第189話
「え……」
まったく想定していなかった返事に、柊は自分の耳を疑った。
知っていた、と言った? 何を? いつから?
「聞いたの。宗司くんから」
「……っ、い、いつ?」
「皆と行った旅行の帰りに、駐車場で会ったでしょ。その後かな」
柊は、違う衝撃で頭の芯がぐらりと回るような感覚を覚えた。
まさか、という思いと、そういえば二人は昔は家族だったのだ、ということを思い出した。
「聞いて、どう思った……?」
「んー、そりゃびっくりしたよ。柊くんがしてたアルバイトもだし、そういう会社を宗司くんが経営してるっていうのも。びっくりしすぎて、宗司くん放置して帰っちゃった」
「……軽蔑、したよね」
「しないよ」
「っ、でも、俺、彼女でも好きでもない人と、その……」
「うん、それはやっぱり、びっくりしたけど……。でも、初めて会った時のこと思い出したの。それで合点がいったし」
柊は、ぐっと言葉に詰まる。逆に、今まであの時のことを一切突っ込まれなかったほうが不思議だったのだ。
「あの、それで、今は?」
「や、やってない! もう辞めた、二度とやらない!」
「そうだよね……、うん、勉強もあるしね、お父さんも、心配なさるだろうし……」
ホッとしたように、咲は何度も頷く。色々気になる点はあるものの、もう辞めたというのであれば、今はこれ以上詮索すべきではないと思い直した。
しかし柊は、逆に不満げな顔になった。
「……それだけ?」
「それだけ、って」
「勉強と、親父の心配? 咲さんは、それしか気にならないの?」
どんな相手と、何人くらい、どれくらいの期間やっていたのか、などは気にならないのだろうか。咲のことだから想像が及ばないだけなのかもしれない。しかし。
「俺がどこの誰と寝てたか、どうでもいいの?」
「寝てた、って」
「そういうことしてたって、今話したじゃん。それは気にならないの?」
「ならないわけじゃ、ないけど……。話したくないでしょ? そんなこと」
「咲さんが聞きたいなら話す」
「私は……」
急に柊が不機嫌になった理由が、咲には分からなかった。分からなかったが、一瞬想像してしまい、顔が熱くなる。
「咲さん?」
「え? あ、うん、あの、ほら、聞いても私が知らない人だし、だから、言いたくないと思うし、その……」
「小出沙紀」
「え……?」
「知ってるよね」
「し、ってる、けど……え? 小出社長?」
「俺の得意客」
咲は呆然とする。自分の知る小出沙紀と、今の柊の話が中々結びつかない。
柊は何も言えない様子の咲に、やはり、と落ち込みつつ、話を続けた。
「本当は、この話をしようと思って来たんだ、今日は」
氷が融けかけた麦茶を一口飲んで、気持ちを落ち着かせる。そうだ、楓が言っていた、咲を信じるのだ、と自分に言い聞かせながら。
「咲さんがいなかった間、俺はあの人を咲さんの代わりにしてた」
下の名の読み方が同じ、ただそれだけで、小出沙紀の指名は優先して受けた。本当はバイトのルール違反になるが、個人の連絡先を教えて直接会っていたこともある。大学生だと偽っていたので、向こうも遠慮なく自分を呼び出した。何度会ったか覚えていないくらい、一年ほどは関係が密だったが、咲と再会出来てからは関係を終わらせたくて、電話に出ないようにしていた。それで終わったと思っていた。
「けど、咲さんと繋がってるって知って、心配で仕方がない。あの人が咲さんと偶然知り合うなんてありえない。何か考えがあって近づいたに決まってる」
「考え……」
「うぬぼれるつもりはないけど、あの人は俺にかなり執着してた。でも俺は一切連絡を取らないようにしてる。俺の
咲はもう一度頭の中で小出沙紀を思い浮かべる。絵にかいたようなキャリアウーマンで、華やかで大人で行動的で知的で、そんな彼女が高校生の男の子とそのような関係になり、のめりこんで、知り合いに伝手を求めた、ということだろうか。
「でも、そんな」
そんな人には見えない、と言いかけて、口をつぐむ。自分は小出沙紀をほとんど知らない。仕事で数度打ち合わせをした程度だ。逆に柊は彼女を知り尽くしているのだろう。そう、色々と。
ずっと考え続けていたせいか、今度はすんなりと二人の影が重なった。その映像に驚いて顔を上げると、まさに目の前に柊がいた。
唐突に、柊がまるで別人のように感じた。
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