第195話
「真壁さんは、恋人はいないの?」
沙紀と咲の、三時間近い打ち合わせが終わった。
沙紀は、自社へ戻るために準備をしている咲に、思いついたように問いかけてみた。
案の定、びっくりしたようにこちらを見る。咲の私生活は少し調べてみたが、柊との関り以外はほとんど男の影らしきものは見当たらなかった。
「えっと……、私、ですか?」
「もちろん。だって、いてもおかしくないでしょう?」
「いえ、私は……。そんな人はいません」
ほんの数秒、間を置いて出てきた答えは『NO』だった。沙紀は少しだけ安堵しかけるが、安易な自分に待ったをかける。
「そうなの、勿体ないわね、こんなに素敵なのに」
「え、ええ? そんな、私なんて、地味だし何も出来ませんし……」
「結婚したいとか、思わないの?」
「っ……、それは」
話の流れからくる当然の投げかけに、咲は怯んだように顔色を変える。まるで恐ろしい何かに遭遇したような身構え方で、いつもの、間が抜けていると言っていいほどの柔らかな空気が一変し、沙紀のほうが驚いた。
「ごめんなさいね、何か立ち入ったことを言ってしまったかしら」
「いえ……、その、私はそういうこととは無縁ですから……。いいんです、このままで」
ひきつった硬い表情で、否定なのか肯定なのか分からないことを口走る。さすがの沙紀も心配になって再度声をかけようとしたが、その前に逃げるように帰って行ってしまった。
会議室に一人残った沙紀は、自分がなぜ罪悪感を感じているのか、理解できないでいた。
◇◆◇
(今度の週末は、咲さん空いてるかな……)
先週も日曜に会ったばかりだ。というより、毎週末会っている。普通に考えたらその頻度は友人以上とも言えるが、柊の気持ちと比例すると少なすぎる位だった。
しかし咲には仕事がある。そして自分達は同居しているわけではない。
週末のどちらかだけでも、きっと咲にとっては負担になっているかもしれない。
そう考えると、もっと遠慮すべきなのだろうか、と思わなくもないが、そんなことをすれば淋しさの反動で自分が何をするか分からなかった。
断られることはないと思いつつ、少しだけ緊張しながら、週末の約束を取り付けるために咲にメッセージを送る。まだ夕方、咲が返事をくれるのは夜になってからだろう。数時間が待ち遠しい。しかし、咲との繋がりは何であれ嬉しい柊は、自然と顔を綻ばせながらスマホを仕舞い、帰るために席から立った。
「桐島くん」
廊下を歩いていると、見知らぬ女子生徒から声を掛けられた。
そのまま裏庭まで付き合わされる。この後何を言われるか、何となく予想はついていたが、無視するのも気が引けたので女子生徒の後ろをついていった。
放課後の裏庭は誰もいない。夏休みより少しだけ日が傾くのが早くなり、空が焼け始めていた。
咲が帰宅する頃は真っ暗だろう。まさかと思うが、危険な目に遭ったりしないだろうかと想像すると、急に不安になった。
気が付けば咲に思考が飛んでいた柊に、件の女子生徒が話しかけてきた。
「あの……、桐島くんって、岸川さんと付き合ってるの?」
「……は?」
柊は驚きのあまり、頓狂な声を上げる。予想していたのと話の内容が違った。
「だから、あの、桐島くんと同じクラスの岸川さん……。いつも一緒にいるし、幼馴染だって」
「あの、楓だろ? うん、幼馴染だよ、家も近所だし」
「じゃあ、ほんとなの? 付き合ってるの?」
「はああ? んなわけあるか! なんで俺が楓と……」
否定したいというよりも、自分と楓が恋人同士だという設定に面食らい過ぎて、柊の声は知らず大きくなっていた。
(俺と? あのバカが? 付き合ってる? あほか!)
柊の脳裏に、赤ん坊の頃からついさっきまでの楓の様々な行動や表情が過る。幼馴染を通り越して家族のように世話になりっぱなしであるが、それでも何もかもがおバカすぎた。
「じゃ、じゃあ、付き合ってないの?」
「当たり前だろ! なんで俺が楓と……。あいつはそんなんじゃなくて」
幼馴染で、家族のようで、何でも話せる兄妹のような、親友のような、間違えば叱ってくれる姉のような。
何より自分と咲を再び結び付けてくれた運命の恩人でもある。
柊にとって、一番大事なのは咲だが、咲とは違う意味で重要な存在だった。それこそ『彼女』なんて呼び方すらそぐわないほど。
「良かった! ありがとう、じゃあね!」
柊の否定を聞いただけで、何故か満面の笑顔になって校舎に駆け戻っていく女子生徒を、柊は呆然と見送った。
(そもそも、あいつ誰だよ……)
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