第204話

 翌日登校すると、柊の下駄箱に封筒が入っていた。


『もう一度お話がしたいです。昼休みに昨日と同じところで待っています』


 差出人の名前に見覚えはなかったが、文面から昨日の女子生徒と察せられる。柊なりに正直に理由を話して断ったつもりなのだが、納得してもらえなかったのか。または何か恨み言でも言われるのだろうか。

 面倒さを感じつつ、しかし無視しても意味が無さそうだった。予定外の用事が増えたことに気重さしかなかった。


 相変わらず咲からは何も言ってこない。当然なのだが、自分がこんなに待っているのに、と思うと、恋しさが裏返ってストレスを感じ始めてもいた。


◇◆◇


「ごめんね、昨日の今日なのに」

「別に……。何、話って」


 指定された場所へ行くと、やはり同じ人物だった。山辺、という名を、今初めて認識する。


「あの……、昨日言ってた、桐島くんの好きな子って、誰かな、って……」


 両手をもじもじさせ俯きながら言う。昨日もそうだったが、控えめそうな仕草のわりに自分の願望には率直なようだった。


「そこまで言う必要はないだろ」

「やっぱり、それって岸川さん?」


 繰り返される同じ質問に、柊は苛立ちを隠すのを止めた。あえて大袈裟にため息をつきながら否定する。


「だから違うって……」

「でも、じゃあ誰? 他に桐島くんが話する人っていないじゃない」

「別にこの学校じゃ……」


 苛立ちもあって、つい口が滑る。ハッとした時には山辺は目からウロコのような表情だった。


「違う学校?! 予備校とか? 中学の同級生とか?」

「いや、だから」

「お願い教えて! 私頑張る、その人みたいになるから。そうしたら桐島くん、私のこと好きになってくれる?」


 山辺の必死の訴えかけに、柊はハタとひらめいた。


(話を聞くだけなら、いいよな……)


「……桐島くん?」

「悪い、俺戻るわ」

「待って、私……」


 柊は一度背を向けた山辺を振り返る。数歩戻って正面から向き直った。


「本当に好きな人がいる。楓じゃない。あんたに言う必要はない。昨日も言ったことだけど、それだけ」


 言い終わって方向転換すると、もう柊の脳内から山辺は消えていた。


◇◆◇


「そうね、そのやり方も悪くないわね」


 咲は、昨日提案し損ねたプランを改めて沙紀へ提示した。イベント開催前に顧客へ行うプレ告知についての案だった。


「ある程度の予想をもって来てくれるほうが、その後にこちらから提案するのも話が早くなるわね」


 印刷したプレゼン資料を何度も往復して読み返しながら、咲が期待していた答えを口にする。さすがにこちらの狙いについても理解が早いと、再び尊敬の念を強くする。


「宇野さんにはもうこれ見せてあるの?」

「はい。朝一で了承をいただいてます」

「わかったわ」


 軽やかに頷くと、沙紀は時計へ目をやる。


「ちょっと時間かかっちゃったけど……、あともう少し続けてもいい? 折角だから煮詰めちゃいましょう」

「っ、はい! 是非、お願いします」


 沙紀に承諾してもらえたことが嬉しくて、つい大きな声で返事をしてしまう。慌てて声を潜めるが、クスクスと笑われてしまった。


「意外ね、真壁さんって実は体育会系?」

「いえ、あの、すみませんつい、嬉しくて……」

「少し休憩しましょうか。何飲む?」

「な、じゃなくてえっと……、では、冷たいお茶を」


 咲は、何でも、と言いかけて、最初に『自分で決めろ』と言われたことを思い出す。素直に飲みたいものを伝えると、そのまま沙紀は内線電話でスタッフに指示を出した。


 その口調も、丁寧なのに思わず『かしこまりました』と言いたくなる力強さと威厳がある。恐らく今からどんなに仕事を頑張ったところで、自分が身につけることはできないものだろうと思っているが、妬ましさや羨ましさはない。今この人と一緒に仕事が出来るという事実への感謝だけだった。


 沙紀は、通話を終え、肩から滑り降りた長い髪を後ろに払うと、下を向いたまま呟いた。


「昨日は、ごめんなさい」

「……え?」

「ちょっと、どうかしてたわ、私」


 はにかみながら謝る沙紀が、咲は少女のように愛らしく頼りなげに見えた。

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