第207話

 沙紀はスタッフに、このまま真壁咲と外出する旨を伝える。黙って頷くスタッフも、沙紀を見上げてクスリと微笑んだ。


「珍しいですね、社長が女性の方とお出掛けされるって」


 そしてそのまま立ち上がり、使用済みの会議室の片づけをしに行った。

 一人残った沙紀は、言われればそうだと気付き、同じように笑みを浮かべる。


(ついさっきまで、陥れようとしていた相手なのに)


 それが狙いで直接の繋がりを作った。本来なら関わるはずのなかった人間だ。それなのに、小さなきっかけが、咲への印象を百八十度変えた。

 何故かはわからない。説明しようとしてもできない。けれど、咲には何でも話せそうな安心感があった。

 子どもの頃から同性の友人がいなかった沙紀は、初めての同世代の女友達が出来そうな状況に少し浮かれていた。


「お待たせ」


 ロビーへ降りると、沙紀に気づいて咲が立ち上がる。ここからカフェまでは多少歩くが、暑さも和らいでいい季節だ。タクシーには乗らないことにして、歩き出した。


◇◆◇


 参考書を開いて、何杯目か分からないアイスコーヒーを飲みながらビルの入り口を注視し続ける。人通りは多いが、小出沙紀が出てくればすぐに判別できる距離だった。

 制服で夜遅くまで粘るのは難しいだろう。八時を過ぎても出てこなければ今日は諦めるしかないかもしれない……。


 時計を見ながらそんなことを考えていると、視界の端を見覚えのあるシルエットが掠めた。

 

 慌てて立ち上がり確認する。ホッとしたのも束の間、隣に立つ人物を認め、柊の全身があわ立った。

 急いで荷物を掴んで、柊はカフェを飛び出だした。


◇◆◇


 ロビーから出ると、少しだけムワっとする湿気に襲われる。が、エアコンで冷えていた体には丁度良かった。それは隣の沙紀も同じだったようで、二人で目を合わせて笑った。


「真壁さんってお酒飲む人?」

「いいえ、滅多に。お付き合いで多少口にするくらいです。小出社長はお強そうですね」

「飲む機会が多いから自然と、ね。いい加減体重に跳ね返ってくる年だから、減らしたいんだけどね」

「そんな、スタイルいいじゃないですか」

「あら、ありがとう」


 人波に流されて歩きながら話す。ここしばらく感じなかった心の静けさを味わっていた時、沙紀の視線と思考が止まった。

 急に立ち止まった沙紀に驚き、向けられた目の先を辿ると、柊が大股で近づいてくるところだった。


「柊くん? どうしたの、こんなところで」


 学校はとうに終わっているだろう、しかし制服のままということは、家に帰らず真直ぐここへ来たということか。

 ハッとして沙紀へ顔を向ける。


「もしかして、今日約束あったんじゃ?」

「……え?」

「あの、だから……」


 咲が言いかけたところで、柊の腕が伸びる。まっすぐ、沙紀の肩を掴んで強く揺すった。


「やっぱりっ……、あんた、何企んでんだよ!」


 柊の剣幕に二人は反応出来ず固まる。しかし返事がないことを、柊は別の意味に受け取ったのか、何事かとこちらを見遣る周囲はお構いなしに、沙紀に詰め寄る。


「咲さんは関係ないだろ! なんで巻き込むようなことするんだよ!? もし咲さんになんかしたら、俺は絶対あんたを許さない!」


 自分の荷物も放り出し、両手で沙紀を押しのけ続ける。沙紀に抗議しているようにも、咲から物理的に遠ざけようとしているようにも見える。


 柊の大声と、オフィス街に異質な制服のせいで周囲に人だかりがし始める。咲は慌てて柊の腕を掴んで沙紀から引き離した。


「柊くん、どうしたの?! ちょっと落ち着いて……。ここじゃ目立つから、別の場所に行こう、ね?」


 二人の間に割って入り、柊が黙るのを見届けると、乱れた服を直している沙紀に駆け寄る。


「大丈夫ですか? ……タクシー呼びますから、とりあえず場所変えましょう。もしいないほうがいいなら私は帰りますので……」


 しかし沙紀は咲の手をしっかり掴み、小さいが強く首を振った。


「ごめん、いて欲しい……。迷惑は、かけないから……」


 小刻みに震えている沙紀の様子に、先日のカフェでの様子が重なる。咲は同意するように手を握り返すと、偶然通りかかったタクシーを呼び止めた。


 その間もずっと、柊は沙紀を睨み続けていた。

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