「……まあな」


 少しずつ同じ学校の生徒の姿が増えてくる。友人の多い楓に声を掛けてくる者は多い。楓に話したいことは色々あるが、もうそれは憚られる雰囲気だった。


「昼休みね」

「ん」


 それだけ言うと、楓は友人の群れに突進していった。賑やかな挨拶を交わしながら昇降口へ向かう一団からは少し距離を取りつつ、柊は昨日とはまた違う充実感に包まれていた。


(やっぱ、あいつに話すのが一番落ち着くわ)


 話の内容が咲絡みなのだから、楓と話すのがスムーズだというのもある。しかし、微妙に距離が空いていたような数日で、柊は少し寂しさを感じていたことを、今更ながら実感していたのだった。


◇◆◇


 パソコンを開き、いつも通り自分に届いているメールをチェックしていたら、新着で小出沙紀からのメールが届いた。

 自分の思考とリンクしているようなタイミングに驚きながら開いてみると、あっさりとした内容だった。


『昨日食事出来なかったから、今夜はどうですか?』


 そして場所と時間が添えてある。

 必要な情報だけのメールに、咲は、沙紀の気遣いを感じた。自分もそれに応えたいと思った。


『是非お願いします。お店に直接伺います』


 送信後、小さく息を吐く。こうなったからには、せめて仕事では出来る限りのことをして成果を出そうと、改めて気持ちを引き締めた。


◇◆◇


「もしかしてそのお弁当、福田さん?」


 柊が広げたランチボックスには、食べやすくラップでくるまれたサンドイッチがいくつも入っていた。まさか柊が自分で作るはずもないし、仕事で忙しい咲に作ってもらうヒマなどないはずだった。


「夕ご飯だけじゃなくてちゃんとお弁当まで食べるようになったんだ」

「まあ……、今日が初めてだけどな」


 一つ取り出して食いつきながら、昨日の夜福田に弁当について頼んだ時のことを思い出した。初めて夕食に手をつけた時もそうだったが、いくら何でも失礼だろ、と言いたくなるほど驚かれた。散々無下にし続けた手前ばつが悪かったが、他の誰でもない咲に言われれば頼まざるを得なかった。


 空を見上げれば、あちこちでトンボが飛んでいる。そろそろ外に出ても暑さに逃げ出すことはなくなった。次の週末は一緒に出掛けたい。どこがいいだろうとぼんやり想像すると、ここが学校だということも忘れそうだった。


「……で?」


 同じく弁当を突きながら、楓が話題を変えようとした。


「なんか話があったんじゃないの? つか、報告?」

「……お前まじでエスパーなんじゃね」


 ラップを手元で丸めながら、軽くぼやいた。


「まあ、その……、無事、伝わったって言うか……」

「ウチに伝わらんわ。ほれ、ちゃんと説明せんか」

「だから、その……、咲さんに……」


 さすがに直接言葉にしようとすると恥ずかしい。いい加減察してくれと楓を見遣ると、大きな目でじとーっと見つめながら口をもぐもぐさせている。

 分かっているがちゃんと言え、ということらしい。自分と楓の暗黙の了解のようなコミュニケーションが、何故咲には通じないのだろうと、この二年余りの自分の苦労にため息が出る。


「その……、好きって、言え、言えた……」

「おあっあえ」

「……無理にしゃべるな」

「もぐもぐ……。良かったね」


 奥歯に何か詰まったのか、変な顔になりながらも、楓は聞き続けてくれている。自分の中では大事件だった昨夜の出来事が、楓にとっては食事の合間の暇つぶしに過ぎないのだと思うと、がっかりしつつもいい意味で気が抜けた。


「まあ、色々あったけどな。全部解決したわけじゃないけど……」


 小出沙紀のことを考えて、小さな引っ掛かりを感じた。それも、咲が何とかすると言っていたが、元をたどれば自分が蒔いた種なのだから、咲にだけ任せっきりにするのも気が引ける。


「何があるのかは知らんけどさ」


 楓はぷしっと音を立てて、ジュースのパックにストローを差した。


「これからは咲さんと一緒に考えればいいんじゃないの?」


 ちゅーとジュースを吸いながら、ピースサインを出す。柊はとうとうこらえきれず、空を仰いで大笑いした。

 

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