第201話
「元気ないわね、どうかしたの?」
え? と、咲は声の主である小出沙紀を振り仰ぐ。咲としては打ち合わせ内容を自社に戻ってから宇野と共有せねばならず、必死でメモを取っていた最中だったので、一瞬何を問われたのか分からなかった。
「えっと……、私、ですか?」
「他にいないでしょ。身が入ってないようだけど、疲れた?」
「い、いえ! そんなことないです、大丈夫です、続けましょう」
慌てて姿勢を正し、再びペンを取り上げる咲に、沙紀は首を振った。
「今私たちがやっていることはアイデア出し。話し合っているだけに見えるけど、実は思考や発想をフル回転させているの。とてもエネルギーを使うのよ。なのに他のことを考えながら、いいアイデアが出てくると思う?」
咲はギクリと身をすくませる。自分の気がかりを、一言も口にしていないのに沙紀には隠せていなかったということか。
「すみません……」
「まあ、そういう日もあるかもしれないけどね。でも出来るだけプライベートとは区切りをつけて頭を切り替えることが大事よ。長く仕事を続けていきたいなら尚更ね」
咲は黙って深く頷く。まだまだ自分は甘いと、反省しきりだし恥ずかしくもあった。
「折角お時間取っていただいているのに、今日は申し訳ありませんでした」
忙しい沙紀を必要もないのに拘束するわけにはいかない。彼女の言う通り、これ以上続けてもいいアイデアが出てくるとは思えなかった。咲は力なく片付けを始める。
「……ねえ、この後予定ある?」
「え? ……いえ、いつも通り自社に戻って通常業務を……」
「私との打ち合わせ時間分は、外出予定だったのよね。……じゃあ、ちょっとお茶しない?」
唐突な誘いに面食らった咲にニコリと微笑むと、ロビーで待ってて、と告げ、沙紀は会議室から出て行った。咲も慌てて後を追った。
沙紀のオフィスから数分歩いたところにあるカフェに入り、席に座った。
一見カフェには見えない、小さな森にも見えるほど緑が茂ったエリアは静寂に包まれ、聞こえるのは葉擦れの音だけだった。
「素敵なお店ですね」
「ありがとう。うちの会社で企画して出資してるのよ」
また驚いて咲は店内を見回す。柔らかなウッド素材のテーブルやイス、素朴な焼き物、あえて統一感のない服装の店員たち。全てが風景に溶け込んでいるように見えた。
「ここなら仕事を忘れて話せるかな、と思って。何があったの?」
少し身を乗り出すようにして沙紀が口火を切る。近づいたせいで漂ってきた甘い香りにうっとりする。しかし次に思い浮かんだのは、柊と沙紀の関係だった。
「何か、って……」
「いつも真面目な真壁さんが仕事に集中してないなんて明らかにおかしいわ。何か悩んでるって、考えるのが普通でしょ」
あえて突き放すように平坦な声音で続けると、咲は下を向いてしまった。無論、沙紀がここに彼女を連れ出したのは親切心などではない。咲の異変に柊が関わっているとしたら、と想像したためである。
金で抱き込んだはずの桐島家の家政婦は想像以上に使い物にならなかった。
当事者から聞き出すほうが、ずっと手っ取り早いのだ。
「ここでは取引先とか、そういう関係性は無しにしましょ。同年代の女性同士として、相談してもらえると嬉しいわ」
今までにないほどの親しさを見せられて、咲は動揺する。ずっと見上げるような思いで憧れていた沙紀から、『同年代の女性同士』と言われ、初めてその共通点を意識した。
自分と同年代の女性。なのに、この人は柊に執着しているらしい。
どうしてだろう、彼は一回りも年下の高校生なのに。地位も名声も財産も美貌も持っている沙紀が、あえて柊を選ぶ理由はなんだろう。
気が付けば、咲は思ってもいなかったことを口にしていた。
「小出社長の一番大切なものって、何ですか?」
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