第211話

 店を出てからしばらくは勢いに任せて街を突っ切るように歩き続けたが、どこに行く当てもなかった。そろそろ夜の九時近い。もっと遅くなると補導される可能性もあることに気づいた柊は、人の少ない路地に入り一息ついた。


 思考をぐるりと一巡りするが、やはり自分が逃げ込む先は一つも思いつかなかった。


(帰るか……)


 地下鉄の入り口を見つけて歩き出す。もしかしたら、と期待してスマホを見るが、咲から連絡が来ている様子はなかった。

 自嘲的に微かに笑うと、そのまま電源をオフにしてポケットに突っ込んだ。


◇◆◇


「え……、何で……」


 家に帰り、形通りの帰宅を告げると、そこに現れた咲に柊は固まった。


「ごめん、突然来て。でも、どうしても気になって……」


 咲の来訪に、柊の心は条件反射のように舞い上がる。普段なら飛びあがって喜ぶところだが、先刻の出来事が柊のテンションにブレーキをかける。


「……家まで追いかけてきて説教かよ」


 もう一人の自分が足を止めようとするが、振り切るように、柊は咲の横を通り過ぎる。このまま背を向けていいのか不安しかないが、さっきみたいに小言めいたやり取りが続くのはまっぴらだった。


「待って」


 すれ違いざま、咲は柊の腕を掴んで引き留めた。咄嗟の制止だったが、柊は自分の体の中を電撃が通り過ぎたようなショックで動けなくなった。


「お説教とかじゃないの、だから……少し話せない? すぐ帰るから……」

「っかった……、じゃあ、俺の部屋で……」


 イエスと言って貰えたことで、咲はホッとして手を離す。声が震えていたのは、それほど自分の言葉に傷ついていたのかと、改めて反省した。




 柊は部屋に入ると、勉強机の椅子を咲に勧め、自分はベッドに腰掛けた。


「さっき、ごめんなさい」

「……何が?」

「私、柊くんの気持ち分かってなかった」


 突然道で沙紀に掴みかかってきたことに驚き、その後も怒りの矛を収めようとしなかった柊に対して、咲は理由も聞かず𠮟りつけた。

 自分は関係ないといいながら、なぜか黙っていられず、責められている本人の沙紀を差し置いて反論した。

 相手はまだ高校生だというのに。


「俺の、気持ち?」


 柊は、再び心が熱を持ち始めていることに気づいた。咲が、自分のどんな気持ちに気づいてくれたのだろうか。もしかしたら、やっと伝わったのか? だから、らしくなく突然家に来たりしたのだろうか。

 じっと見つめ返してくる咲との距離が、急に縮まった気がした。

 咲の息遣いや、鼓動まで聞こえてくる気がする。完全に錯覚なのだが、二人きりの空間がいつもより広く感じた。


「私、図々しかったよね」


 無意識に咲に向かって伸ばしかけて手が止まった。


「最近毎週みたいに会ってて、桐島さんや楓ちゃんたちと旅行行ったり食事したりして、私勘違いしてたかも」


 急に、咲が遠のいて見えた。


「お母さん代わりとか、甘えて欲しいとか言って、それを柊くんも受け入れてくれたから、調子に乗ってたのかも……。柊くんと私は、親子じゃないのにね」

「……なに、それ」

「さっきね、癇癪起こしたみたいな柊くん見てて、私が何とかしなきゃって思っちゃったの。小さな子を宥めるみたいに。でも……突き放されて、柊くんは小さな子どもじゃない、ましてや私は本当の母親でもない」


 自分が一番柊を分かっているかのように思い違いしていた。柊は自分のことなら何でも聞き入れてくれるのでは、と。そんなことあるはずないのに。冷静に考えれば。


「小出社長に頼まれたとしても、私はしゃしゃり出るべきじゃなかった。二人が心配なら、別の店で待つとか、他に方法あったはずなのに。だから」


 柊は眩暈がしそうだった。実際に、天地が逆転したような感覚に襲われた。

 気が付いたときには、力ずくで咲を抱き寄せ、そのままベッドに押し倒していた。

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