第208話

 タクシーで数分、三人でカフェに入る。沙紀のお蔭で奥まった静かな席を案内してもらえた。

 移動したせいか、柊の激昂も沙紀の動揺も多少落ち着いたようだった。咲は三人分の飲み物を注文すると、まずは柊に話しかける。


「小出社長を待ってたの? 大事な話なら、私は外したほうがいい?」


 咄嗟に隣にいた沙紀が咲の手を握る。大丈夫だ、というように、反対側の手で握り返す。

 柊には見えていないだろうが、彼も小さく首を振った。


「いや……、咲さんはいてくれていいよ」


 当初の目的はすっかり飛んでいた。柊は、沙紀に咲に近づいた目論見を問い質したかった。咲の話から二人が繋がっていることは知っていたが、いざ並んでいる姿を見ると頭に血が上った。

 そして、柊は咲に対しても腹を立てていた。


「……俺、言ったよね、この人に気をつけろって」


 飲み物を持ってきた店員が離れたのを確認すると、柊は咲を睨みつけながら言った。普段の柊とは違う、低く力のこもった声に咲は少しだけ腰が引ける。


「あ、うん、でも……」

「なのに、なんでだよ? 仲良くお手々繋いで歩いてるとか、俺の話聞いてなかったの?」

「違うの、小出社長はね」

「やめて」


 苛立ちが独り歩きしている柊と、それを取りなそうとする咲の間に割って入ったのは沙紀だった。


「私が悪いの、全部……。マ……、柊くん、も、真壁さんも本当にごめんなさい」


 しかし聞いた二人の反応は正反対だった。


「社長、何も悪いことなんて」

「魂胆は何だよ」


 咲の発言を遮って、より剣呑な空気を纏わせて沙紀に問う。柊にとって小出沙紀は恐怖の対象だった。しかし今ではもう憎悪していると言っていい。自分に近づくために咲を利用した、もっと言えば咲を排除しようとして近づいたのだ、と。


「あんたが用があるのは俺だろ。どこで咲さんのこと調べたのかは知らねえけど、やり方が汚すぎんだろ」

「柊くん、ちょっと待って」

「咲さんは関係ない」


 下を向いたままの沙紀が心配で、思わず間に入ろうとした咲を柊は一瞥もせず切って捨てた。


「あんたのことだから、咲さんの弱みに付け込んで俺から引き離そうとしたんだろ。で、また自暴自棄になった俺に付け込もうとでもしたか。もしかしたら宗司さんとも手を組んでたりしてな。それも理解できるわ、あの人からも思いっきりけん制されたしな」


 柊の頭の中で、今まで抱え込んできた疑念や不信や不安が連鎖しながら繋がっていく。宗司はもちろん、沙紀に対して『やはり』と感じたことへ少なからずショックを受けている自分に驚いていた。しかし、咲にもしものことがあれば、自分と咲の関係が決定的に壊れることを想像すると、すぐに消えてなくなってしまう程度の驚きだった。


「咲さんが優しいからって付け込むな。俺に文句があるなら俺に言え。そうやって裏から手を回すのが大人のやり方か。結局あんたは俺を子どもだと思って見くびってるんだろ」

「……そんなこと、ない」

「じゃあなんであんたの会社から咲さんがあんたと一緒に出てくるんだよ?! 咲さんの会社はあそこじゃないだろ!」

「それは……」


 沙紀は投げつけられ続ける言葉を受け止めるだけで、言い訳すら思いつかなかった。あれほど会いたかった柊が目の前にいる。けれど柊が自分へ向けている感情は怒りと憎しみだけだった。そして責め立てられる自分を守るのは、彼の想い人であり自分のライバルだったはずの咲だ。

 普段なら嘘も言い訳もいくらでも思い付くのに、今は一言二言否定するのが精いっぱいだった。


 テーブルの下で自分の手を握り合わせる。指輪についている石は大きくて、手のひらに食い込んで痛かった。店内の照明を反射してギラギラと光るそれが、今は自分の立場の滑稽さを代弁しているようだった。


「いい加減にして」


 すっと伸びてきた白い手が、石の反射を遮るように沙紀の手に重なる。驚いて顔を上げると、咲が柊に厳しい目を向けていた。

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