第193話

『お仕事お疲れ様。今日は何もなかった?』


 退社準備でデスクを片付けていると、端に置いておいたスマホが鳴動してメッセージを表示した。画面を開かなくても、発信者が柊だと分かった。


(昨日の今日で、何もないのに)


 昼間の小出沙紀の様子を思い浮かべ、柊の心配は半ば杞憂なのではと、咲は思い始めていたので、安心させるようメッセージを返す。


『お疲れ様。もちろん何もないよ。ありがとう』


 送信してバッグへ入れようとしたら、またすぐ返信が来た。


『遠慮してるんじゃないよね? 言ったよね、俺、咲さんのこと守るからね』


 重ねての確認が、気遣いを通り越して実は心配性な柊の性分を覗かせる。必死で背伸びしようとしているように思えて、咲はまた一つ柊への愛おしさを増した。


◇◆◇


(守るとか、役に立つって言ってもなぁ。何したらいいんだ?)


 咲からの素っ気ない返信画面を前に、柊は、うーんと考え込む。

 甘えさせてもらうよりむしろ頼られたい。勢いづいてそう伝えてしまったが、柊から見た咲の生活は、一人で完結しているように見えた。

 だから、先日父を頼ってきた咲を見て、猛烈に嫉妬した。自分と父では持っているものも出来ることも段違いだと理解しているが、実際に彼女の手助けをしたのは自分ではなかったことに。

 実際、大人相手に自分がどこまで役に立てるのかが分からない。とっかかりがない。咲の性格からして、積極的に自分に頼ってくることは期待しないほうがいいのだろう。


 ふと、窓の外を見遣った。


◇◆◇


「あれー? 夕ご飯、呼びに来てくれたの?」

「んなわけあるか」


 夕食にはまだ少しある。柊は楓の自室を訪ねていた。お互い、用も約束もなく行き来することは子どもの頃からの習い性だった。

 ベッドの上に胡坐をかきながらゲームを続ける楓を他所に、柊は床にぺたりと腰を下ろした。


(勉強しろ、とか言わないの、珍しいな)


 目はテレビ画面へ向けつつ、楓は柊の様子を伺う。自分から来た割には、座り込んだまま黙っている。

 子どもの頃からの柊の癖だった。助けて欲しい時ほど何も言わない。楓にはよく分かっていた。


(しょうがねー奴だな、ほんと)


 手元はコントローラーを操作しながら、頭を半分柊のために使う。


「咲さんは、大丈夫だったわけ?」

「……ああ、それは、うん……、あんときはサンキューな」

「いいえー、どういたしましてー。お礼はじゃがりこで!」

「……明日な」

「で? またなんかあるの?」


 見るともなしに柊も楓のゲーム画面に目を向ける。どうやら女性向けの恋愛ゲームらしい。少女漫画チックな美形長髪男子が、現実ではありえない台詞を喋っている。

 それに対して、主人公が返事をする場面だった。いくつかある選択肢の中から、楓が選んだものは、意外と普通の返答だった。

 それでいいのか? と柊は首をかしげたが、結果は良かったようだ。画面にハートマークが飛び交った。


「お前、こういうのがタイプなの?」

「ん? ああ、違うって、他のキャラは攻略しちゃったから、今回はこいつ。何、こんな風になりたいの? あんたにロン毛は似合わないと思うからやめときな」

「そういう意味じゃねえよ……」

「咲さんくらいの大人なら、今更好みも何もないと思うけど?」


 既に視聴済みなのか、イベントらしき動画をすっ飛ばして、画面は淡々と次へ進んでいく。


「俺だって、自分が咲さんの好みのタイプだとは思ってないけどさ……」


 咲の役に立ちたい、彼女を守りたい。

 その気持ちだけが、あの日から日増しに強く大きくなる。

 だが気持ちとは裏腹に、現実には何も行動に移せていない。そのもどかしさに、自分で自分に腹が立つ。

 どうすれば咲の役に立てるのか、まるで思いつかない。


「じゃあさあー」


 柊が考え込んでいるうちに、楓はデータをセーブしてゲームのスイッチを切った。くるりと体を反転させ、柊の正面に回る。


「練習してみたら?」

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