第205話

(私、何言ってるんだろう……)


 何時間もずっと打ち合わせを続けたことで、自分も疲れていたのかもしれない。しかし沙紀は、自分の口から洩れた言葉に自分の耳で聞いて驚いていた。

 だが、咲相手に話しながら、もう一人の自分と話しているような不思議な安心感があり、辞めることが出来なくなった。


「誰かに聞いて欲しかったのね、多分……。もうずっと会えていなくて、淋しかったんだわ、きっと」


 ごめん、と言ったが、その後はどこか遠くに目の焦点を合わせながら話す沙紀は、独り言を言っているようだった。咲は、何も言わずに聞き続ける。


「嫌われているのは分かっているけど、どうしても忘れられないの。もしかしたらもう二度と、会えないかもしれないのに。似たような人を見かけると心臓が止まりそうになる。向こうから会いに来てくれるはずなんて無いのに。もしかしたら、って思ってるんだわ、私」


 沙紀の話を聞いているのに、咲は、そこに自分と誠を重ねた。沙紀の話す相手は恐らく柊だろうから、もう二度と会えない、と断言はできない。

 翻って自分の誠は、正真正銘二度と会えない。けれど「会えない」と思ってしまうその距離は、物理的なものばかりではない。心理的に、もう会うことはできないと思っているのだろう。


 先日の柊の様子を思い出せば、あながち悲観しすぎた見方ではない。

 だから、『どうしても忘れられない』『もしかしたら、と思ってしまう』という沙紀の言葉を、軽く扱うことは出来なかった。


「会うのを、我慢してるんですか?」


 自分と同様、つい口からこぼれたような咲の声に、驚いて振り向く。打ち合わせ中の集中しきった表情とは違う、リラックスした目でじっと沙紀を見つめ返していた。


「我慢……」

「そんなに大好きなのに、会えないっておっしゃるから、そうなのかな、って」

「……我慢、ね。そう、かもしれないわ。無理やり会いに行って、避けられるのが怖いの。だから衝動的に会いに行こうとする自分を何とか抑えてる」

「嫌われたくない、から?」

「もうしっかり嫌われてるわ。だけど、それを確認するのが怖いの……。ほんの少しでいい、万が一、天地がひっくり返ったら、って、バカな期待を持ち続けたいのかも」


 一分の隙も無いほど完璧なキャリアウーマンに見える沙紀からは想像出来ないような頼りなげな願い事に、咲は急速に親近感を抱き始めた。そして、いつまでも死んだ息子をよすがに生きている自分も、傍から見ればバカなのかもしれないが、それもまた一つの生き方としてなのかもしれない、と、ストンと腹落ちした。


 きっと沙紀の願いは叶うことはないのだろう。それは沙紀と柊の問題だから、自分が口を挟むべきではない。いいことも、悪いこともなにもいう資格はない。ただ。


「期待するのは、自由ですよ。持ち続けていいんじゃないですか?」


 再び驚いたように咲と目を合わせる。息をするのも忘れたように固まったかと思うと、表情が和らぎ始めた。


「ぷっ、もう……、うふふ、真壁さんには叶わないわ」

「……え?」

「降参、負けたわ」

「え、え?」


 なぜ笑われたのか、負けたとは何のことか。さっぱり分からず、咲は急に慌てだす。その様はいつもの咲で、それを見て更に沙紀は安心した。


「お待たせいたしました」


 言葉を継ごうかと思った矢先にスタッフが二人分の冷茶を持って入ってきたため、飲みこんだ。いつか言うことがあるのかもしれないが、今はまだここまでにしておこうと思い直し、まだ目を丸くしたままの咲に茶を勧めた。

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