第203話

 唐突な申し出と突然しがみつかれたことで、柊は驚いて固まってしまった。対して山辺は、咄嗟に抱き着いたようになっていた自分に気づき、慌てて飛び離れる。


「ご、ごめんなさい、あの……」


 先ほどの勢いとは別人のように小さな声で謝罪を繰り返す様子に、柊は徐々に落ち着きを取り戻す。周囲を見回すが、生徒も教師もいないようで、誰にも聞かれていないと分かりホッとした。


「あのさ」


 柊は返事をすると、静かにその場を後にした。

 山辺はしゃがみ込んで膝を抱え、そのまま午後の授業は出なかった。


◇◆◇


 咲は軽く夕食を済ませると、最近の日課になっている勉強を始めた。忠道が譲ってくれた本は分厚くて、持ち歩くには重かった。しかし読みでがあるのは嬉しかった。

 昨日の続きの場所を開いたとき、昼の小出沙紀の顔が思い浮かんだ。


『大好きな人がいるの』


 柊の話を思い出すと、彼女の言う相手は柊である可能性が高い。

 柊は『執着』と表現したが、そんな強引で見境ない様子は伝わってこなかった。

 むしろ、もっと純粋で一途な想い。

 大分以前に自分も誰かに感じたことがあるような。


 集中出来ずに、開いたばかりの本を閉じる。


 これは柊と沙紀の問題だ。自分が二人と知り合いだとしても口を挟む義理ではない。

 頭で分かっていることと自分の本心にズレがあることに気づき始めてはいるが、何故ずれるのか、それを突き詰めることはしたくなかった。


 咲は立ち上がり、風呂の用意を始めた。


◇◆◇


 夕食後、柊はベッドに寝転がる。

 勉強をする気は起らなかった。切羽詰まっていないせいもあるが、教科書を開いたところで集中出来ないのは、学校でも家でも同じだった。


 手元からスマホを離せない。持っていたところで待ち望む連絡は来ないし、自分から連絡しようにも、前回送ったメッセージを思い出すと何を送ればいいのか思いつかない。

 あれから何百回目か分からないため息が漏れる。

 腕で目を覆いながら、瞼に浮かぶのは咲の姿だけだ。

 

 二人きりでいたい。でも二人でいれば気持ちが昂って自分の行動に責任が持てなくなりそうだった。感情のまま振舞うことで、咲との関係が壊れるなど以ての外だ。ならば自分の気持ちが落ち着くまで距離を取ろうと思ったのだが、実際は落ち着くどころか会いたい気持ちがいや増すだけだった。


 いままでなら、何もいい案が浮かばなければ、その度に楓を頼っていた。しかし、その手段も封じられた。

 

(今頃、何してっかな……)


 もう家に着いただろうか、一人で食事をして、明日はまだ仕事だろうから早々に寝ているだろうか。

 自分は何も手が付かない状態なのに、きっと咲はいつも通りの生活を送っているのだろう。

 そう考えると、安心するのは少しだけで、腹立たしさと淋しさで気が狂いそうだった。


◇◆◇


 咲が翌日出社すると、一番直近の受信時刻で、小出沙紀からのメールが入っていた。


『昨日は失礼いたしました。昨日できなかった打ち合わせを早めに行いたいので、予定をご調整いただけますでしょうか』


 そしていくつか候補日時を連絡して来ていた。咲は慌てて自分の予定を確認し、その中から一番手前の枠を指定する。


(私がぼんやりしていたせいなのに……。こういうところよね、私がダメなのは)


 先回りして計画がズレないよう追加のミーティングを組んでくれた沙紀に、感謝と謝罪を含めてメールを返信した。


 送信完了を見届けると、パシパシ! と自分の顔を叩いて喝を入れる。注意力を妨げる元凶になっているスマホの電源を切ると、カバンの一番下に仕舞った。

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